トランスジェンダー問題の固有性と普遍性 『それは誰のための議論なのか』批判
4/18に朝日新聞に掲載された高井ゆと里氏のインタビュー、『それは誰のための議論なのか 「トランスジェンダー問題」を考える』を拝読した。
筆者は高井氏の主張に賛同できない。
トランスジェンダー云々とはあまり関係無く、それ以前に議論の筋が通っていないからだ。
社会問題に関して意見が食い違う時、その齟齬は次のように整理できる。
事実認識 - 実際なにが起きているか
現状評価 - 1.の事実はそのままで良いのか
改善方針 - 良くないとしてどうするか
筆者の視点だと高井氏は事実認識にも問題がある。しかし本稿の主眼はそこにはない。
高井氏の言う事実(1)を前提として、それを改善すべきだという評価(2)に同意して、それでもなお方針(3)に賛同できない──すなわち、高井氏の述べる1.2.と3.は繋がっていない──ことを本稿の主題とする。
◆仮にそれが事実としても
◇1-1)普遍的な問題→固有解?
トランスジェンダーがどのような困りごとを抱えているか問われて、高井氏はこう答えている。
貧困率やうつ病有病率などの数字が続き(統計については末尾の節で再掲)、さらにこう繋げる。
筆者はトランスジェンダー当事者でもアライでもないから、現状を正しく認識できている自信はそれほどない。(ひとまずは)高井氏の語る事実をそのまま真としておこう。
そしてそのような状況を痛ましく思う。なんとかすべきだと考える。
が、この事実認識(1)と現状評価(2)から、『トランスジェンダーの為の法律や社会制度が必要だ』との改善方針(3)は導けない。
だってそれは実に普遍的な問題だ。トランスジェンダーに限らず、貧困とメンタルヘルスの問題はどうにかすべきに決まっている。
そしてそれに成功すれば、トランスジェンダーの最大の困りごとは解決される。他ならぬ高井氏がそう言っている。
◇1-2)固有の問題、のようで
『ありふれた問題』の先はこう続く。
“例えば”以降、前半と後半はまるで違う話だ。
後半)人工妊娠中絶をめぐる、『配偶者の同意』や限られた中絶方法などは、確かに女性の自己決定といえる(胎児の権利をどう考えるかで結論は分岐しうるが、女性の身体が関わっているのは間違いない)。
前半)戸籍は戸籍である。身体ではない。行政書類であって本人の自由にできる必然性はない。
あえて乱暴な言い方をするが、『別に戸籍が男性(女性)でも女性(男性)として生きることはできるでしょ、そうしたければそうすれば良いじゃないか』的な考え方がある。
これは恐らく当事者には受け入れがたい物言いなのだろう。きっと“自分の身体を自分のものとして生きる権利”が損なわれていると感じるのだろう。
だとしたらこれはトランスジェンダーに固有の問題のように思われる。しかしそれは筆者の想像なので、当事者の言語化にも耳を傾けてみたい。
事実認識 住民票の性別と社会生活上の性別が異なると、就職が難しくなる。
現状評価 差別的である。個人の自己決定権を害している。
前の章と同様、高井氏の事実認識を真としておこう。それは良くないという評価にも心から同意しよう。しかしそういうことならこれはトランスジェンダーに固有の問題ではない。
書類上の性別と日常の振る舞いが一致しないなどという理由で採否を決める──言わば性規範を強制する──企業が悪いに決まっているからだ。
(そもそも“一致”とはなんぞやという話だが)
このような問題はあらゆる就職希望者に悪影響を及ぼす。どうにかするべきだ、同意しよう。
しかし『法的な性別を変えやすくしよう』的な改善方針(3)は、明らかに1.2.と繋がっていない。トランスジェンダー(の一部)しか救えない排他的な方針だからだ。
高井氏によれば手術したくない層もいるようだし、手術費用も貧困の一因ということだから、その必要性をなくす(採用側に規範の強制をやめさせる)方がトランスジェンダーにとっても望ましいだろう。
◆流石にそれは事実ではない
高井氏の事実認識の中には、一時的にであっても真とし難いものもある。
◇2-1)“パニック言説”
女性スペースの安全に関する懸念──高井氏曰くの“パニック言説”──については。
この件は事実認識から食い違う。
上の引用部は、太字にした“トランス当事者にとっては、”という一節を前提にすれば、恐らく真なのだろう。『そう感じている』人はきっといて、その人が嘘をついているわけでもない。
しかし事実かどうかは無関係だ。
例えば〈バイナリな性規範から外れること〉について──
種々の暴力を社会的な罰『と感じた』のだろうが、それが社会的な罰『である』とは考えにくい。特に物理的暴力が社会から容認される状況は極めて限られる。
〈性にまつわる犯罪とトランスジェンダーを結び付ける言説〉に戻ると──
自分たちを迫害する人たちによってわざわざ作られた
権利回復の要求をへし折ることを意図して作られた
現実に立脚しないパニック言説
──であると『感じられる』。それは構わない。
が、上を『事実である』と言いたいなら話が変わる。
“わざわざ作られた?” 本当に?
“へし折ることを意図して”? 誰にそれが分かる?
“現実に立脚しない”? 目を開けてよ。
中には過剰にトランスを攻撃する人もいる。
その事実認識は真であり、それは解決すべき問題だとの評価も共有できる。
しかしだからといって、女性スペースの安全を守りたい声を全て攻撃と見做すのは、単純に事実に反するし、そのように見做せる根拠もない。
『感じたこと』と『事実』を置き換えるような議論には一般論としても頷けない。かてて加えて──
──というのだから尚さらだ。事実をより悲観的に・他者をより悪意的に解釈する傾向が、トランスの人は強い(と高井氏が言っている)のだから。
そもそも“現実に立脚しないパニック言説”という批判を高井氏自身が否定している。
──社会的ルールよりマイルールを上に置いているトランスはいる、と。
この現実に立脚して恐怖しているのだから、これはちっとも“パニック言説”ではない。
◇おふざけにならないで下さいまし?
ふっっっざけんなよマジで。
失礼、噛みました。気を取り直して。
全く的外れな話だ。障害者の運動史はまるで参考にされていない。
そもそも障害者の『運動』とか『アクセス』というなら、“障害者差別解消法”よりも“交通バリアフリー法”(2000)かその後を継いだ“バリアフリー新法”(2006)が適切だろう。どんな場所にどんなものを設置しなければならないのかを具体的に示したのはそれらであって、“障害者差別解消法”(2013)ではない。
(参考:公共交通の利用に関する運動史)
そして上に挙げた何れの法も、主には物理的アクセスの確保を定めたものだ。
対して高井氏が求めているのは物理的アクセスではない。なにしろトランスの人は今も既にどちらのトイレに入るか自分で決めているそうだから。
筆者はそのことに強く抗議するが、善し悪しは別としてアクセスはできてしまっている。法律などなくとも/ない故に。
ということは──
──トランスの人が社会を変えようとしたら、そのコストを非トランスは支払え、と。それを法律で義務付けろ、と。
ふっっっZ
障害者にそのような特権は与えられていない。目指すところがそれならば、参考になるような歴史もない。
●余談:定義論
トランスジェンダーの統計について、高井氏は次のような数字を挙げている。
『水掛け論にしかならないから』などの理由で余談に回したが、筆者はこれらの値をまるで信頼していない。
──『合意された定義が無いから』だ。
トランスジェンダーの定義には幾つか有力なものがあるが、それでも紛糾しやすいテーマである。
筆者はあまり定義論に深入りしない。個人間コミュニケーションにおいてさほど重要ではないし、言葉の定義なんて流動するのが当たり前だから。細かく詰めるのに労力を割くのがバカバカしいという価値判断に、ほとんどの場面で同意する。
が、統計は別だ。
定義がなければ統計は取れないし使えない。
〈年収500万未満の人〉とか〈500万以上の人〉なら統計は取れる。
〈低収入の人〉〈高収入の人〉では取りようがない。分水嶺をはっきりさせ──つまり“低収入”/“高収入”を定義しなければ。
個々の調査をみれば『本調査におけるトランスジェンダー』は定義されているだろう。しかし他の調査と定義を共有してはいない。
つまり例えば──
ある調査が『“トランスジェンダー”は全人口$${U}$$の$${x%}$$程度』と報告し
他の調査が『“トランスジェンダー”の$${y%}$$は貧困層にある』と報告していても、
『ということは“トランスジェンダー”の全数$${T_U人}$$は$${U×x/100}$$くらいで、そのうち貧困層の数$${T_p人}$$は$${T_U×y/100}$$くらいか』などと推計することはできない。
──ということ。
一般的な統計として利用してしまうと事実を見誤るのだ。もはや『統計ではない』とさえ思えるし、よしんば統計だとしてもその可用性は著しく低い。
信頼性が低い理由は他にもある(例えば数字の根拠を明示していないことなど)が、そういった体裁をどれだけ整えようと、集合の定義は統計の屋台骨だ。
それがぐずぐずなのだから、はっきり言わせてもらうが、トランスジェンダーに関する統計で信頼に値するものは極めて限られる(※1)。定義論を拒み続けてきたツケだ(※2)。
※1:無いとまでは言わない。例えば精神医学会などが厳密なガイドラインを定め、それを遵守する医療機関にかかった全患者を母集団とし、共通化・標準化された方法で定量化すれば、一定の信頼をおける値は得られよう。ただし最初から偏った母集団という前提に限って。社会に還元するには限定的な使い方しかできない。
※2:信頼できる統計が少ないことは極めて重大な問題だが、これは今回のインタビューの問題ではない(もちろん高井氏個人にも帰せられない)。よって本稿における位置づけは余談である。
◆まとめ+若干の想像
最初の章で触れた通り、トランスジェンダーを『固有の問題で困っている特殊な配慮の必要な集団』と見做すのか『普遍的な問題でより苦しみやすい集団』と見做すのか、いずれにしても高井氏の論は前後が合致しない。
トランスジェンダー固有のものについては、
トランスジェンダー固有の解決策でないと効果が薄いだろう。
例)性同一性障害特例法がGID(当時)のためだけの立法であるように。
逆に普遍的な困りごとは、
普遍的な解決策が助けになるはずだ。
例)駅のエレベータなどは別に車椅子専用ではない──普遍的に階段よりも楽だろう。
実際的なことを言うなら、トランスジェンダーだって様々な問題を抱えている。固有のものも普遍的なものも。
しかし通常『トランスジェンダーの抱える問題』と言う時は、暗黙の内に固有の方へフォーカスされる。普遍的な問題について語るならトランス/非トランスという括り自体が不要だからだ。
(就労問題を例にすれば)トランスジェンダーだろうとバリバリ働いている人に就労支援など必要ないし、逆も然り。
しかしこのインタビューはトランスジェンダーに固有の困りごとを明示しない。『多様な人がいる』と当たり前なことを摘示するのみだ。
何かしら言えない事情でもおありかも知れないが、これでは『理解』の進みようがない。
前稿に続いて、対話の難しさを突きつけられる思いである。
以上
Twitterだと書ききれないことを書く