句:抑揚の利いた話し方(アクセント/イントネーション)
抑揚とは、話し方が備える要素の一つ。
スピーチや朗読において『抑揚がない/足りない』話し方は悪いものとされ、『抑揚をつけて/利かせて』話すことが求められる。
確かに、平坦でメリハリの無いスピーチは分かりにくいし聴きづらい。改善の余地がある。
しかし、『抑揚が足りない』というアドバイスは曖昧すぎて役に立たないと考える。
本稿はより良いスピーチを目指して、次の点を解説する。
抑揚とは
『抑揚が足りない』とは
前置き:イントネーション
話し方について研究する学問を音声学という。もちろん抑揚という要素も研究対象だ。
ただ、音声学でいう抑揚と日常会話で使われる抑揚はかなり意味が違うので、先に整理をしておこう。
アクセント
日本の日常会話でイントネーションというと、『橋と箸』『柿と牡蠣』といった差異を指すことが多い。
しかしこういった、単語ごとに決まっている音程は音声学において声調または高低アクセントと呼ばれる。
この他に強弱アクセントというものがある。例えば“accent”なら最初の音を強く・他は弱く発音するような規定のことだ(英語には声調が無いので、単にaccentと言った場合はこちらを指す)。
イントネーション
音声学における抑揚は、単語ごとではなく文全体の形や意図による変化のこと。
“Are you asking me?”
meに限らず英単語は本来なら平坦な音程で発音される――声調が無い――が、このような質問文の場合は末尾の音が上がる。
単語による変化ではなく文型による変化。これをイントネーションと呼び、音調や抑揚と訳される。
つまり多くの日本人は、音声学では高低アクセントと呼ばれるものをイントネーションと呼んでいるわけだ。
もっとも、『正しい名前を使おう!』と呼びかけるつもりはない。
理由は単純、通じにくいからだ。伝わらない言葉は虚しい。高低アクセントをイントネーションと呼ぶのが誤用だとしても、通じるならその方がマシだろう。
……が、抑揚という言葉は通じにくい使われ方がされていると感じる。
音声学の用語では抑揚とイントネーションは同じもの(訳語)だが、日常会話においてはそうではない。
本題:抑揚とは
上述の通り、音声学における抑揚とは『文意によって起こる音程の変化』を指す。学術用語なので音程のみに限られており、音程以外の変化は抑揚とは呼ばれない。
日常用語では、あれもこれも抑揚に含まれるようだが。
求められる要素
『抑揚が利いている』と評価されるようなスピーチが備えている要素を音声学的に選り分ければ、音程だけでなく――
声量
声長
明瞭さ
律動
などなど様々な要素の変化が挙げられる。
これら全てを引っ括めて、音声学の専門用語では韻律と総称する。『抑揚をつけて』というアドバイスは『韻律をつけて』にほぼ等しい。
……通じにくいと思われるのでどちらも推奨しない。
定義はない
言った側が上記のような要素をひとつひとつ意識していてもいなくても、実質的にはそれら全て/あるいは幾つかに不足を感じたのだろう。
問題をはっきり切り分けて、音程の上下が足りないと評価して、そのことを音声学の語法に沿って『抑揚が足りない』と言い表す人も、中にはいるかも知れないが少数派だろう。
きっちり切り分けてくれているなら抑揚などではなく、声量とか声長とか具体的に言ってくれるだろうし。
つまり『抑揚が足りない』というアドバイスもどきは、問題点を明瞭に言語化しないまま言えてしまうのだ。何となく世に蔓延ってしまっているが、ろくなものではない。
だから、言われた側からすれば困ってしまう。
『抑揚』という言葉から『音程や声量や声長や明瞭さや律動の変化、どれかが足りないんだな』と発言者の意図を正しく汲めというのは、テレパシーが使えない限り不可能だ。
少なくとも辞書にはそんな細分化された定義は載っていない。基本は音程の上下、場合によっては強弱の変化とも書いてあるが、具体性はその程度。
(『強弱』も実は声量や声長や明瞭さや律動などの複合なので、あまり変わっていない)
というわけで、抑揚という語句はアドバイスに使うには曖昧である。問題点が明らかにされておらず、『今のスピーチはなんとなく良くない』などという雑な感想と大して変わらない。
補足:発声以前
『抑揚が足りない』というのは発声に関する指摘だ。しかし問題の原因や核心は他の部分にあるかも知れない。
だとしたら、いくら声に気をつけても解決はしないだろう。
内容分析
ありがちなのは、読んでいる原稿のどこが根幹でどこが枝葉末節なのか分かっていないケースである。それでは望ましい抑揚が付けられない。
この場合に求められる練習は、
原稿を読み込む
内容を自分の言葉で誰かに説明してみる
内容に感じたことを言葉にしてみる
他の人の説明や感想を聞く
などといった、『理解と価値付け』だ。
この段階を飛ばして発声ばかり練習しても、恐らく良いスピーチにはならないだろう。
文章構成
予め決まった原稿をその通りに読まなければいけない場合も多いが、そうでないなら原稿も整えるべきだ。
本題ではないので触れる程度に留めるが、
本筋とは関係ない与太話がだらだらと続くような原稿なら、思い切ってカットする勇気も必要である。
箇条書きのように並列で要素を挙げるなら、最も強調したいものは最初か最後に置くべきだ。
論理的に詰めすぎた文章も頂けない。論文として書かれたものをそのまま読み聞かせるのは双方かなり難しいだろう。
などを無視した原稿は抑揚だけではカバーしきれない。
また、重点がぼやけるため上述の内容分析にも躓き易くなる。
『抑揚が足りない』が『なんとなく良くない』程度のファジーさであることを踏まえると、実は『文章が良くない』可能性もある。問題の切り分けというのは割と高等テクニックだ。
一つの点に拘らず、雑なアドバイスに惑わされず、多角的にスピーチの質を高めるべきだろう。
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