人は複数の性なんて持てたっけ?

(前置き)

 かつては自明と思われていた『性別とは何か』にも、今や色々な考えの人がいる。

 最初に筆者の関心をはっきりさせておくと、『ある個人が社会から男性または女性として扱われる時、その最終的な決定要因は何か?』となるが、このように問題を限定してさえ、誰もが納得する答えはありそうにない。
 また、定義や観念を問うことで実際的な問題から離れてしまう懸念もあった。

 そこで(バカバカしく見えるかも知れない)表題の問いに立ち戻ってみたのである。

■人は性を2つ持てるか

 最初に問いを明確にしておこう。

あるスペースで男性として扱われる人が、他のスペースで女性として扱われるようなことは、正当でありうるか。

本稿の主題

補足

  • ここでいうスペースとは、『男女で分かれた、現実社会にあるスペース』のこと。必ずしも物理的空間を指すわけではなく、スポーツの部門のような区別も含む。

  • “現実社会にある”とは、演劇で異性を演じるようなことはなんら問題視しないという意図。


◇法規の現在 と 肯定派の実例

 ジェンダークリティカルやトランスジェンダリズム批判、女性スペースを守る等の観点からは、『人が性を2つ持てるわけがない』という答えになるだろう。筆者も原則はこれに近い。

 一方で現行の憲法や法律に、『人の性があらゆる場面で一貫していなければならない』とする定めは無い
 筆者はこの現状を、ただ単に想定していないだけであって黙認しているわけではないと解釈しているが、いずれにせよ明確に禁じられてはいない。

 ──そして、黙認であるかのように解釈する人たちがいる。
 ここでは2つの実例を挙げる。

  • お茶の水女子大学

    • 戸籍上男性であっても女子学生としての入学を認めている。他に複数の女子大が追随を決めている。

  • 大阪弁護士会

    • 戸籍上の男性に女性としての弁護士登録を認めた実例がある。

※注※
 筆者は両組織に批判的な見解を持っているが、そこに属する学生/弁護士個人を批難する意図はない(またもし批判するとしてもそれは個人の言行に対するべきで、身体的特徴に触れるべきではないし、まして脅迫などが犯罪であることは言うまでもない)。

 察するに、これらは善意や寛容の精神によって認められたのだろう。法の抜け穴をつくようなつもりがあったかは分からない。しかし意図していなかったとしても、両団体は1人の人間が2つの性を持つことを認めた
 どんな意図だろうがその決定の効用は変わらない。狙い通りであろうと“真昼の盗人”であろうと、だ。

◇批判的検討

 一般論として、戸籍はあくまで戸籍である。個人の生活を全面的に縛るようなものではない。
 上述したように虚構の中で異性を演じるのは自由だし、男女関係における役割分担などはカップルごとに違って当たり前だ。
 女性が外で稼ごうが男性が家庭を守ろうが、それが内輪の・限定的な・私的な関係においてであれば、外から口出しする正当性は無い。公文書であろうとも。

 しかしこの一般論を以て『戸籍上は男性でも当団体の中では女性として扱います』を正当化することはできないと考える。
(他に何らかのロジックがあるかも知れないが、不明)

◯大阪弁護士会の例
 日弁連の規則のうち『性別による差別的取扱い等の防止に関する規則』には“相談員のうち半数以上を女性とし”とか“男女各一人以上を選任する”といったパリテ的な定めがある。
 恐らく当該弁護士は女性としてカウントされるだろうから、戸籍上の女性枠が削られていることになる。
(男性カウントなら『女性として弁護士登録』とはなんぞやという話になるし)

 また大阪弁護士会は、『女性弁護士による女性のための法律相談』という取り組みもやっている。ここでの相談を当該弁護士も担当するかは定かでないが……

 いずれの観点からも、『弁護士登録上の性別』は“内輪の・私的な扱い”ではない。弁護士会のメンバーではない依頼者(など)に女性として──戸籍と異なる第2の性で──向き合うわけだから。

女子大の例
 同じようなことが女子大にも、もしかすれば経産省にも言える。

 大学が学生をどう扱うかという関係性は2者間に留まらない。他の学生がその学生をどう扱うかも規定してしまう。
 お茶の水女子大の学生は、当該学生に女性として──戸籍と異なる第2の性で──向き合うことを強いられている。
 ……ジョージ・オーウェルかな?

■仮定・区分による便益

 仮に、性を2つ持てるものとしよう。
 『戸籍上は男性でも当団体の中では女性として扱います』を正当な主張だと認めてみよう。
 もちろん男女を入れ替えても成り立つ形で。

◇結果こうなる

 すると、商業施設なども各々の判断で女子トイレからMtFを追い出すことにも理屈が通りうる。
 『戸籍がどうでも性自認がどうでも、当施設の基準に基づいて貴方を男性として扱いますよ』などと。

 これは特例法で戸籍変更を済ませた人には全く恐ろしく屈辱的なことである。法の認可が無視されうるというこだからだ(現在の女子大と弁護士会はその実例になってしまっている)。

 同時にそれ以外の人にとっても大きな不利益になるだろう。
 なにしろ『男子/女子トイレに入れる基準』が施設ごとに違いうるのだ。『一目で女性と分かるフェミニンな装いでないと入れない』なんて施設すらあるかも知れない──これは歪な例示だが、現実のトランスジェンダリズムを見れば言いかねない。どんな基準をクリアすればいいか分かったものではないのである。

 単純に、極めて煩雑めんどくさいではないか。
 『基準を揃えてくれ、その方が楽だから』となるのは想像に難くない。

即断即決の益
 人の集団に対し、『本質的な違いがなくとも便宜上の線を引いて区分する』ようなことは良くある。例えば学校の1組2組といった区分に本質的な差はなく、小分けにすることに様々な便益メリットがあるからそうしている。

 男女の身体には本質的な差があるけれども、かといって男女の区分に便益が無いではない。
 例えば時間や手間だ。

 上の短い動画で、本質だけを問うなら、イエス(男性相手でも確かめる)とは言えたはずだ。その結果『流産の可能性は無い』ことが分かるだけである。
 しかし救急救命士はノーと答える。時間の無駄だからだ。命を救うための限られたリソースに損は出せない。

便益が全てではないが
 ことは人権に関わるようだから、『マジョリティの便益を僅かにも損なってはならない』などと言うつもりはない。それは差別の固定化そのものとなろう。
 しかし便益を──人の都合を──まるっと無視して良いはずがない。人間社会の話をしているのだから。

 『マイノリティーの為にマジョリティが不都合を我慢おしつけられれば良い』といった解は被抑圧者の数を確実に増やすわけで……まして『人が性を2つ持てる』とすることのデメリットは極めて大きい。

 ある急患が男性だからといって、女性でないとは限らない──そんな未来だ。職業倫理のある救急医が賛同するとは考えにくい。

 もう1つの大きな困りごとを挙げておこう。何かと話題の住民基本台帳だ。

 ある個人は生年月日を1つしか持たない。これと同様に性別も1つきりだ。特例法で変更されることはありえても同時に2つは無い。システムも想定していない。

 シングルバリューな(必ず1つだけの値が入る)データフィールドをマルチバリュー(複数の値が入りうる)に変える労力は実に大きい。
 DBMSでフィールド(カラム)設定を変えるだけならそこまで難しくもないが、話はそれだけに留まらないからだ。

 基本台帳システム──ここではDBソフトウェアとそれを運用するワークフロー全体●●のこと──にせよ、これを外部から参照するシステムにせよ、性別欄に男性という値が入っていれば女性ではないという択一●●性を暗黙の了解としている。機械的な処理の中で、ある人物が男性だという情報を得た時に、その人物が女性か否かを改めて問うようなシステムは現状ほとんど存在していない。

 これらを全て書き換えろというのだ。
 ……そうまでするメリットなどあるのか?

◇損益評価はバランスや綱引きでなく

 社会が、もしくは当事者ではない多数派集団が、少数の当事者のために負担を強いられる──これ自体は(面白くはないかも知れないが)特に珍しいことでもない。福祉と呼ばれるものは大体がこの構造を有している

 ここで伏せておくのもアンフェアなのではっきりさせておくが、筆者は車椅子で生活する障害者である。上記のような福祉からがっつり受益している側の人間だ。
 そして障害者福祉を肯定し、『人が性を2つ持てる』を批判している。

 異なる特徴に基づいての異なる見解だ。

  • 障害者福祉の受益者は障害者だけではない

  • 『性を2つ持てる』の受益者はあまりに限定的だ。

■むすびに

 このような話題に益だの損だの言い出すことは、それ自体が嫌われるかも知れない。
 しかし損益とは天秤だ。
 障害者福祉が障害者以外●●にもたらす益とトランスジェンダリズムが当事者以外●●にもたらす益を比べれば確実に前者が大きい。
 これは単なる事実であって、筆者の憎悪ヘイト嫌悪フォビアも可能な限り混じえていないことは主張しておきたい。

以上

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