句:リベラル/リベラリズム
リベラルあるいはリベラリズムとは、国や文脈によって全く違う――時には真逆の――思想を指す、困った言葉。
言葉自体の意味は『自由主義』と明快なのに、その使われ方がとても幅広い。
本稿の目的は振り返りと語義の再確認であって、リベラルな主張をすることでもリベラリズムを批判することでもない。
広く俯瞰するために色々と単純化するので厳密な定義ではないことはお断りしておく。
両極端とその間
話を明快にするために、まず政治経済の分野に絞って、やや誇張して思想を紹介する。共産主義と極端な自由主義だ。
$$
\begin{array}{c:c:c}
\text{ } & \text{ 共産主義 } & \text{ 自由主義 } \\
\hline \\
\text{財産は} & \text{国家のもの} & \text{個人のもの} \\
\hdashline \\
\text{お金持ちは} & \text{いない} & \text{更に富む} \\
\hdashline \\
\text{貧しい人は} & \text{いない} & \text{更に貧する} \\
\hdashline \\
\text{弱点} & \text{実現性} & \text{平等性} \\
\end {array}
$$
財産の扱いについて、『価値ある全ては国のもの、国民は配分に従え』な共産主義に対して、『自分の財は個人のもの、どう使おうが私の勝手』と考えるところが自由主義の自由な点だ。
もっとも、前者は旧ソ連が証明したように実現性に難がある。労働者には怠惰が、権力者には汚職が蔓延りやすい。
後者は平等主義や人道主義に反する点で、無理に押し通せば労働階級からの革命が避けられない。
よって、この2つの間で良いバランスを探っているというのが実際の近現代である。
新自由主義(✕2)
『基本は自由主義だけど、弱者への福祉もある程度は必要だよね』辺りまでは、大体どんな政党でも同意する。
そういった中間的な立場の中でどちら寄りかという区分が、社会自由主義と新自由主義だ(呼称については頭の痛い問題があるが、本稿ではこれで通す。詳しくは後述)。
$$
\begin{array}{c:c:c}
\text{ } & \text{ 社会自由主義 } & \text{ 新自由主義 } \\
\hline \\
\text{社会福祉} & \text{積極的} & \text{最低限} \\
\hdashline \\
\text{理想の国} & \text{福祉国家} & \text{夜警国家} \\
\hdashline \\
\text{別名} & \text{進歩的自由主義} & \text{自由放任主義} \\
\text{ } & \text{革新自由主義} & \text{市場原理主義} \\
\end {array}
$$
もしも『社会保障費にGDPのxx%以上を振り分けたい人は社会自由主義者である』などという区切りがあれば単純だが、実際にそんな区分は無い。
大雑把にいって、男女平等、差別撤廃、教育と医療費の無償化……などの主張は社会自由主義と親和性が高い。
逆に自助努力、自己責任、経済成長、所得税高過ぎ……などは後者から出てきやすいイシューである。
ややこしい名前
上では社会自由主義と新自由主義を対立概念として紹介した。リベラルの逆はリベラルなのである。ややこしい。
一応、どちらもベースには古典的自由主義がある。それに対するカウンター的に社会自由主義が生まれ、それが更に揺り戻して新自由主義が現れた。
社会自由主義:できるだけ多くの人の自由を積極的に保障する。
新自由主義:国がなるべく手を出さないことで国民が好きにできる範囲を拡げる。
中身は対立しているが、確かにどちらも自由志向と言えるだろう。
なので、リベラルという単語だけだとどちらを指すのか分からない。少なくとも国によって大きく傾向が異なる。
アメリカではかつて民主党と共和党がどちらも自由を標榜していた時期があるが、現在リベラルといえば多くは民主党を指す。本稿の言葉なら社会自由主義寄りだ。
市民革命の本場(?)フランスは、できるだけ国民の自由に口出しをしない夜警国家を理想とする気風が伝統的に強くあり、リベラル――仏語では『なすに任せよ』――といえば概ね新自由主義に近い思想を指すらしい。
では日本ではどうかというと……軽く触れた頭の痛い問題に立ち戻ろう。
更にややこしい名前
社会自由主義には、上の表には載せた以外にも別名がある。この思想はかつて、アメリカではモダン・リベラリズム、イギリスではニュー・リベラリズムと呼ばれた。そしてこれも新自由主義と和訳されることがある。現代自由主義という訳も無くはないが。
新自由主義という字面だけでは、ニューなのかネオなのか全く判断できない。この2つは単語としてはほとんど同じ意味で、にも関わらずニューリベは左寄りでネオリベは右寄りなのである! ややこしい!
上の表で右側に『新自由主義』という語を置いたのは、自由放任主義や市場原理主義などに比べれば新自由主義の方が耳にする機会が多いと考えたからであって、『新自由主義といえばネオリベのことだ』的な意図は無い。
実際、現代日本において新自由主義という時、それが右を指す例も多く見つかるけれども、逆の用例も数え切れないほどある。
リベラルという言葉は本当に厄介だ――他の界隈に目を向ければ、更に。
政経以外
ここまでは(一応)的を絞っての話であって、それでもリベラルという言葉の厄介さは伝えられたように思う。
他の分野に話を広げると頭が痛くなること請け合いだ。幾つかの例を挙げて結びとする。
自由主義神学
様々な自由権の中で制限・抑圧された(されそうになった)ことが多いのが信教の自由ということもあって、単にリベラリズムという表現で自由主義神学を指す例はそれなりに見られる。日本では特異に少ないかも知れないが。
これは伝統的な教理に縛られず新しい解釈を打ち立てていこうという方向性であり、新神学とも呼ばれる。ややこしい。
幸い(?)、政治に絡めて語る場合も左寄りとされることが多い。例えば人工妊娠中絶への賛否を問えば自由主義神学派は中絶権擁護派と位置づけられる。
国際協調主義
国際関係論には大きく、『結局のところ軍事力だよな!』的な現実論と『いやいや人間は世界平和を実現できるって!』的な理想論という考え方がある。
国際協調主義は後者から派生したもので、国家同士の関係以外に企業や個人レベルでの経済的・文化的交流の影響力に重きを置く考え方。
反戦平和という点で左派に好まれるし、個々人の好きに商売する点で右派からも好まれる。
ただし、多くの人が理想論を支持したからといって世界平和が実現可能という結論にはならない。国際関係論は主義主張ではなく学問なので。
リベラル・アーツ
日本でいうリベラル・アーツとは、主に大学で教えられる幾つかの科目の総称である――が、大学ごとに中身も名称も異なるというのが実態だ。
大まかに『狭く深い一分野を究めた専門バカにならないように、広く浅く様々な分野に触れる』程度の方針は共通しているが、具体的には大学によりけり。
基礎的な自然科学や数学、社会科学、歴史や芸術、外国語(主に英語)さえ含むケースがある。
(2022/11/28加筆)
アメリカのリベラルアーツカレッジ(左とされる)に比べれば日本のリベラル科目はそれほどでもない的な認識で↓のように書いていたが、言い切れる根拠に乏しいので撤回する。シラバスだけ見れば(基礎的科目ばかりなので)右も左も無さそうだが、実態は把握していない。
リベラルという語から左右どちらかへの傾倒を連想されがちだが、何らかの思想を教え込むような目的も時間も無い。妙な誤解を避けるためか、リベラル・アーツ以外の名前で括る大学も増えている。汎用科目/一般教養/分野横断科目などなど。
全ての学生に必修の科目になっていることも多く『少しも自由じゃない』などと揶揄されることも珍しくない。
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