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小さなカメラは、僕には向かないようだ

連続投稿をしばらく続けておりましたが、ヒョンな事から、毎日連続投稿に失敗。
うまい具合に、連続投稿から開放されたのでありました。
連続投稿は結局何日続いたのかな?たぶん34日前後。

自己満足のための、自分への挑戦でありました。

ケニアから投稿しているので、時差の関係上(-6時間)ケニア時間の18時が日本の0時。
そのケニア時間17時55分に、公開をクリック。
しかしながら、ネット回線の遅さから5分間の余裕を持っていてしても、投稿に失敗してしまったのが投稿が途切れた理由。

それ以来、書く気が失せてしまい、しばらく投稿が止まっている状態でした。

投稿に失敗した記事は、公開を取りやめ、今回は別の記事になります。

今後noteでは、週1か週2で投稿していく予定です。

今回は、私事ですが、僕自身小さなカメラが向いていないんだなーという理由を書いていきます

さて、若かりしの思い出話を少し聞いてくださいな。

僕には、小さなカメラがどうも向かないようだ

まず、理由を言うとずっと昔、ザンビアに行ったころ。時代は1996年にさかのぼる。

ザンビアへ行ったのは、とにかく自分自身がアフリカに、ドップリと漬かりたかったから。
そもそもの理由は、そのさらに2年前のケニアのツアー旅行。
それ以来の、僕の心に語りかけ続ける、「アフリカに戻る!」という魂の叫びを聞いたのが理由だ。

そして、写真が撮りたかった事。

国はザンビアにこだわったわけではなく、こだわっていたのはアフリカ大陸、そして、野生動物が豊富な国。

当時、ザンビアで1年ばかりのビザを取得出来る機会に恵まれたのがザンビアに滞在した理由だ。

当時の僕はテレビの制作関連の仕事、主にカメラアシスタントなどをしていた若干23歳の若造。

ザンビア滞在をお手伝いしてくださった方、現地でお世話になった方々には、今でも非常に感謝している。
この場でお礼を申し上げておく。

当時は、まだまだフィルムの時代。

1996年当時、デジタルカメラはすでに発売はされていた。
38万画素とか100万画素未満の程度の画素数のデジタルカメラが量販店に並んでいた。
オリンパスだったか、100万画素を超える画素数のデジタルカメラが、すげー高画素だと思えた時代、デジタルカメラ創世記

当時は、作品として写真を撮るのにデジタルカメラはまだまだ力不足。

僕自身は、当然ながら100パーセントフィルム、リバーサルフィルムで撮影に挑んだ。250本ばかりのフィルムを持っていったと記憶している。

ザンビアに持っていったカメラは、F4s、F3T、F3の3台。
レンズは、トキナーの20-35mmF3.5-4.5、ニコンAis35mmF2、ニコンAis50mmF1.2 、トキナー28-70mmF2.8、ニコンAF105mmF2.8マクロ、ニコンAF80-200mmF2.8、ニコンAF300mmF4、ニコンAis500mmF4、フラッシュSB24、SB25、SB17
三脚は、ジッツォ3型4段のシステマ、この三脚、今でもバリバリ現役で使っている。

手軽さを妄想してコンパクトカメラを購入

上のカメラ、どれもゴツいので、手軽に撮影できるカメラがあったらなーとコニカのビックミニという、コンパクトフィルムカメラをわざわざ購入して持って行ったのだ。

こんなコンパクトなカメラがあれば、いつでもどこでも手軽に持ち歩けスナップ出来るなー。
そんな事を妄想して、

ザンビアへは、中華航空で台湾経由で南アフリカ、ヨハネスブルグに。
そこからザンビアエアーだったかに乗り換えザンビア、ルサカへ。


台湾に1週間滞在

当時、台北から南アフリカへは、1週間に1本の便のみ。
ということで、台湾では1週間の観光を行った。

鉄道、バス、飛行機を使って、地球の歩き方の台湾編を片手に一回り。
インターネットなど一般的でなかった時代、情報源は地球の歩き方のみ。

今思うと、とんでもなく大きな荷物を持って台湾を一周したわけで、70リットルのザックと、大きなカメラバッグ。
スーツケースは持ち歩きに不便だと思って、持っていっていない。

カメラバッグは、ロープロのザック型、上記の機材がすべて入るサイズなので、相当に大きい。

ザック2個は到底持って運べないので、台北の三越だったかで、折りたたみ式台車を購入した。

70リットルのザックを背負って、カメラバッグを載せた台車を引きずりながら、電車やバスを乗り継いで、台湾を反時計回りに1週した。

街に到着してから、安宿を探すわけである。

当然僕自身、中国語などできるわけもなく、英語もほとんど出来ないレベル。

今では考えられないパワーと気力とバイタリティー。
結局、行ってしまえば、どうにかなるのである。
当時、若干23歳、若いうちはこれぐらいのバイタリティーが。ちょうどいいと思っている。

そんな若造を出迎えてくれた、台湾の人々の優しさは今でも忘れない。
そのうち、その台湾での経験をここで話すかもしれない。

若いうちは重量化を奨める

そのバイタリティーの源泉というか、源は、さらに若いころの経験が大きいと思う。

北海道、道東を高校時代から、自転車で2度回った。
その時は、リアサイドバッグ、フロントバッグに加え、1度目は35リットル、2度目は70リットルのザックを背負っての自転車ライディング。

全て自炊のキャンプ旅行、カメラ機材と相まって相当に重い。
重量は計測していないのでわからないが、2度目の旅行、35キロは下らないはず。

それぞれ、数週間の自転車旅行を終え、東京に帰ってきた後、自分でも驚くほどに体がパワーで漲っていた。

負荷をかけてパワーを使ってこそ、体がパワーで漲るのだ

その後、テレビ番組制作で大雪山に3ヶ月こもった事などもあるのだが。その時はボッカ、荷揚げの仕事をやったりもした。
荷揚げは大抵40kgから50kg

白雲から、トムラウシなど経由して大雪を一回り、トムラウシ温泉で荷物の総重量を測ってみると45Kg。再びトムラウシに登って、別ルートで旭岳を経由して白雲に戻った。
今、Googleアースでルートをたどってみると、当時の思い出の数々が頭をよぎる。

この荷物を担いで、F4sにサンヨンを取り付けたカメラをさらに三脚に取り付けて、それを片手にひとり山を歩いていた。
すれ違う登山客からは、忍者のようだといわれたり。

休憩時、そんな重い荷物を降ろすと、体が空を飛べるほどに軽く感じた。

年を重ねた今でも、当時からの余韻が残っているようだ

こんな形で、体に負荷を加え続けていたのが理由か、荷物に対しての重さは大して気にならなくなってしまっている。
というか、軽いのが苦手な体になってしまっている。

それは今でも続いており、荷物が無いと、歩いていても物足りない。

だから、いまだウォーキングする時なんかも、カメラなどの持ち物が無ければ5リットルのポリタンクに水を詰めて背負って歩いたりする。

また、長期のロケなんかの時、体は思いの他なまってしまう。
そんな体を復活させるため、マサイマラでは、10Kgばかりのカメラバッグを担いで、徒歩可能な見晴台を、1時間ばかり上り下り。
体力を復活させたりした。

そんな事を続けているせいか、いまだに1日中、サンニッパを首からぶら下げていても大して疲れない。

人間の能力は驚くほど高めることが出来る。
僕とは縁もゆかりもないが、トップレベルの登山家や、フリーダイバーなんかは、その最たる存在なんだと思っている。

どこまでも鍛えられる人間の体、逆にどこまでもひ弱にでもなれるのだ

その逆に、若いうちにから、荷物が重い重いといっていれば、軽いものでも重く感じるひ弱な体になってしまう。

そんなひ弱な体も、突き詰めていくと底が無いのだろう。

現在の世の中、こちらのほうに進行しているように感じる。


あれ、何の話をしていたのか?
小さなカメラが僕に、向かない理由だった。

アフリカにたどり着くことなく消えた、コニカ、ビッグミニ

台湾の話をしたのは、コニカ、ビッグミニは、あまりのコンパクトさから台湾での旅行中に無くしてしまったから。

新品で購入したビッグミニ、ザンビアにたどり着くことも無く、旅行中の写真を現像することも無く、僕の手元から姿を消してしまったのだ。

僕にとって小さなカメラは向いていないと教えてくれた訓辞だったと思っている。

大きなカメラであれば、そんなことも無かったであろう。
現に他の全てのカメラは、いまだ完動状態で次回の出番を待っている。
でも、残念ながらケニアではフィルムの現像は出来ないのだ。


普段から大きな荷物を持っていたのもあってか、大きく重いカメラでも大して重く感じないし、だから、僕にとってカメラが小さい必要も無いのだ。

適度な負荷を体に与え続けるのが、生涯長く撮影を楽しめる秘訣ではではないかと思っている。


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