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蚊に刺される

 そろそろ暑くなってくると、蚊に注意が必要になって来る。
ちかくの神社に行って、知らいなうちにやぶ蚊に刺されてしまった。

 TVで知った情報だけれど、蚊って血を吸うときに、吸いやすくするために、血をさらさらにする液を出してから、吸うらしい。その液には痒み(かゆみ)成分含まれるらしい。だから、最後まで、蚊が十分に血をすったら、蚊は、自分が出した液(痒み成分も)もすべて吸収するから、吸われた箇所が腫れたとしても、かゆみは残らないらしい。

 知り合いの子で、実際にそれを実験した子がいた。
「じーと、吸っているところを見てたの。けっこう時間かかったけど、そのまま観察してたら、蚊さんは、お腹を血でパンパンに脹らませて、重たくなった体でフラフラしながら、飛んでいった。ほんと、そのあと、ぜんぜんかゆくなかった!プクー、てふくれたけど、ぜんぜんかゆくなかった。」と、その子は楽しいそうに報告してくれた。

 私もやってみたことがある。本当にそうだった。途中で蚊を払ったり、叩いてしまったりすると、痒み成分は血中に残って、かゆくなる。最後まで、しっかり吸わせると、痒み成分も回収して、蚊は満腹の重たい身体をフラフラを持ち上げて、飛んでいく。全くかゆみは残らない。

 痒みは、怒りと同じ系列の感情であることを、ヴィパサナー瞑想を体験して知った。ヴィパサナー瞑想は、原始仏教由来、つまり、仏陀直伝の瞑想と言われている。今はやりのマインドフルネスの瞑想の原形は、このヴィパサナー瞑想である。マインドフルネスの瞑想は認知行動療法なんかにも応用されている。

 後の仏教では、煩悩の数を108などとしているが、人間の煩悩は集約すれば、たったの3つになる。しかも、この3つは人間に強烈にプレ・インストールされている。
 人間という存在の根本と言ってもいい。

 その三つとは、有名な貪瞋痴(どん・じん・ち)である。
 貪(どん)生きようとするエゴの根源的欲求。
 瞋(じん)エゴを守るための根源的怒り。
 痴(ち)真理を悟らない心。エゴで考えることなど。

 瞋(じん)とは、怒りのことで、痒みも、実はここに含まれる。
例えは、身体に何かが物質的に侵入してくるとすると、

 痒み→痛み→恐れ→怒り 

 という具合に、瞋(じん)の心は増大していく。蚊に刺される場合は、痛みとか恐怖や怒りは、ごくごく微弱なので、感じないかもしれない。でも、この瞋はエゴを守る自衛隊のようなものである。

 仮の自衛隊の反応になぞらえて、説明してみよう。

 痒み=見張りが敵を発見 → 痛み=前線に敵が侵入→ 
 → 恐れ=警報発令 → 怒り=攻撃開始

 反応は微弱であっても、蚊が刺される時の反応も、この一連の連鎖反応だと思われる。「痒み」から「痛み」に至るまでは、時間の経過があるが、「痛み」と「恐れ」と「怒り」はほぼ同時に起こる。蚊の場合は、痛みは微細ではあるけれども。

 前回のエッセイ「あれは大きな月だった!」で書いた話だけど、私は中学生の時、楕円形のオレンジの発光体を(UFO?)を見たことがある。同じ時間、違う場所で、そのオレンジの楕円形の発光体を4人の友人も見ていた。でも、その友人の中の一人、Sくんだけは、オレンジの発光体を見た事実を、怒りを発するほどに否定した。

 その理由がなんとなくわかった気がする。

 Sくんは、オレンジの楕円形の発光体を他の友人と見た。たぶん、UFOだと思うけど、そうでなかったとしても、月ではなかった。月は別のところに存在してから。
 でも、彼はかたくなに、この発光体を月だと主張し続けた。半ば怒りながら。

Sくんは、運動神経は抜群だったし、勉強もまぁまぁできた。

 でも、一つ思い出したことがある。
 彼の片目は義眼だった。
 漁師町で育ったSくんは、途中で引っ越してきたのだけど、その時はすでに義眼だった。その義眼は、兄弟で竹やりを投げっこして遊んでいたとき、兄から投げられた竹やりが片目に突き刺さってしまった、ということを本人から聞いた。凄まじい話だが、本人は淡々と話してくれた。

 そのことを思い出した。

 もしかすると、目に飛び込んでくる異様なオレンジの光が、その時の恐怖のスイッチを押してしまったのかもしれない。その恐怖は潜在的なものかもしれないが、自動的に彼の底から湧き上がった可能性は高い。片目を失った事故の、衝撃時の異様な光の、連鎖反応が起こったのかもしれない。

 その「恐れの警報」は、鳴り続け、止むことがない。そういった連鎖反応は起こったのかもしれない。いつもわりと穏やかなSくんが半ば怒りつつ、オレンジの発光体を拒否したのもそういう理由かもしれない。

 まぁ、推測にしかすぎないが。

 身体に染みついた恐怖は、なにかの拍子に発動することがある。それは人それぞれ違うだろうが、人より強烈な体験をした人には、その恐怖の反射的反応が、思わぬところで過敏な反応となって出てくることがある。

 以前の職場で知り合った人にこんな人がいた。
 その人は、ファミリー・レストランかなんかで、若い母親が子供を叱っている場面に遭遇すると、血が煮えたぎって、立ち上がって、その母親をにらみつけてしまう、らしい。なぜそうなるか、というと、小さい頃、母親に虐待とネグレクトを受けて育ったせいらしい。
 母親は、弟のみを溺愛し、その人には、無視もしくは虐待を繰り返していたらしい。幸い、父親との相性はよく、夜遅く父親が帰ってくるまで家の外でずっと一人で待っていた、という。その反射反応で、ファミレスで子を叱る、見ず知らずの若い母にも激しい怒りが湧くらしい。ほっておくと、そのまま殴りに行きそうな勢いだが、たいていは立ちあがった瞬間に、我に返るらしい。でも、死ぬまでに母を許せるかどうか、それが人生の課題だと吐露していた。

 Sくんの場合は、兄が投げた竹やりが失明の原因だが、一緒に遊んでいた兄を憎むわけにもいかず、その怒りはずっと無自覚だったのだろう。突然の異様な、未知のオレンジの光が目に差し込んでくるまで、身体にそんな、恐怖と怒りが隠れているとは、自覚がなかったのかもしれない。

 そんなことを思いながら、私は、蚊に刺された箇所をなでた。

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