句:(全知覚に基づく自己身体像)

 この概念には決まった名前がついていない。
 意味はほぼ表題通りだが長いので、本稿では勝手にセルフ・センスズと仮称する。言い訳は末尾にまとめて。

困る!(前置き)

呼び名が多くて困る

 セルフ・センスズは幅広い分野で言及されるが、現代の語彙はあらゆるものを区分して捉えようとするせいか『全部入り』なこの概念は零れ落ちやすく、本稿がそうするように銘々が勝手に呼んでいる。

 幾つか列挙してみるが、ここに挙げた言葉が常にセルフ・センスズを指すとは限らないので注意。

エンボディメント/フェルト・ボディ/セルフ・イメージ/ボディ・マッピング/身体地図/身体規格
他多数。

怪しくなりがちで困る

 先にはっきりさせておくが、決まった名前が無いだけで本稿がセルフ・センスズと呼ぶもの自体は誰もが経験的に備えている
 怪しいものではない。

 例えば地面を歩いている時、足の裏(または杖を握る掌や車椅子と接するお尻)の皮膚・筋肉組織は体重によって圧迫される。
 圧力の強さと分布は、地面の凹凸や自身の重心などの空間座標の反映だ。二足歩行ロボットなどに計算させるにはなかなか複雑な計算が必要になるが、人体はその感知と調節をなんとなくで済ませてしまう。でなければ面の形がごりごり変わる砂利道などどうして歩けようか。多くの人が普通に歩けているのだから、間違いなくそうした機能が人体にはある
 怪しいものではない。

 が、この概念に言及する中に悪質な自己啓発セミナー等がある。宇宙の意思との合一アセンション!』やら何やら突き抜けた界隈だ。
 全部が全部でないにせよ怪しい人達である。

 確かに、ヨーガなどの技法を通じて普段は意識しない知覚情報を拾い集めていくと、体調と運次第では独特の感覚に陥ることがある。自分の心と体をどこまでも見通せたような、あらゆる制約から解き放れたような全能感だ。
 時にはそれが宇宙や悟りに感じられよう。実感として快かったり楽しかったりもするだろう。もしかしたら本当に宇宙の意思と繋がっている可能性もある。それを完全に否定できる証拠はない。

 しかし本稿は、そういう解脱感とは関係ない日常的かつ実際的な身体機能として、セルフ・センスズを紹介したいのである。
 怪しい記事ではない。完全無料。

 以下、ようやく本題である。

#とは

 セルフ・センスズとは。

歩行以外の例

 上では砂利道を歩く例を挙げた。上手く伝わるように幾つか追加しよう。

  • 自分のうなじの中心:鏡が2枚ないとそこを視認することはできないが、『大体この辺』と見当はつくはずだ。その感覚がセルフ・センスズである。

  • 皮膚感覚とマッピング:『手首から肘の間のどこか』などと場所を決めて誰かから軽く触ってもらうと、目を瞑っていても『ちょうど真ん中』『手首のすぐそば』など感じ取れるだろう。正確さにはかなりの個人差があるが。

  • 狭い隙間を抜ける:ドンキホーテやヴィレッジヴァンガードで、肩や肘が商品に触れることなくスルッと抜けられるなら、セルフ・センスズが正確ということだ。

  • 触覚だけではない:セルフ・センスズは全知覚を手がかりにする。空腹/満腹感、息のしやすさ/しにくさ、手足の温かさ/冷たさなど漏れなく含む全てだ。それらは、少なくとも試合直前のスポーツ選手にはとても重要である。

知覚された自己身体像

 比喩的な説明になるが、『感覚情報を基にして頭の中で組み上げた自分自身の3Dモデル』がセルフ・センスズ=全知覚に基づく自己身体像 である。

セルフ・センスズの調節

 あくまで感じる結果なので、ぴったり実像と同じとは限らない。
 というより、トップクラスのアスリートでもなければ普通はズレているのだろう。上で挙げた『手首から肘』の例でさえ、目を開けると触れられた位置に驚くことが珍しくないのだから。

明らかにズレる例

 おそらく最も著名な例は幻肢痛だろう。事故などにより身体の一部を欠損しているのに、無いはずのその部位に痛みを感じるという。
 その人が持つセルフ・センスズには、まだその部位が有るのだ。目を閉じればそのようにしか感じられず、目を開けると自分の知覚(視覚か痛覚か)に裏切られるのである。

 あまり知られていない少数ながら逆の事例もある。実際には神経も血管も繋がっている(はずの)身体の一部が、セルフ・センスズにおいて損なわれてしまう場合が。
 医師で神経学者のオリバー・サックスは、登山中の事故から生還すると『自分の左足はどこかに行ってしまった』『ここには無い』『左足があった場所には今、良く分からない気持ち悪い肉塊が繋がっている』としか感じられない状態に陥っていた。
 その自覚症状、過去の症例記録、回復過程などは詳しく記録されている。

(オリバー・サックスは、映画にもなった『レナードの朝』の元ネタである。映画は事実に基づく創作だが原著はノンフィクション)

ズレて戻る最中の例

 自分でもたまたま体験した。

 神経ブロック注射は、狙い定めて薬剤を注入することで特定の神経だけをピンポイントにブロックし、その先に繋がっている組織を麻痺させる
 麻酔が効いている間は脚の一部が完全に無感覚になって動かすこともできなかったが、サックス氏のような『妙な肉塊』感も生じなかった。

 面白いのは、感覚のある肉と無い肉の境界を感じたことだ。
 脚は前側と後側の神経が腰の辺りで分かれているので、後側を麻痺させても前側は普段通りである。後側の皮膚に軽く触れても何も感じない。更にもう少し押してみると……前側の組織がその圧力を感じる。すごく変な感じ。
 健康な人が脚を後から前へ押し込む時、その圧力は後担当と前担当の2本の神経が感じ取る。『その感覚から片方(後担当神経の信号)だけを抜き去ったもの』を感じていたのだろう。麻酔の影響下でないとまず感じないし、今はもう正確に思い出せないけど。
 比喩的にいえば肉の境界面はなんだかガビガビしていた。それが正常かは知らない。

 ところで、当たり前ながら麻酔は切れる。
 身体の付け根に近い方から脚先へと順繰りに、オフにされていた感覚がオンに戻っていく。それはまるで、ものすごくゆっくり機械鎧オートメイルを繋がれるような不快感だった

 肉の境界以上に伝わりづらいだろうし、そもそも正しく言語化できる自信は全くないけれども、あの不快感は『ズレ』だったのだと思う。
 感覚が戻ってくる度に、『脚の神経から伝わってくる信号』と『頭の中に仮組みされたセルフ・センスズ』と『目に見える自分の身体』が食い違うのだ。

 麻酔は数時間効き続けていて、恐らくその間にセルフ・センスズは脚を一部失ったような形に更新されたのだろう。
 そこに麻酔が切れることで、無いと思っていた組織からの信号がいきなり入ってくる。何これサイバー攻撃? みたいな、そういう混乱だったのではないだろうか。
それが踵の辺りまでビリビリと降りていった。

 …………貴重な体験!

もう少しよくある例

 よくあると言いつつ、この例も分かる人にしか分からない。ブロック注射よりは多数が知っているはず。

 通称:アリス症候群である。

 眼の疾患で起こっている場合は除外として、すぐそこにあるはずの手先が遥か遠くに感じられたり、腫れ上がっているわけでもない肩の肉に埋もれて息ができなくなる気がしたり、爪と指の肉の隙間に入り込めてしまうような感覚がしたら、それはセルフ・センスズの乱れと言える。
(全て実体験)

 原因がはっきりしないので健康に関わることは何も言えないが、こういった経験を持つ人にとってセルフ・センスズという概念は理解しやすいはずだ。
 逆に、セルフ・センスズと実際の身体がぴったり合っていてズレたことがないような人には全然ピンと来ない可能性が高い。

この概念を通して

 独自の名前まで付けて長々と書いた動機は、この概念が性別違和を理解する手がかりになるかも知れないと考えたからだ。

 自分に男性器がついているのは絶対におかしい、とか。
 自分の胸が膨らんできたことがどうしても受け入れられない、気持ち悪い、とか。

 そういった実感を性別違和または性別不合という。

 そう言われても、体験したことが無ければピンと来ないというのが正直なところではある。
 歯に衣着せず言えば疑いを抱く人さえいるだろう。

 しかしオリバー・サックスの事例やセルフ・センスズの概念を踏まえて、人体の複雑さを再確認して欲しい。言語化できない実感は、極めて主観的で他者からの観察が難しいけれども、存在しないわけではないことを。

 (本稿で扱った事例と性別違和の体感はまるで違う可能性が高いが、)『人体は不思議だからそういうこともあるかな』位には受け入れられそうに思う。

 本文は以上。
 以下は重箱の隅的な言い訳。

セルフ・センスズで良いの?

 あんまり良くない。他の案を却下していった末の妥協。

  • 全知覚に基づく自己身体像:知覚senseは『(視覚や聴覚など)他と独立した単一の感覚』を指す言葉なので、“全感覚に〜” の方が近い。自分でセンスズという語を当てたので表題も知覚に揃えた。
    あと長い。

  • 全感覚に基づく自己身体像:一部界隈で感覚feelという語がかなり否定的(嘘や我儘に近い)ニュアンスで使われていて、そこから距離を取りたかった。
    いずれにせよ長い。

  • ボディなんちゃら:セルフ・センスズは身体と関連する概念だが肉体ではないのでボディという語を使いたくなかった。あくまで頭の中のもの。実体bodyではなくimageなのだ。

  • セルフ・イメージ:辞書的にはとても近い。
    でもこれ、近年では『プロデュース』するモノ、つまり他人から自分がどう見られるかという文脈がついてきて、それはセルフ・センスズと全く縁遠い概念なので却下。

  • フェルト/センスト・イメージ:感じられた像、ということでかなり近いけれど、イメージ単品だと何の像なのか分からなすぎてフェルトFeltボディBodyイメージImageとかセンスト・セルフ・イメージとか加えたくなる。
    結局長くなるし、略してFBIとかなっちゃうので却下。

  • セルフ・センスズ:聖闘士星矢っぽいので採用。

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