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情報を絞ると得られるもの、

しばらくぶりにザンビアの思い出を書いてみる。
もうすでに28年も前のこと、僕の若かりし日の思い出。
おっさんの思い出話、お付き合いいただければ幸いだ。

当時1996年、ザンビアではテレビを持っている家庭はまだ少数派。当時のテレビはすべてブラウン管を使ったもの。
ルサカの都市ですら地上波は1チャンネルか2チャンネルの局しか無かった。

ラジカセは、大抵の家庭が持っていて、情報収集はラジオがメイン。
当時CDプレーヤーは、まだほとんど流通していなかった。

僕がいたのは、ルサカから350kmほど西に位置するカフエ国立公園、ンゴマキャンプ。
当然ながら、ルサカの都市と比べても、家電製品に関しては、さらに流通していなかった。

なにせ、キャンプでは夕方から明け方にかけて電気は来るが、それ以外の時間帯は電気が来ていない状態。
24時間電気が流通しているわけではなかったのだ。
電化製品、電気がなかったらただの箱である。

また、水道に関しても、時間制限で流通していた。
制限はあるものの、電気も水も流通していたので、それほど生活に支障は感じなかったな。

当然、町から離れたキャンプ、新聞など売っているわけでなく、テレビがあっても電波が届かないので、情報収集には使えない。

それでもラジオは、キャンプの中でもしっかりと受信出来る。
だから、キャンプの住人たちは、ラジオのニュースの時間になると、集中してラジオに耳を傾けるのだ。

ザンビアの国鳥、サンショクウミワシの鳴き声「ピョーー!、ピョー、ピョー、ピョ!」とバックミュージックで始まるニュースのオープニング。
10年以上経過した後にザンビアに行ったのだがその時も、同じオープニングテーマだった。

また、新聞は、彼らにとっては情報の宝庫、町に行った際、買って帰ると大いに喜ばれる。

次にだれかが新しい新聞を持ってきてくれるまで、みなでまわし読みされる。
新聞は、くたくたになるまで、多くの人たちに読まれ続けるのだ。
新聞としても、それだけ多くの人たちに目を通してもらえれば、本望だろう。

それだけ外からの情報に乏しいところ、もちろんインターネットなどない。

今では考えられない状況だが、今思えば、とっても贅沢な状況だとも思っている。

何せ、マスメディアによる、コマーシャルや、印象操作、洗脳、そういったものにも触れずに済むのだ。
だから、メディアの影響を受けず、さらにはSNSなど人がどうしてるとかも関係ない。

雑念が全く入らない状況。
だから、とことん自分の心で感じ、考える事が出来たのだ。

その代わり、人々との直接の会話を通して、いろいろな事を教えてもらった。
ゲストハウスに住んでいたのだが、何か作業をする以外、家には寝に帰るだけ。

これは、僕の人生の中でも一番貴重な体験だったのかもしれない。

押し付けがましい情報から逃げられない現在の世の中


ある意味、世界中ほとんどの場所でインターネットにつながってしまう今の世の中では、なかなか味わえない贅沢とでも言えるだろう。

時代の流れからは遅れるだろう。さて、時代が流れてわれわれの生活の本質的なもの、何か良いように変わっただろうか?

僕の中の人生観が強く形成されたのも、ザンビアでの経験が大きかった。


自ずと雑念がシャットアウトされた状態でしばらく過ごすことによって、ピュアな自分の考えが形成された。

別に何か悟ったとか、すごい思考が形成されたとかという訳ではなく。

自らの魂の言葉を、聴けるような状態だと思う。
情報の渦の中に浸かっていては、なかなか聞こえてこない、自らの魂の声といおうか。
ある意味第六感的なものかもしれない。

盲目的に、流行に乗るとか、メディアが何か煽っているとか、以前と比べて冷めた目でしか見れなくなった。

情報選択が命さえ左右する今の世の中、自らの魂の声に耳を傾けよう

間逆で相対する情報であふれかえっている今の世の中。
どの情報を選別して行動に移していくかも、本人の選択にゆだねられている。

自らの魂の言葉が聴けないとなると、物事の本質を見られないというか、簡単に流されてしまうとも言える。

世界中の人々がインターネットを通して手軽にコミュニケーションを出来るようになったのは、非常に良いことだと思う。
でも、その便利さによって失われたものもまた大きいと感じるのだ。

現在インターネットの届かない極地などでも、インターネットがつながるように、気球を使ったり、衛星を使ったり。

地球上にいる一般人が誰でも情報に触れられ、世界にひとつにすると言っても、結局は世界中の人々を監視下に置いて都合の良いように扇動するのが目的に見えて仕方がない。

さて、冒頭の写真について。

上の写真は、ビデオショー


僕の滞在していたキャンプにあったテレビは数えるほどしかなかった。
テレビがあってもテレビ番組は見れないが。

このテレビの所有者は、サッカーのキャプテン、ミスター、ピリー。
彼は、VHSのビデオをつなげ、映画を流して、無料で公開。
なかなか粋な計らい。

映像、映画を観る機会がなかなか無い、キャンプの住人たちはテレビを取り囲み映画を楽しんでいる。

映像に飢えていた僕も、一緒に見たビデオショー


当時、よく見られていたのは、ジャッキーチェーンとかのアクションもの。
南アフリカの、サラフィナという映画も評判で、良く流されていた。
あとは、コンゴのミュージックビデオも良く見られていた。

テレビが導入され始めたばかりの頃の日本も、テレビを取り囲む同じような光景があったのだろう。
その頃の日本人の第六感、今よりもずっと研ぎ澄まされていたはず。

思い出話というよりも、妄想話になってしまった。

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