なぜか不可侵扱いの“アイデンティティ”
どんな言葉も様々な使い方をされるものだ。特に抽象名詞の場合は避けられない。
個々人が好きに使えばいい──ただ、そこに価値判断が紐付く場合はバランスというものがある。
例えば“差別”。
人によって色々な定義・差別観があるだろう。それは自然な個人差だ。
一部の人は“差別”という語に『絶対に許してはならない最低の罪』という価値判断を付している──それ自体は構わない。
が、そうであるなら定義は狭く厳格であるべきだ。でなければ日常生活のあらゆることが『最低の罪』になってしまう。バランスが悪すぎる。
現状“差別”の定義はそれなりに広範だし、そうしておくしかない。であれば差別には『最低の罪』もあれば『罪は罪だけどまぁ受忍できる範疇』も含まれるという濃淡は認めて然るべきだ……的な話は以前に別稿で述べた。
本稿では似たような扱いを受ける別の語を取り上げる。
“アイデンティティ”。
一部で『絶対に傷付けてはならない不可侵の尊厳』のような価値を付されており、にも関わらずそれが何なのかは不明瞭な抽象名詞である。
はっきり挙げてしまえば“ジェンダー・アイデンティティ”などがそれだ。
筆者には分からなかった。
これが何なのか、何をしたら傷付けることになるのか(≒傷付けないことなど可能なのか)、傷付けることがどれほどの罪なのか(≒絶対に傷付けてはいけないとは何故なのか)。
分からなかったし、教えてくれる人もいなかった。色々と読み漁ったつもりなのだが。
そんなところへ全くの別口から、『もしかしてこういうこと?』と考えを進めるきっかけを得た。
ジェンダー関連とは別に、アイデンティティを不可侵の尊厳と扱う界隈──メタバース利用者(の一部)である。
◆前置き:本稿のテーマと語用
まず、本稿で検討するのは『アイデンティティに対する攻撃とされるもの』だ。『アイデンティティを理由とする攻撃』は次の理由により除外する。
◇動機は問題の中心ではない
人種・宗教・国籍などといった属性を理由に迫害が行われた事例は歴史上に数多く、また現在進行形のものも複数挙げられる。
これらはもちろん問題だ。容認されるべきではない。
ただ──これはアイデンティティの問題か?
例えばある外敵が『お前らは●●人だな、殺してやる!』と侵略してくるのはもちろん許されないが、では『俺たちはその土地が欲しいんだ、殺してやる!』なら許されるのか? あるいは罪が軽くなるのか?
そんなことはないだろう。理由がアイデンティティであれ領土的(資源的・経済的)野心であれ生命や安全を侵しているのだから。
その一方的な加害性が変わらないのなら一律に許されない──もちろん●●人の部分をなんらかのジェンダー・アイデンティティに変えても同様に。
つまりこれは行為の問題だ。
動機がなんであれ関係ない。
(国際世論形成の面では攻撃の理由も──攻撃の理由をなんと語るかも──無意味ではないが、それは本稿の主題から外れる)
本稿はアイデンティティを対象とする攻撃について扱う。よって本論に入る前に、“アイデンティティとは何か”も整理しておきたい。
この語には大きく3つの用例がある。
民族や宗教など集団への帰属を示すもの・および帰属意識
心理分析や精神医療で用いられる学術用語
経営戦略やデザイン論と関連するマーケティング用語
◇1.帰属意識
1.の用例は最も身近かも知れないが、本稿にはあまり関係が無い。
冒頭に挙げたジェンダー・アイデンティティやメタバース界隈で称揚されるアイデンティティは、どこまでも個人的で他者と共有されるものではないからだ。
“男性とは男性身体という共通点を持った属性集団である”と言われればその通りだが、“男性とは男性ジェンダーというアイデンティティを共有する属性集団である”と言われてもほとんどの男性は首を傾げる──女性でも変わるまい。
ジェンダー・アイデンティティなるものは目に見えないから共有されているか分からないし、可視化すること(例えばお揃いの制服など)も難しい。
本稿が検討するアイデンティティは本質的に(誰のものでも)孤絶だ。トランスジェンダーなどのジェンダー・アイデンティティだけが個人的なのではない。
◇2.心理学用語
2.は関連こそありそうだが、この意味でのアイデンティティは常に揺らいでいて当たり前で、完全無欠な人など最初から存在せず、絶対に傷つけない/傷つけられないなどということも不可能である。生きている限り避けられはしない。
◇3.マーケティング用語
3.のアイデンティティが最も近いように思う。幾つかの用例からこの意味での“アイデンティティ”を解説しよう。
端的に言えば『排他的な識別性』のことだ。
データベースで特定のレコードを示すキー値
キャラクター・アイデンティティ(後述)
いずれの例でも主目的に『他と明確に区別できるようにする』を含む。これを達成するために次の特徴を備えている。
他とはっきり異なること(無重複)
あまり頻繁には変わらないこと(不変)
◯コーポレート・アイデンティティ
だから例えば、企業のロゴマークを勝手に改変などすると巨額の訴訟沙汰が起こりうる。他の企業ロゴと見間違えられても、本来のブランドイメージを想起できなくても、得られたはずの商機や利益を損なうことになるからだ。
2.のアイデンティティよりもこちらのアイデンティティの方が、『僅かにも損なってはならない』とする理屈は飲み込みやすい。
◯キャラクター・アイデンティティ
話が逸れるように感じられるかも知れないが、次節への繋ぎとしてアニメ等のキャラクターデザインについて触れておく。
ここでは頭部(主に髪)に着目しよう。
アニメキャラクターの髪色は実に多彩で、大抵は髪型もバラバラになっている。現実の人間とかけ離れていることなど承知の上で、このデザインには識別性という狙いが少なからず関わっている。
なにせ20分そこそこの短い時間の中で複数名のキャラクターをはっきり見分けてもらわねばならず、更には他の作品の数え切れないキャラクター達とも見間違えられたくはないのだから大変だ。
最近で大成功デザインとされるキャラクターは、頭髪の桃色に髪飾りで明るい黄色と明るい水色が入っている。
この3色の組み合わせを見るだけで非常に多くの人間が『ぼっち・ざ・ろっくの後藤ひとりだ』と断定的に識別できるのだから凄まじい。もちろんデザインだけの力ではなく、他の要素にも支えられた成功ではあるが。
このような要素をキャラクター・アイデンティティと呼ぶ。機能としては先述のコーポレート・アイデンティティなどに近い。
だからアニメのキャラクターは他の主要キャラと髪色が被らないことが多いし、基本的には髪型を変えない。そしてこれはファンアートやコスプレなどにおいても強力な規約として働く。
興味の無い人からすると『髪飾りの有無や色などそこまで拘ることか』と不思議に思われるかも知れない。
しかしそれが企業ロゴのような識別符号であると説明すれば、『なら軽々にいじるなというのも分かる』とご納得いただけるだろうか。
──では、語義も確認したところで本題に移ろう。
◆メタバース界隈で聞かれるもの
(技術やサービスについては肯定も否定もするつもりは無い。一部ユーザーの主張を批判的に捉えている)
ユーザーはアバターと呼ばれる仮想の姿をまとってメタバースを利用する。これは現実の肉体・物体ではないので、アバターの姿形は本当に多種多様だ。
そしてこのアバターの扱いに絡んで“アイデンティティ”という語がよく使われている。
ここで語られる“アイデンティティ”とは一体なんなのだろう?
◇1.2.3.のどれか?
“オリジナルの”“自分だけの”といった枕が頻用されることから1.ではない。
呼びかけられることで内心から立ち起こる──つまりコミュニケーションを通じて醸成されるという心理的な特徴は2.のようにも思われるが、“現実の世界と別のアイデンティティが形成される”という言い回しからやはり意味が異なる(学術用語でいうアイデンティティは自己像や人格のことではない。拙稿リンク再掲)。
3.と近いようにも感じられる。
というのもこの界隈は、『自分の使うアバターを自分の好きに設定し、また他者から強要・改変されないこと』を“権利”と主張するからだ。まるで企業ロゴやキャラクターデザインの如く。
上の引用でインタビューに答えている“ねむさん”の著書である『メタバース進化論――仮想現実の荒野に芽吹く「解放」と「創造」の新世界』から何箇所か引用していく。
あるサービス(やゲーム等)において、『もっとこうできたら良いのに』と残念がった経験なら筆者にもある。自身のアバターを自由に設定できる方が愉快なのは確かだ。
が、それを権利だと考えたことはない。権利と扱うのは無理があるように思う。
上の引用でいう“アイデンティティ”が、コーポレート・アイデンティティやキャラクター・アイデンティティと同様に守られるべきと仮定してみよう。
すると、後発のユーザーほどアバター作成の自由度は狭くなる。先発ユーザーの排他的識別性を侵害するからだ。
また、ユーザーが用いるハードウェアごとにフレームレートや描画深度を制限するような機能にも問題が生じる。あるアバターが常にキラキラと瞬く光を纏っているとして、それを他ユーザが(描画処理が重いなどの理由で)非表示にしたら、アバターの不変性を侵してしまう。
……凄まじく不自由だ。後発ユーザーにもロースペック環境にも優しくない。
とすると、3.でもないと考えるしかないか。
◇“アイデンティティ”
既存の統語にはない新しい意味で“アイデンティティ”と言っているとして、それ自体を責めるつもりは無い。言葉は誰に独占されるものでもないのだから。
ただしそうであるなら、『ある集団が独自に“アイデンティティ”と呼び始めた何か』に過ぎないということ。殊更に尊重する必要があるとは限らない。
ではアイデンティティという(既存の)語義や語感は無視して、何が要求されているのか、それは尊重しうるものなのか、検討してみよう。
(ねむ氏の著書からの引用は上が最後)
筆者なりの理解と言語化によれば、ここで“アイデンティティ”と呼ばれているものは『役柄』ないし『設定』だ。アバターは衣装や小道具に位置づけられる。
またこの“アイデンティティ”には『そうでありたい』という価値が付されている。
『普段なら物怖じしてしまうところを装いの力で大胆になれた』ような、衣装や化粧によって気分が大きく変わる経験はそれなりに一般的・普遍的と言えよう。
そのような効果は確かにあって、否定も軽視もするつもりはない。好きな役柄・好きなアバターを纏えるのは良いことだと考える。
が、その『役柄』に『絶対に傷付けてはならない不可侵の尊厳』の如き保護は認められない。
もし認めれば『絶対君主』のロールプレイをする人に対して絶対服従の義務が生じてしまう──逆らえば絶対君主の『設定』に綻びが生じるから。
当事者の方は上の例に反発を覚えるかも知れない。
カッコ内は不同意だが前段はその通りなのだろう。その欲求・憧れ・意志は(それを“アイデンティティ”と呼ぼうが“なりたい自分”と呼ぼうが“夢”と呼ぼうが)理性や倫理で自由自在にこねくり回せるものではない。そこは同意する。
……ただ、その苦しみは極めて普遍的だ。
次の現実を踏まえれば生じて当たり前の悩みでしかない。
我々は一人一人異なっている。
人は万能ではないしテレパシーも使えない。
他人とのコミュニケーションを完全に断って生きることは難しい。
これらの要素が揃う限り、現実でもメタバースでも変わらない。客観的な自己と理想とする自己像は常に食い違う。
ほとんどの人はそれを自分なりにどうにかしているわけで、自分だけ保護しろという要求は通らない──そもそも他人のそれを保護することとてできはしないだろう。
◇あるユーザーの所感
以下はSNSで見かけたあるVRChatユーザーの発言をまとめたものである(直接の引用はあえて避けた)。
このユーザーは非常に低身長なアバターを好んで使っている。多くの場合は他ユーザーのアバターを見上げることになり、それが心地よい・しっくり来るそうだ。
そしてその低身長は“侵されざるべきアイデンティティ”だという。具体的には、普段見上げている一般サイズのユーザーが『その日の気分でころころと身長を変えたり自分より低身長になったり』されると、“アイデンティティが侵害され”・“縁を切りたくなる”、だからやめてくれと求めるのだ。
はっきり言ってしまおう。
『知らんがな』と。
検討に値しない。自らに特権を求め・他者に片務を強いている。故に耳を貸せない。
低身長や高身長は好きにすれば良い。怒る自由も縁を切る自由もある。
ただその自由は特定個人だけでなく普遍的に認められるべきもので、仮にこのユーザーに特権的保護を与えれば自由の侵害に他ならないという当たり前の話。
もちろん、そのような行為を嫌う人にそうと知って(嫌がらせ目的で)行われるようなら話は変わってくるが──それは低身長を理由にした個人への攻撃だ。
冒頭で除外した通り理由など問題ではない。『私の低身長というアイデンティティを保護しろ』の前に『私の安全が侵されている』と対処すべきだろう(そしてVRCならば特定ユーザーのブロックは容易なはずである)。
◆まとめにかえて
概して“アイデンティティ”という語は、『なんとなく守られねばならない正当性があるっぽい雰囲気を漂わせる、私が譲りたくないもの』を広く包摂して(しまって)いる。
そのように使うのは勝手だが護れ(侵すな)というのは無理である。理非ではなく可否として不可能。だってその実像が曖昧模糊としているから。
ジェンダー界隈からもメタバース界隈からも尊重せよと求める声は数多く聞かれるが、それが何なのか説明してくれる言説はとんと見かけない。
アイデンティティ侵害(と見なされた)事例は多くあるから、そこから帰納して彼らが保護を訴えているものを考察することはできなくもないが、筆者の把握する限りでは『私はこう望む』『それが満たされない』という不満を“アイデンティティが侵されている”と表現しているだけに見える。
(社会に何か訴える権利は好きに行使すれば良いが)要求するものが特権で&強いてくるものが達成不可能な義務なら、筆者は応じるつもりはない──というか応じようもないが。
そしてこの拒絶は要求者のアイデンティティを理由とするものではない。内容に無理と不公平があるから拒むのである。
以上
Twitterだと書ききれないことを書く