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九州旅行

「指宿の砂風呂はいりたいなぁ。」

 母が突然言い出した。

 父と一緒に10年ほどまえ、屋久島旅行の帰りに寄った、砂風呂の経験が忘れられないらしく、もう一度行ってみたいということだった。その時、体中の血液がグルグル回っているのを感じたらしい。父はその時、屋久島の登山中に怪我をしたので、入らなかったという。

 「高千穂峡も行ってみたい!」

 「指宿と高千穂峡はかなり離れとるよ。」

 「そう。でも、行ってみたい!綺麗な写真取れそう。」

 母は、インスタグラムに綺麗な写真をアップするのが、趣味だ。父は、交通事故が原因で足腰が弱り、その後スポーツ事故の骨折で長期に寝たままになったになったため、しばらく、母はどこにも行けなかった。
 その父は昨年8月に亡くなった。寿命と言えば、寿命の年齢だった。

 新緑の季節、母も気分転換がしたくなったのか、急に九州の指宿と高千穂に行きたいと言い出した。

 ゴールデン・ウイークの2週間ほど前のことだった。

 「宮崎県も行きたい。行ったことないから。」

 指宿に先ず行くのもかなりの距離だが、それから宮崎県へ電車で行き、高千穂峡に行くのはかなりの時間がかかる。
 指宿でゆっくりしたら、とも提案したが、

「いや、高千穂峡も行きたい。」

 とのことだったので、じゃ、飛行機で行って、レンタカーで移動しようと大体のプランを決めた。母が元気なうちに行けるところは行った方がいいと、父が弱っていく姿を見ていたので、そう思った。

 父は生前に高千穂峡に友達と行ったらしいが、母は行っていない。指宿の砂風呂は父が入れなかったところ、高千穂峡は父と一緒に行けなかったところ…
 父の面影を追いかける気持ちが、母にはあったのかもしれない。

 あらかじめ、付き合ってもらうように承諾を得ていた弟にそのプランを伝えた。

「いや!飛行機はできるだけ乗りたくない!」えー?飛行機嫌だった?長年一緒に生きてきたけど、知らなかった・・・

「仕事ならしぶしぶ乗るけど、それ以外は避ける。落ちるかもしれないじゃん。」ほぼ落ちないと思うけど・・それでも、飛行機で行く案には弟は最後まで反対した。
 いつも冷静な彼には珍しいことだった。それに、弟は、阿蘇山に行ってみたい、とも言った。

 それなら、新幹線で指宿から熊本に上り、そこでレンタカーで、阿蘇山から高千穂峡に行こう。宮崎県から行くことはあきらめよう。

 駅から他の駅へのレンタカーの乗り捨てはできないようだ。空港から他の空港ならできるのだが。

 そこで、熊本駅でレンタカーを二日借りて、最終日にまた熊本駅から新幹線で帰ることにした。

 ゴールデン・ウイークは混むだろうから、良い写真を撮るためには、できるだけ朝早くに、高千穂峡にいくべきだな。そう思って、高千穂峡近く宿を探すと、予約サイトのアプリで、あるホステルがヒットした。星の数は4.9。しかも、「幣立神宮」のすぐそばだった。

「おお!幣立神宮」今度は私が興奮した。

 実は、前々から行きたいと思っていた神社だった。実はこの夏休みに、友達と行く計画していたが、友達の都合で行けなくなって諦めた神社だった。こんなに近くなら、誰も来ない早朝に、ゆっくり祝詞を唱えて、参拝ができる。もしかして、これは神社の神様に呼ばれているのかな・・・

 母、弟、私、三者三様の思いで、旅は出発日を迎えた。一週間ほど前に新幹線チケットを購入した。連休でも、祝日と祝日の中日(なかび)で平日だったから、なんとかギリギリ指定席を買うことができた。

 5月1日(水)、新幹線に乗って、鹿児島中央駅へ目指す。
 「長旅になるから」、と母と弟は前日にたくさんナッツ・煎餅などのお菓子を買っていた。遠足前の子供じゃあるまいし、と思っていたが、実はこれが役に立った。新幹線に乗る前に弁当を買おうとしたのだが、朝まだ早すぎて、店が開いていなかった。弁当なしでそのまま新幹線に乗った。

 今、新幹線では車内販売がない。
仕方なく、私たちはナッツ類や煎餅、クッキーで空腹を満たした。

  15:00頃に指宿駅に着いた。
 ホテル内にも砂風呂があるのだが、母は、「海を見ながら入るところがいい。」ということだったので、市が経営する「砂むし会館・砂楽」にタクシーで向かった。その日は、まだ少し雨が降ったりやんだりだったので、全然待つこともなく、すぐに砂風呂に入れたようだ。いつもは、長蛇の列だ、とあとでタクシーの運ちゃんから聞いた。

 砂風呂から出て、タクシーを拾おうとしたが、交通整理をしている人に聞くと、タクシーはめったに来ない、ということだったので、バスで指宿駅に向かい、指宿駅からタクシーを拾った。

 タクシー乗り場に、向かうと綺麗な黒い高級車タクシーが入ってきた。でも、私たちの前に、一人のお客さんがいて、その人がそのタクシーに乗った。次のタクシーはどうみても年代ものの白いセダンの車だった。ギー、という音でドアが開くような代物だった。実際には音は聞こえなったが。まぁ、宿まではほんの少しの間なので、特に気にすることもなく、乗った。

 行先を伝えると、運ちゃんは陽気なおしゃべり好きな人だった。たぶん、ふだんから喋るのがすきなのが伝わってくる。楽しくしゃべっているうちに、明日の話題になった。

 「明日は、何時の電車です?」
 「10:56です。」

 「それまで、なにか予定在りますか?」
 「特にないです。」

 それならば!と運ちゃんは、1時間半の周遊観光タクシー・コースを勧めてきた。パンフレットのようなものを渡してきた。いくつかコースがのっていた。どうしようか、迷っているうちにホテルが見えてきた。

値段は8500円、それくらいならいいか。ということでその周遊観光コースを頼んだ。

 「では、明日の9:00にお迎えに伺います。」と名刺を渡された。

 [肥後○○]
 まさに、九州らしいお名前の方だった。

 その晩は、美味しいホテルの夕食を堪能したが、そのあと、なにもすることがなく、旅の疲れもあったので、三人ともずいぶん早くに寝た。翌朝のバイキング朝食前に風呂に入ることにした。「蒸し風呂」というところに入った。サウナの前に江戸時代にも、蒸し風呂なるものがあったらしく、その原型をモデルにしたものだった。

 その蒸し風呂に入りながら、ゆっくりしていると、肩にポタリ、ポタリと天井から水が落ちてきた。その水は熱くも冷たくもなかったが・・・

 ・・・来ないのか・・・
 となんだか、誰かがそう言っているような気がした。
 私以外だれもその時は入っていなかった。そのささやきは、私の脳内現象だった。実は、私は指宿に来るのはこれで、3回目だった。以前に伴侶と2回来ている。その時は、指宿神社を目指してきているのだ。

 なぜ、指宿神社かというと、そこに天智天皇を祀る社があるからだ。私は天智天皇には並々ならぬ御縁を感じており、そのためにここを2回訪れたことがある。なぜ、こんなところに天智天皇が祀られているのか。

 天智天皇の和名諡号は「天命開別命(あめのみことひらかすわけのみこと)」。指宿神社では、その諡号で神社奥の右側の西宮に祀られている。周遊観光コースを勧められたときに、「指宿神社」はコースには入っていないことを知ってはいたが、今回の旅は母の要望がメインだから、まぁ、いいか、と思っていた。

 でも、天井からの雫が落ちてきた瞬間に、私は急に行きたくなり、行くことを決めた。
 直感がささやくとき、私は必ず従うことにしている。

 母と弟にも、承諾してもらい、タクシーの「肥後さん」が来たときに、「最初に指宿神社をお願いします。あとのコースを省略してもいいので」と伝えた。

 肥後さんは快諾してくれて、地元の人が知る近道で指宿神社に向かってくれた。指宿神社に天智天皇が祀られていることに個人的に興味があることを伝えた。

 地元の肥後さんもそのことは知らなかったようだ。正月にはいつもお参りする神社らしい。開聞神社と同格の神社らしい。開聞神社は綺麗に整備されていて、観光客も多い神社だが、指宿神社はあまり観光コースには入っていないことが多く、見た目もパッとしない。開聞神社は実は天武天皇に関係がある。これも知る人ぞ知る情報だけれども・・・

 指宿神社の拝殿前で3人で拝んで、自分だけ右奥の西宮「天命開別命」の社に向かった。ゆっくりしていると、後のコースに影響を及ぼすといけないので、軽く手を合わすだけだったが、拝んでいると、曇り空に薄日がさしてきた。喜んでくれているように感じた。

秋の田の かりほの庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ 

わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ

(秋の田の番をする仮小屋の屋根をおおった苫とまの編み目が粗いので、私の袖は屋根から漏れる露に濡れてしまうなあ。)

 有名な百人一首の一番目の天智天皇の歌。

 この歌の異様さがわかるだろうか。仮にも天皇の歌である。農民を憐れんだ歌と解説もあるが、どうも説得力がない。それなら、「わが衣手は 露に濡れ」ないだろう。他人の小屋なんだから。天皇が晩年の庵で歌ったとしたらどうだろうか。粗末な小屋で、秋のさみしさを一人味わう。そういう歌なのではないだろうか。

 一説に、天智天皇はこの指宿神社のあたりに幽閉されて亡くなったというのがある。諸説いろいろとあるようだが、私の直感と不思議な霊的体験により、その説はかなり有力と感じている。その辺はいつか詳しく語りたい・・・

 ともかく、すがすがしい気持ちで指宿神社を後にして、私はタクシーの周遊観光を続けた。

 5月2日(木)は10:56の特急「指宿のたまて箱2号」に乗って、鹿児島中央駅に向かい、そこから新幹線で熊本駅にいき、そこでレンタカーを借りて、阿蘇山を経て、高千穂峡へは30分ほどのホステルに泊まる予定だった。

 特急の「たまて箱号」があるように、指宿には竜宮神社があり、そこに見晴らしのよい岬、灯台などがある。タクシーは最後にそこへ向かった。そこで焼酎の試飲があり、休憩も兼ねて、少しとどまることになった。試飲も終えて、お土産も買ったので、もう次のコースに行こうと思っていたが、タクシーの肥後さんはもう少しここにいるという。仕方ないので、店内を見渡すと、焼酎の試飲席から見て、右手の方に木彫りの彫刻群が並んでいた。そこへぶらぶらと、暇をつぶしにいった。いろいろと物色していると、木刀の短剣があった。いくつか手にもって、軽く振ってみると、一つだけ妙にフィットしたのがあった。軽くて振りやすい。ハリーポッターが魔法の杖を選ぶとき、フィットした杖が正しくスパークするように、すっと手になじんだ。

・・・このことかな?・・・
 そう思って、私はその木刀の短剣を買うことにした。出かけるまえに、夢で、私が剣を授かるような場面、を家族が見たという。実際には自分で買ったのだが、この剣を何かに使え、ということかもしれない。そうか!幣立神宮かも。
 弟は、そこで前から欲しかった木のコップを買い、私は短剣を買った。

「たまて箱2号」に乗って、鹿児島中央駅、それから新幹線で熊本駅に着いた。レンタカーを借りて、阿蘇山に向かった。当初、ちょっとよるだけの予定だったが、結構渋滞していた。どうせここまで待ったなら、火口まで見て行こう、と最後まで粘ってから帰ることにした。ノロノロと進みながら、「阿蘇山噴煙展望公園」の駐車場についたのは、午後4時を回っていた。

 阿蘇の火口は、圧巻だった。噴煙は天を突き、上空の雲と合流していた。風はさほどなく、ゆっくりと雲は噴煙と一緒に流れていた。ときおり、上空には火口を遊覧するヘリコプターが舞っていた。

 火口の広さと深さは、人間のちっぽけさと自然の雄大さを無言で教えてくれていた。ここに来ることを要望した弟も大いに満足したようだった。

 この日に泊まるホステルは、夕食はついていないので、途中で軽く軽食を済ませて、飲み物を買って、宿に着いた。

 そこは、古民家を改築したホステルで、夫婦で経営しており、旦那さんが素人の手作業でせっせと手直しし、古民家ホステルに仕上げたらしい。ホステルの女将さんは、やさしい方で、着くとお茶を出してくれた。何もないところだけれど、それがまたいい。都会の騒音がまったくなく、カエルの鳴き声に癒されて、その晩もわりと早くに寝た。

 早朝、4:30に目が覚め、しばらく布団で目を開けていたが、空が白みはじめると、5時頃に、布団から出て、木刀の短剣を持って、幣立神宮に向かった。ホステルから歩いて5分もかからない距離だった。わりと勾配が急な石段を登っていくと、両側に神紋を飾った灯籠があった。なんと、その模様、我が家の家紋と同じ「違い鷹の羽」だった。

 これにはちょっとびっくりした。

 本殿で、祝詞を唱え、短剣を奉じて、祈った。

 短剣は何かの和合の象徴だったような気がする(短剣は持ちかえったけど)。祝詞を唱え終わると、周りはかなり明るくなったので、水の神様が祀ってある、山の下の方へ降りて、東水神宮で水をいただき、また上って神社を後にし、西にある西御手洗の神宮も参って、宿に帰った。

 帰ると、母はもう起きていて身の回りを整理していた。今日は、母の念願の高千穂峡にいくのだ。5月3日(金)の朝がスタートした。

 事前に調べたところでは、駐車場は8:30からしか開かない、ということだったが、早く行って、どこか待った方がいいとの判断で、ホステルを6:30に出た。7:00すぎにはもう着いたが、駐車場は早くも開いていた。それでも、第一駐車場はすでに満車だった。私と母を置いて、弟は、第二駐車場に向かった。

 あとで、わかったが第一駐車場と第二駐車場をつなぐ遊歩道が、この高千穂峡のメイン・ストリートだった。この道が絶景スポットを網羅していた。途中で第二駐車場からこっちに向かう弟と合流して、もう一度遊歩道を往復した。母は写真で良くみるスポットを見つけて大興奮していた。興奮のあまり、柵からiPhoneを出して、撮るものだから、絶景の谷に、iPhoneを落としてしまうのではないかとハラハラした。

 絶景スポットを十分に堪能して、最後に国見ヶ丘で景色を楽しんで、熊本へ帰った。

 熊本駅で新幹線の出発の時間を待つ間、近くの寿司屋に寄った。乾杯のビールをみんなで飲んだ。母はあまり飲めないので、一口だけとコップに半分くらい注いだ。いつもほんの一口で、あとは飲まないのだが、ああ美味しいわ、と全部飲んでしまった。お寿司も美味しかった。弟も、熊本はいいな、移住してもいいくらい、とご満悦だった。

写真スポットを満喫した母、
大自然の景観に満足した弟、
神社スポットに思わずいけたラッキーな私、
三人とも癒された砂風呂、
三者三様に満足した旅だった。

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