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【一幅のペナント物語#23】先人たちの郷土愛が生み出した天下一の絶景

艶やかなピンクの海!『鬼滅の刃』に出てきそう(出典:伊那市公式動画チャンネル)

◉まだまだ日本には知らない絶景が沢山ある・・・素直にそう感じることができたこの映像。長野県伊那市高遠町の高遠城址公園に咲き誇るコヒガンザクラの森だ。県の天然記念物に指定されているこの桜、その数約1500本。2020年(平成2年)には高遠固有の種と認定され「タカトオコヒガンザクラ」の名前も授かっている。しかもこの城址公園には、この1種しか存在しないのだそうだ。つまり、世界でここにしか咲かない桜、ここでしか見れない景色というわけだ。あわせて同種でもこんなに色合いが違うことに感動すら覚える。SMAPのあの歌が脳裏をよぎるではないか。

◉二等辺三角形の上に円形を重ねたこのパターンのペナントは、山岳系のジャンルに多いと聴くが、その丸の中に赤々と「花の高遠城址」の文字が時代劇がかって踊る。空隙を埋めるのはもちろんタカトオコヒガンザクラだ。そして、その横に描かれている桜並木の下、馬を駆る武者姿の男たち。はじめは「流鏑馬の神事でもある場所なのかな?」と思ったが、調べてみると、この世界にここだけの桜にまつわる物語があった。

◉廃藩置県で全国の城が次々と姿を消していった時代。高遠の城もまた同じ運命を辿っていたが、1875年(明治8年)、城の跡地を公園にする計画が持ち上がった際に、旧高遠藩の藩士だった人たちが「そうだ、あの桜の馬場をここに蘇らせよう!」ということで、翌年、城から少し離れた河合村にあり桜の馬場として親しまれていた場所の芝を移植した。記録には「芝草500駄」と記載されているらしいが、そこに桜の若木(ひこばえ)も混じっていたのか、数十年かけて見事な桜の森が再生したという(詳しくは下の「高遠城跡と高遠のコヒガンザクラ樹林」大澤佳寿子(伊那市教育委員会生涯学習課)を参照)。

まさにペナントに描かれているままの江戸時代の馬場の様子
『高藩探勝』「桜馬場春駒」(伊那市立高遠町歴史博物館蔵)

◉当時の人々の熱意が開花し、今や年間15~20万人の観光客を呼び込む場所になったと聴くと、人が集う場所を創り、育てることの大切さと、それに必要な時間の長さを思い知らされるが、この先もそれを維持していくことの難しさも見えてくる。先の教育委員会の資料によれば、現在花開く1500本ほどのタカトオコヒガンザクラのうち、樹齢30年以上のものが300本、50年以上のものが500本、それよりも古い木が20本、計820本ほどがメンテナンスが必要になっているのだという。そのために必要な資金や労力、技術などをどうやって確保していくのか、というのが町の大きな課題になっているそうだ。

◉#20の記事で紹介した「御母衣ダム」では、ダム建設によって水没する運命だった桜が、世界中の識者から「奇跡の植樹」と称賛されるような移植に成功し、「荘川桜」という名をもらって今も守り育てられているのだが、それほどまでに樹木というのは繊細な生き物だということを考えると、1500本を超える桜の木を守り続けていくことの大変さが伺える。世にふたつとないであろうこの景色を、これから先何十年と未来に守り継いでくれる後人が現れてくれることを祈りたい。


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