かわのともみ

とにかく何か書きたい性格です。 映画、音楽、読書とインドア派ですが、ここ最近はコンサー…

かわのともみ

とにかく何か書きたい性格です。 映画、音楽、読書とインドア派ですが、ここ最近はコンサートやライブハウスには行きます。Xやめたい。私はとにかく無難に愚痴りたい。 私の個人サイトもあります。 My Hometown http://azuls.oboroduki.com

最近の記事

うつ病になるまで。其の三

思い切って実家に帰る事に。  1988年ごろに、だいたい自分はどういう人間なのか考えるようになる。 もう今さら、他人のあの人がこうだった、ああだったと書こうとは思わない。 あの頃自分がどうだったかを考えることに絞っていく。  出入りしていたサプライ商品の営業マン(以下Aとする)とお付き合いするようになった。そのことが、実家にSOSを出すきっかけにはなった。 職場の人間関係も、何もかも上手くいっていなかった。 彼には私が重荷だったに違いない。必要以上にすがることもあった。

    • 潜在意識にある、とある消したい男。2

       どうしてこんな事を書き始めてしまったのかと後悔している。 まったく面白くない。思い出せば思い出すほど面白い話ではない。 ドラマみたいな話って思ってたけど、どう考えてもアホな話でしかなかった。 そう結論づけられるなら書いた意味はあると思うので、続行する。  話は本店で背後霊扱いされていたころに戻る。 この頃の記憶は薄れかけている。 密かに好きだったSのことで少し振り回されていたのは前回の話。 いい加減にしてくれない?と思って、私もSさんのこと好きだったけれど忘れようと思っ

      • うつ病になるまで。其のニ

        前回からの続き。1988年頃。  配属先で私を待っていたのは、いつも顰めっ面のコーナー長だった。 同じフロアの、デパートの人たちやお客様には愛想の良い顔を見せているものの、私とは絶対目も合わさずに、ひとことふたことの指示以外は全く会話がなかった。 こんな頑固な人、見たことがない。 そのレコード売り場、社員3人、アルバイト2人で回していた。コーナー長、先輩の男性社員、私、アルバイトの女の子2人。 お昼はそのデパートの社食で取るのだけど、だいたい1人で社食に行ってた。  コソコ

        • 潜在意識にある、とある消したい男。

          家電量販店からデパートのレコード売り場に移る前にあった出来事。  前回は仕事のことで上手く行かなかったことだけを書いたのだけれど、恋愛でもややこしいことがあった。どういう訳かわからないけれど、つい最近まで夢に出て来る男がいた。  幸いなことに、 「彼が夢に出て来るっていうのは、きっとあの人が魂のレベルで私を求めているからかも」 とか惚けたことを言うつもりはない。そもそも信仰に従えば、それはあり得ない。自分の潜在意識が夢を見させているだけで、しかも無意識に悲恋を選んでいる。

        うつ病になるまで。其の三

          うつ病になるまで。其の一

           ひとくちにうつ病といっても、多分この病については患っている人、個々に原因や症状はちがうと思う。今さら、このことを書くのでさえしんどい。 集団認知療法があるようだけど、私はそんな療法は嫌だ。うつ病同士分かり合える?それは無理。こうすれば良くなるという説教も要らない。かえって重荷になる。  辛い立場から逃げ出せたら5割くらい、寛解に向けて進めたくらいかな。 あとの5割は、うつの間にどれだけ自分の身体を労り、ウォーキングやストレッチなど、難易度がなるべく低いことを取り入れて身体

          うつ病になるまで。其の一

          ジンジャーエールと稲垣潤一とあれこれ。

           ジンジャーエールを初めて飲んだのは高校生だったかな。 三宮のさんちかにあった「デザート・アイランド」で、アップルパイと一緒に。 アップルパイが載ったお皿にはバニラアイスも添えられていて、なかなか食べ応えがあった。  明石の「くるみや」でのお気に入りのケーキがジンジャーケーキだった。 生姜はそんなにきいていた感じはなかったけれど、甘さ控えめでちょっと大人みたいなお味ながら表面にも生クリームが塗られており、ちゃんとケーキとして満足出来るものだった。それで、ジンジャーエールとい

          ジンジャーエールと稲垣潤一とあれこれ。

          一期一会

           初めての友だちは、近所に住んでいた同い年の好美ちゃんだった。 小学一年生の入学式前に、親同士が私たちを引き合わせたのかもしれないが、よく覚えておらず。通常なら小学校の近くにある幼稚園から小学校に上がるので、ある程度子どもたちは顔見知りであり、遊び仲間としてすでに旧知の仲であるのに対し、私は保育園から小学校へ上がった。私の母は末の弟を出産して後に大病を患い、入院生活を約一年ほど送った。末の弟は祖母の家に預けられ、双子である私と弟は父と3人で暮らした。3才までのことなのでほぼ記

          仲良くなれない。

           かわのともみ、来年は還暦。 この年で薄々気がついたのは、私は人と仲良く出来ない。 最初は特に問題もなく、楽しくやれていても、何かが起こる。 こんなこと書くのは恥ずかしいけれど、この分だと死ぬまでこのままかもしれないと思い始めた。  生まれてからここまで、友だちはいなかったというわけでもない。 どっちかというと、20代までは友だちも知り合いも多い方だったと思う。 それなのに、長続きしなかった。長続きさせようという努力もして来なかったように思う。生まれ育った土地から60キロ離

          仲良くなれない。

          自己紹介

           かわのともみと申す者です。よろしくお願いします。 簡単にネット上での活動の略歴などを書いておきます。長年使って来たハンドルネームは、アスル。azulとも、アズールとも使い分けておりましたが、匿名性でのやり方に自分自身、無責任にならないよう、noteではひらがなの名前にしました。 noteでいろんな人の記事を読むのが楽しくなって来たので安住の地になれば良いなと思っています。 SNSなど... Instagram My Hometown Blue sky パソコンはすべて

          音楽を部屋で楽しみたいけど悩み、多し。

          Xにての独り言をまとめました。 男女限らずかもしれないけど、オーディオの解説する人って男の人が多いような気がするわ。そこまで凝れないし、拘り方がまず違う気がする。私の場合は気分よく音楽が聴けたら良いわけ。 Onkyoの復刻ポータブルレコードプレイヤーは、私でも物足りない。音が篭ってる。でもレコードプレイヤーで気分良く良い音が聴けたらさ、レコード盤がほしくなるでしょ。 そうなると音飛びするレコードを買い直したいという新たな欲望が湧いて来てキリがなくなる。CDか、レコードか、サ

          音楽を部屋で楽しみたいけど悩み、多し。

          ビリー・ジョエル in CONCERT at 東京ドーム part4

          TOKYO DOME - JANUARY 24, 2024 23曲目 Piano Man ピアノ・マン  アルバム「ピアノ・マン」から。  いよいよピアノ・マン。みんな大好きなピアノ・マン。 もうすでにビリーの代名詞となった曲。最近のニュースで、ニューヨーク・ヤンキースの試合を観戦しているビリーの姿をカメラが捉えて、球場にこの曲が流れ、観客一同が肩を組んで合唱するという光景を見た。ビリーもたいそうご満悦の様子。愛されている。  80年代の日本公演で、ピアノ・マンがセトリに入

          ビリー・ジョエル in CONCERT at 東京ドーム part4

          ビリー・ジョエル in CONCERT at 東京ドーム part3

           午後5時半、開場。 私はホテルの小さな部屋で一息つき、一通り静電気を退治した後、ヨレヨレのまま再びあの東京ドームへ向かった。それがちょうど開場時間の午後5時30分だった。開演は午後7時。30分でJR水道橋駅まで行けるとみて、ゆっくりとホテルの最寄り駅に向かった。  前回に書いたように東京ドーム到着時、午後6時頃には広場前は人でごった返しており、まずどこから入ろうかと思うも、記念写真を撮る人が多かった。私もそこで出会した方々に写真を撮ってほしいとお願いして撮ってもらった。心

          ビリー・ジョエル in CONCERT at 東京ドーム part3

          ビリー・ジョエル in CONCERT at 東京ドーム part2

          いざ東京ドームへ!  2024年1月24日当日。前日は一睡もできなかった。ここ鹿児島では雪が降り積もっていた。午前8時台の鹿児島空港発、羽田空港行きの飛行機に乗る為には午前6時までには家を出なければならない。道路にはうっすら雪が積もり、ところどころは凍結しているところもありそうなので、車を出してもらえるにしろ、スピードは控えめに、急がずゆっくりと走ってもらうには時間の余裕が必要だった。私を送ってもらうために事故してしまったら、申し訳ないどころではないし、最悪空港に行くのも断

          ビリー・ジョエル in CONCERT at 東京ドーム part2

          ビリー・ジョエル in CONCERT at 東京ドーム

          チケットを入手するまでの話。 One Night Only in Japan 2024年1月24日水曜日。  一夜限りのコンサートをビリー・ジョエルが日本でやるって。 その第一報がどこからもたらされたのかもはや覚えてはおらず、まさかそんな日が来るなどと思ってもいなかった。 1993年にアルバム「リヴァー・オブ・ドリームス」をリリースした後、 ビリーは現役ミュージシャンとしての活動からの半引退状態で、彼の活動はライヴを主体とするものとなったからだ。その後、クラシックへ移行す

          ビリー・ジョエル in CONCERT at 東京ドーム