御無沙汰していたシリーズ第4弾、東北編です。雑誌『旅』の1960年(昭和35年)9月号の特集「女性におくる」で紹介された「女性の好きな旅先24」で選ばれた東北の観光地3選、まずは「十和田湖」から。
◉ペナント観察:王道デザインの堂々たる貫禄
ループ状のリリアン紐で飾られた昭和40年代、ペナント文化全盛期の頃の一幅だと思われます。白くフチ取られた赤い「TOWADA」の文字は、アメリカンレトロモダンなフォントで書かれており、一流観光地としての矜持まで伺えます。その下に小さく「NATIONAL PARK」の文字。1936年(昭和11年)に十和田国立公園に認定されていますが、時代的には八幡平エリアが統合されて「十和田八幡平国立公園」になった1956年(昭和31年)以降のものでしょう。メインの図案は湖にせり出す御倉半島から、中山半島越しに南西方向を捉えたものになっています。深い碧を湛えた静かな湖面を、遊覧船の航跡がまっすぐ優雅に伸びています。右の先っちょ部分に描かれているのは、紅葉シーズンに存在感を増す、もみじの葉っぱでしょうか。余計な情報を一切配して、王道観光地としての余裕を感じさせる一幅ですね。
◉行くならぜひとも遊覧船で楽しみたい
日本の湖沼で3番目に深い十和田湖。湖面の広さは国内12番目に甘んじていますが、国が定める港(地方港湾)を2つも持っている珍しい湖で、それだけ地域産業においても、十和田湖が重要な資源であることを示しているということでしょう。観光シーズンにはペナントに描かれているように、昔から遊覧船が地域の大切な稼ぎ頭になっているようです。今年もこのゴールデンウィークから運行が始まり、地元の子どもたちによるお出迎えセレモニーがあったと地元Webニュースが伝えています。
乗船すると、船上ではシャボン玉も販売していて、それがなかなか人気を集めているとか。確かに映える写真が撮れそうです。ちなみに5月5日の子どもの日は小学生無料だそうですよ!
◉詩人・大町桂月が愛を注いだ地
「十和田湖」は、酒と旅を愛した詩人・大町桂月の尽力によって国立公園の認定を受けたとされています。僕も詳しく知りませんでしたが、高知で生まれ、島根で教職にも就いていたという遍歴を知り妙に親近感が湧いてしまいました。以前にこのnoteの#60で紹介した「層雲峡」の名付け親でもあります。1925年(大正14年)に逝去するまで生涯で10回も十和田に訪れたという桂月は、政府が国立公園制度の検討を開始した際に「十和田湖を中心に国立公園を設置する請願」を当時の村長に請われてしたためました。自分の出生地でもない場所のために、熱い熱い請願文を綴ったのです。それほど心を動かす景色がそこにあるのでしょう。そうしたエピソードもまた、昭和の女性たちを旅に誘った一因かもしれません。
最後に、1923年(大正12年)に桂月が役人の心を大きく動かしたという請願文を紹介したいと思います。"美文家"と言われた桂月ならではの言葉選びで、十和田湖周辺の観光資源の価値について、余すことなくまとめあげ、行間から桂月の情熱が溢れた請願書です。残念ながら、この請願書をまとめた2年後の1925年(大正14年)に桂月は胃潰瘍でこの世を去り、国立公園指定の吉報を聞くことはできなかったそうです。