句:バイナリ/スペクトラム(グラデーション)

⚠注意⚠
 本稿で解説する用語は性の区分に関して使われることもあるため、(特に性分化疾患当事者の方などには)何らかのトリガーになる可能性がある。
 ご不安な方は読まれないようご注意頂きたい。


 バイナリとは二者択一な考え方のこと。
 例えば2進数では、あるケタが$${0}$$でなければ確実に$${1}$$だ。排中律を含む論理学では、ある命題の真偽値が真でないとしたら偽に決まっている。
 現在、日本の公的書類の性別欄は男女の択一式であり、『男でないなら女、女でないなら男』としている。これはバイナリな性別観だ。

 スペクトラムグラデーションはしばしばこれの否定として用いられる。『性は双対的バイナリではなく連続体スペクトラムだ』などのように。
 最も馴染み深いのは波長に関するスペクトラムだろう。白い光をプリズムに通すと波長ごとに分光して虹色が現れるアレだ。
 他によく耳にする例としてスペクトラム障害という言葉がある。これも複数の症状が重なり合っているところからきた呼称。
 スペクトルと呼ばれることもあるが、こちらはフランス語風の発音をカナにしただけで、(英語発音に近い)スペクトラムと同じ単語である。

 ――本稿では、『身体的な性はバイナリか、それともスペクトラムか?』といった検討は行わない
 どうもスペクトラムやグラデーションということばの使用や解釈に幅があり、すれ違いがあるように思えるからだ。まずはその辺りを整理することが、この記事の目的である。
 性の区分に関する様々な議論を一旦脇において、純粋にことばの問題として捉えることとする。


◆元々の語法

 まずはそれぞれの語を辞書的な側面から解説する。

バイナリ

 バイナリとは離散的な値の一種である。そして離散とは連続の反対語だ。『離散=階段/連続=坂道』と捉えてくれればひとまずは問題ない。この比喩でいくとバイナリは『1段しかない階段』――段の上か段の下、そのどちらかということだ。

  • 離散的:変化に段階や境目があること。

  • 二値的バイナリ:離散の一種。段階が2通りしかない。

  • 連続的:変化に段階や境目がないこと。

 これらはいずれも、変化の仕方やその細かさに関する言葉である。

※大まかな理解

スペクトラム

 バイナリを説明するために離散的ディスクリートとその反対語である連続的コンティニュアスに触れたが、紛らわしいことに連続的であることと連続体スペクトラムであることは別の話だ。
 連続とは、『あるものに含まれる幾つかのバリエーションを成分ごとに分解した一覧』のようなものを指す。

(連続体と訳すのが一般的だが、個人的には複合体とか複層的とした方が誤解がないように思う)

 例えば波長が700nmナノメートルの光は、赤く感じられる単色光だ。単色ということは、これをスペクトラムに分解することはできないグラデーションでもない
 対して太陽光線や自然光は様々な波長の光が重なったものだ。真っ赤に見える夕焼けの光も、実は赤以外の成分を多彩に含んでいる。ある光がどの波長をどのくらい多く含んでいるか、プリズムなどを使って仕分けたものが光のスペクトラムだ。
 ちなみに白色LEDは、赤・黄緑・青の3色を発しているがその中間の波長はほとんど出さないので、プリズムに通すとはっきり境目が現れる――つまり連続的ではなく離散的な成分分布だ。

上:自然光/下:白色LED

 ――が、これらはどちらもスペクトラムである。LEDの方はグラデーションではないと感じられるかも知れないが。

スペクトラム≠グラデーション

 両者は似たようなことばとして使われることがあるし、場合によっては厳密な区別など不要かも知れない(少なくとも性別の文脈ではかなり混用されている)。
 が、本稿はことばを主題にしているので細かなニュアンスの違いに踏み込んでみよう。

 下の色相環は、彩度と明度を固定して色相だけを変化させたグラデーションである。
 グレースケールは彩度と色相を固定して明度だけを変化させたグラデーションだ。

色相環とグレースケールの例

 これらの色は次のように表現できる。

$$
\begin{array}{c:c:c}
\text{ } & \text{ 色相 } & \text{ 明度 } \\
\hline \\
\text{ア} & \text{170} & \text{-} \\
\hdashline \\
\text{イ} & \text{44} & \text{-} \\
\hdashline \\
\text{ウ} & \text{355} & \text{-} \\
\hdashline \\
\text{エ} & \text{245} & \text{-} \\
\hline \\
\text{①} & \text{-} & \text{100} \\
\hdashline \\
\text{②} & \text{-} & \text{66} \\
\hdashline \\
\text{③} & \text{-} & \text{50} \\
\hdashline \\
\text{④} & \text{-} & \text{8} \\
\end {array}
$$

 色相環やグレースケールを上のように表現した場合、これらは定義上スペクトラムではない変化している要素が1つだけだからだ。
 しかし同じものを次のように三原色で表すこともできる。

$$
\begin{array}{c:c:c:c}
\text{ } & \text{ R } & \text{ G } & \text{ B }\\
\hline \\
\text{ア} & \text{35} & \text{175} & \text{155}\\
\hdashline \\
\text{イ} & \text{178} & \text{142} & \text{35}\\
\hdashline \\
\text{ウ} & \text{178} & \text{35} & \text{40}\\
\hdashline \\
\text{エ} & \text{50} & \text{35} & \text{178}\\
\hline \\
\text{①} & \text{255} & \text{255} & \text{255}\\
\hdashline \\
\text{②} & \text{170} & \text{170} & \text{170}\\
\hdashline \\
\text{③} & \text{130} & \text{130} & \text{130}\\
\hdashline \\
\text{④} & \text{22} & \text{22} & \text{22}\\
\end {array}
$$

 このように、複数の成分の合成として表した系統がスペクトラムだ(グレースケールは実質的に1つの成分も同然だが)。

 違いを強調すれば以下のように言えるだろう。

  • 幾つかの色のセットがグラデーションかどうかは見た目から判断される。

  • それがスペクトラムかどうかは分析・表現の仕方によって異なる。

 グラデーションは原則的に1つの値の変化を可視化したものだ(平面にすることで2つの変数をとれるが3つ以上は難しい)。
 これでは表現しきれないものもある。例えば〈ある自閉症の個人が持つ病態〉を単一グラの値デーの大小ションで表現しきることは不可能だろう。複数の側面の重ね合わせとしか表せず、だから自閉スペクトラム症などと呼ばれている。

◆日常的な語法

 グラデーションとの違いを強調したものが上の説明だが、違和感を覚えた人もいるはずだ。『複数の重ね合わせがスペクトラムとするなら、アレもコレもスペクトラムと呼べてしまうではないか』、と。
 ――その感覚は正しい。辞書的にはその通りなのだ。

スペクトラムとは呼ばれない例

 以下のようなものもスペクトラムとしての定義は満たしている。

  • バイトbyte:8つの2進数ビットの重ね合わせ

  • 点 字:6つか8つの2進数ビットの重ね合わせ

  • 体 格:身長、筋肉量、肩幅などの重ね合わせ

  • 健 康:体温、栄養・疲労状態などの重ね合わせ

 例えば『小柄』と形容されるのは、低くて薄くて細いハーフリングやグラスランナー的な体格だろう。背は低いが筋肉の塊のようなドワーフ体型を小柄と言うことは……やや違和感を伴う。逆に、背はとても高いが針金のように細い男性のことも『巨漢』とは表現しにくい。
 つまり体格という概念は身長のみによって決まるものではなく、身長を含む幾つかの要素の重ね合わせなのだ。すなわちスペクトラムである。

 健康な人の日常的な感覚だと、『健康はスペクトラムだ』などとは言わない。会社や学校や遊びに行けるか行けないか、バイナリな判断がまずは重要なのだろう。
 ――しかし、これが健康診断や人間ドックとなれば話は変わってくる。数値に何の問題もないからといって『元気です!』で済ませる検査結果などない。血液検査(成分ごと)や尿検査(成分ごと)、レントゲンや胃カメラなどなど……沢山の項目からなるスペクトラムに分解してくれるだろう。

スペクトラムとは扱わない時

 つまり、(辞書的な定義ではない)日常的な感覚でいうと、『スペクトラムとして捉えうる・・か否か』よりも『スペクトラムとして捉えるべき・・か否か』によって主観的に分かれるようだ(『捉えうるモノ』はかなり幅広い)。

 1バイトの情報や点字を読む時、意味があるのは俯瞰した全体像であって、ひとつひとつのビットのオン/オフはそこまで重要ではない。だからスペクトラムとは捉えない
 体格や健康状態についても、小柄とか健康といった表現で充分なシチュエーションならわざわざスペクトラムに分解しない

 複数の要素の重ね合わせとしての理解は、より正確で事実に近いかも知れないが、細かく複雑なものになってしまう。身の回りの全てをそのように捉えてはいられないというわけだ。
 スペクトラムとして分析するのが面倒な時、日常の中ではグラデーションで済ませることも珍しくない。

スペクトラムがそぐわない時

 健康をグラデーションで捉えるのは、精確さに難がある。
 仮に両端を次のように定めたとして――

  • 健康そのもの!

  • ベッドから起き上がることもできない

このスケールに次の2つを当てはめれば、前者が健康寄り、後者が寝たきり寄りになるだろう。

  • ちょっとした風邪で熱っぽい感じが一日続いた。

  • 高熱で数日間寝込んで何もできなかった。

 では同じグラデーション上に外科的な怪我を配置できるだろうか。
 両脚骨折などで寝たきりに近い状態になっても、本人の自覚としては元気一杯で暇を持て余したりするものだ。軸(変化量)として活動性を取るなら『ほぼ健康』な位置に置くしかないが、事実として立って歩くことはできないわけで――

 つまり、多変量からなる『健康度』というスペクトラムを、1つか2つの変数しか持たないグラデーションで表すと無理が出る。どこかしら単純化して情報を削ぎ落とすことになるだろう。
 よって、特定の疾病の『重症度』などを分析するならグラデーションは不充分で、多変量を含むスペクトラムとして捉えるべきだ――とはいえ。

 必要がないのなら、毎日そんな分析をしたくはない。手間はかかるのだから。
 体温という単一変数だけのグラデーションでも、体調の指標としてそこそこ参考にはなる。それで充分だという健康な人にとっては、むしろ詳細なスペクトラムの方が無用の長物にあたるかも知れない。

ここまでのまとめ

 スペクトラムであるものを◯、そうでないものを✕として、次のように整理できる。

$$
\begin{array}{c:c:c}
\text{ } & \text{ 辞書的 } & \text{ 日常的 } \\
\hline \\
\text{単色光} & \text{✕} & \text{✕} \\
\hdashline \\
\text{自然光} & \text{◯} & \text{✕} \\
\hdashline \\
\text{虹} & \text{◯} & \text{◯} \\
\hdashline \\
\text{健康} & \text{◯} & \text{△} \\
\end {array}
$$

 単色光はスペクトラムにしようがない。
 自然光はスペクトラムを持っているが、普段からいちいちプリズムで分光などしない。
 虹は既にスペクトラムなので、分光される前の自然光として認識する方が難しい。
 健康の△は、『普段は✕でも健康診断の時は◯』といった意味である。

  • 単一の要素からなるものはスペクトラムではない。

  • 自然界にあるものは多くが複数の要素からなり、そうは見えずともスペクトラムとしての条件は満たしている。

  • しかし日常的には手間を省いて単純なもの(グラデーションなど)と見なすことも多い。

  • 複数の要素に分解して捉えたものがスペクトラム。

 あまりこういう言い方はしたくないが便宜上、このような使い方を『正しい』語法としたい。

◆『誤った』語法

 最後に、『正しい』語法が招く誤解やすれ違いについて触れていこう。

例)国籍

 次の前提は『正しい』語法に基づく。

◯前提(基本)
 現在、日本の国籍法は多重国籍を認めていない。日本国籍を持たない人が新たに日本を国籍を得る(帰化する)時は、それまで持っていた日本以外の国籍を捨てることを求められる。
 結果として日本国籍だけを有する状態となるため、基本的に国籍はスペクトラムではない

◯前提(例外)
 ただし新生児は例外である。

  • 両親のどちらかが日本人なら子供は日本国籍を付与される。

  • 他国――例えばアメリカ国籍は、出生地が米国内ならば得られる。親の国籍は問わない。

 結果、日米の二重国籍という状態が発生する(規定上、20歳までに一方を選ぶ)。
 つまり国籍がスペクトラムな場合はある。あるのだが……。

◯誤解
 『国籍はスペクトラムだ』と言うと、『日米の中間の国籍なんてものはない』とか『日本とアメリカの間って、ハワイ国籍ってこと?w』といった反応が返ってくることがある。中間だなんて一言も言っていないのに。これは明らかに誤解に基づくすれ違いだ。

一般化すると

◯数式での整理
 ある人が、$${A}$$を$${2}$$個と$${B}$$を$${4}$$個持っているとする。
 『正しい』語法による “所持品スペクトラム” は、『ABそれぞれの独立した2つの値』だ。対して『誤った』語法では、これを『AとBの中間物と1つの平均値』のように解釈してしまう。
 式で表せば次のような形。左右は全くの別物である。

$${[A×2,B×4]≠\dfrac{A+B}{2}×3}$$

(そもそも、別々の品であるAとBに『その中間のもの』などあるのかという話だが)

◯言葉での整理
 このような誤解は、連続体スペクトラム連続的コンティニュアスを混同しているものと思われる。

  • 連続体:複数の要素の重ね合わせであること

  • 連続的:変化がなだらかで境界が曖昧なこと

 これもまた別物だ。

 何故このような混同が生じたか、経緯は想像するしかないが、色を使った慣用句に『白黒つける』とか『グレーゾーン』といったものがある。これは『離散的か連続的か』――言い換えれば『明確な境界線を引けるか否か』の違い。
 はっきりした区分が不可能なグレースケールは見た目上グラデーションであり、そこから波及してスペクトラムにもそのようなイメージがついたのかも知れない。

 繰り返すが、スペクトラムには連続的なものも離散的なものもある

上:連続的スペクトラム/下:離散的スペクトラム

 よって、スペクトラムということばを『境目があいまい』などのように受け取るのは、少なくとも筆者の理解では、誤読・誤解の類と言わねばならない。

使われ方・解され方

 筆者の観察に基づく主観的な傾向では――

  • 論文等の中でスペクトラムということばが使われる場合、殆どが『正しい』使い方をしている。

  • スペクトラムという語を『誤って』使う例はあまり見かけない。見慣れない学術用語であるせいか、身近な単語に置換えているのかも。

  • 『正しく』使われたスペクトラムを『誤って』解釈していそうな例はちらほらと見つかった。自閉症スペクトラムの説明にグラデーションという語を使うなど。

  • グラデーションを『複数の要素の重ね合わせ』という意味で使っていそうな例は極めて少ない。

 『複数要素の重ね合わせ』概念が扱いづらいのではないかとの印象を抱いた。
 しかしスペクトラムをこのように理解していると、学術論文などを正しく読み解くことはほとんど不可能になってしまうため注意が必要だ。

 拙いまとめではあるが、『正しいスペクトラム』の箇条書きを再掲して結びとする。

  • 単一の要素からなるものはスペクトラムではない。

  • 自然界にあるものは多くが複数の要素からなり、そうは見えずともスペクトラムとしての条件は満たしている。

  • しかし日常的には手間を省いて単純なもの(グラデーションなど)と見なすことも多い。

  • 複数の要素に分解して捉えたものがスペクトラム。

以上




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