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「本を読む」という行為/『という、はなし』

電車やカフェで目の前に座っている人が本を読んでいると不思議な感覚になるときがあります。

目の前に座っているその人は、わたしにとっては全く知らない人。

どんな性格でどんな人生で、何がすきで何がきらいで。なにひとつわからないということは、わたしがいま手に持っている、本のなかの登場人物よりも知らないのです。本のなかの人たちよりも、もっともっと遠い人。なのに、そんな人がまた本を読んでいるなんて…と考えるとぐるんとしてきます。

でもそれをさらに俯瞰して見ていたとしたら、わたしもその一人なわけです。もしかしたらわたしも誰かがもっている本の、登場人物かもしれないし……だなんて考えてくると、なんだかもう頭のなかがぐるんぐるんと回って来ちゃいます。

本を読むってほんとうに不思議です。

それぞれに物語があって、風景があって。

吉田篤弘さんの『という、はなし』を読んでからはますます「本を読む」という行為について考えるようになりました。

この本は、先に挿絵があって、そのあとにお話が紡ぎ出されるという少し珍しい物語。あっというまに読めてしまう、小さな24話でできている一冊です。

登場人物たちは、妻が寝静まったベッドの中で、月曜日を憂いながらキッチンで、仕事帰りの電車の中で、本を開きます。

なぜ本を読むのでしょうか。なにを読んでいるのでしょうか。

「さあ」とつぶやき、ページをめくる瞬間の喜び。紙とインクの匂い。これから始まる未知の世界への胸の高鳴り……外は静かな夜で……物音ひとつなく……く……。

これは「眠くない」という章の一部。本を読むために全ての準備を済ませて、あとはページを開くだけ……という状況は、きっと誰にでもあると思います。それから、「……」のこの続きも、きっと経験あるんじゃないかな。

他にも、電車に乗っているときの読書について。次で降りないといけないのにいま良いところ!もうあとちょっとで終わるのに……!なんて状況もきっとあるある。

本を読むときのさまざまなシチューエーションのさまざまな感情で行われる「本を読む」という行為そのものが、物語になっていて読みながらにやにやしちゃうことも。

挿絵のイラストもすごくかわいくて、わたしだったらこのイラストからどんなストーリーにしようかな、と考えるのも、またこの本の楽しみ方かもしれません。

また、少し本がすきになれる一冊。


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もっともっと新しい世界を知るために本を買いたいなあと思ってます。