あれは大きな月だった!
人生の中でいくつか忘れられない光景ってものがある。
あれは一体なんだったのか。
幻だったのか。
そんな光景の一つや二つ、みんな持っていると思う。
私にもそういった光景がある。
それは私が中学生だった頃見たものだった。
中学生だった私は、その時宿題か何かをしていた。
家は小高い丘の上に位置していた。自分の部屋は2階に在り、ベランダがついていた。ベランダからの景色は街が一望できた。その街の向こうは港だった。街と港の夜景が綺麗に見える部屋だった。
夜の9時は回っていたと思う。
ふと気になって家の窓から東の空を見上げると、大きな楕円形のオレンジの光があった。横方向に広がったその楕円形の光は、見た目で月三個分くらいの幅だった。
それは街の港の上空に静止していた。
まさにUFOだった。間違いない。
じっと見入ってしまった。
人は本当に驚くと、何もできない。声もでない。
ただ、じーと見るだけだった。
不思議なことに、向こうも私を見ているような気がした。迎えにきたのか?なんていう変な感覚さえあったが・・・
ベランダ越しに見ていると、間に遮るものがないために、一対一のタイマンの関係のような感じになってくる。だんだん怖くなってきて、隣の弟の部屋へ飛び込んだ。小学生だった弟はもう寝ていた。
「おい、起きろ!UFO! UFOだ! あそこ!」
私は煌々と光るオレンジの楕円エネルギー体を指さした。
「うーん。何?」
弟は眠気まなこをこすって、起きてきた。弟が見ようとしたその瞬間、オレンジのエネルギー体は、小さな針先ほどになって、闇に消えた。
最近、このエピソードを弟に話しても、弟は何も覚えていない。それは、そうだろう。彼は何も見ていないし、なんだかわからないけど、起こされたという経験でしかないから。忘れるはずだ。
弟は私の目撃を立証してはくれなかった。
なんだったんだろうか。何を見たのだろうか。
なんとも不思議な面持ち学校へむかった。
その頃、班別の朝の学習会があり、宿題の答え合わせか何かをしていた。すると、同じ班の4人くらいの子が
「昨日不思議な楕円形の光があったよね。」
「そう、楕円形の。」
「月より大きかった。」
と言い出した。
その4人は同じ塾に通っており、塾の帰りにそれを見たらしい。下から建物の隙間から見たので、ちゃんと全貌が見えたわけではなかったようだが、それでも時折全体像が見たらしい。
「月三個分くらいやったよね。」
「僕も見たよ。」
と、私たちは班学習そっちのけで、その話で持ち切りとなった。
自分だけが見たのではなく、班の友達も見ていたことが、嬉しかった。幻ではなかった。
見た目の、そのオレンジのエネルギー体は実際、月3個分くらいの幅があった。楕円形なので3個分よりは少し小さかったと記憶していたが、みんなの認識も同じだった。
「いや、あれは月だよ。」
と、目撃していたにもかかわらず、Sくんは否定した。
「月は別のところにあったよ。」
「そうそう。」
「いーや、あれは絶対に月だった!!」
と一人Sくんだけは頑として意見を変えなかった。
半ば顔を真っ赤にして怒っていた。
その班の友達は、オレンジ色の発光体が空に浮かんでいるのは、目撃したが、消えていく瞬間は見ていなかった。だから、UFOだと確信しているわけではなかったが、大きな不思議なオレンジの光を見たことは、一人を除いて同意していた。
私は、その消え去る瞬間を見たものだから、絶対にUFOだったと確信していたが、Sくんは、顔を赤らめながらも、頑として否定するので、それ以上言及する気にはならなった。でも、自分だけの幻ではなかったことに安堵した。
この経験は、後年自分なりに考察すべきものを二つ残していった。
一つは三次元世界の法則を越える存在である。
それは物理学の本かなんかを読んで自分なりに納得することができた。
次元の話だったと思う。
次元の解説を、一次元から順に数学的に説明していた本だった。
この内容を思い出しつつ、自分なりに考察すると、こういうことになる。
一次元の生物がいるとする。
その生物は線(一次元)の上にのって、世界を認識する。もし、その一次元の「線の世界」が二次元の「平面の世界」と交差すると、そこは一次元の見えない世界、世の終わりのように一次元生物には認識される。二次元の平面世界は認識されない世界になる。
もう一つ次元をあげて考える。
二次元の生物がいるとする。
二次元生物には、三次元の物体は認識されない。たとえば、二次元世界に、三次元(立体)世界のボールが何かの拍子に落ちてきたとしよう。そうすると、着地した瞬間は「点」、それから「円」が現れ、急成長し「大きな円」になっていく、その円が最大にまで大きくなると、今度は「円」が収縮し、また「点」になって消える。
それとよく似たようなことが、私がいた三次元世界で起こったのではなかろうか。オレンジの不思議な発光体に関しては、後にそのように自分なりに納得した。たぶん、そういう高次元の何かがいるのだ、と。
もう一つは、人の認知の問題についてだ。
なぜ、Sくんは、怒ってまで否定するのか。
少し、話はそれるが、日本のサッカーがかつてメキシコのオリンピックで銅メダルを獲得したことをご存知だろうか。ワールドカップが始まる以前の話だ。日本は世界第3位になったことがあるのだ。その選手たちを育てた名監督に、「日本サッカーの父」と呼ばれるドイツ人クラマーという人がいる。彼は東京オリンピックでチームをベスト8に導いた。
メキシコ・オリンピックでは、監督をしていなかったが、その観戦に来ていた。そのために、選手たちは、みんな「クラマー監督のために」戦ったという。監督を引退しても、なお選手たちから心酔される名監督だった。
クラマー監督が選ばれる経緯を聞いたことがある。
外国人監督を招くことを検討していた時に、日本サッカー協会の一人がドイツいるクラマー氏を訪ねる。
すると、大きな文字で、部屋に飾ってあった標語があったという。
「目は物を見ない、耳は音を聞かない。物を見、音を聞くのは精神である!」
この人なら、日本のサッカーを正しく導いてくれる!そう確信した、というエピソードがある。その「精神」が日本チームを銅メダルに導いたのだろう。
まさに、Sくんのことを表現するのに、妙を得ている。目では見ていても、精神が拒否をしていたのだ。何が彼にそれほどまでの拒絶をさせたのか。
実際、今では、鼓膜の振動よりも速く、脳の聴覚の部位が反応しているという実験結果だってある。鼓膜の振動よりも速く脳が聞きにいっているのだ。
それとは逆に、たとえば、虫歯がとても痛かったりすると、周りの音などろくに聞こえなかったりすることは誰しも経験したことだろう。脳が痛みに強く反応しているからだ。
つまり、聞こうとする「精神」(マインド)が主で「音を聞いている」のだ。
人の認知には人それぞれのフィルターがあり、完全にオープンではない。今ふうに言うと、人それぞれに心のブロックがあるということだ。
高次元の存在がいること、人の認知は人によって違うということ。
少なくとも、この二つのことをあのオレンジの楕円形の発光体は私に残していった。
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