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産後の私 中編

こんにちは。ちひろと申します。
今回は前回の続きとなっております。
まだの方はこちらからお読みください。

さて、念願の退院です。

自宅に帰って来ました。
今日から家族3人の生活が始まります。

家事は教えた。夫は無職で家にいる。
準備は万端。

しかし、私は既に病んでいました。

よく不安を口にして夫の不安を煽ったり、

「赤ちゃんに何かあったら許せない」

などと恨み言を言っていました。

我々夫婦は最初、早番私、日勤2人、夜勤夫と分担性にしていました。
今考えるとそれが良くなかった。

夫のいない間、私は普通に家事をして、普通に生活をしていました。

勿論入院中終わりかけていた出血は再開。傷口が開いていたんでしょう。

産院では自宅に帰ったら悪露が増えると教わっていたので、そういうものだと思っていました。

本当は赤ちゃんのお世話以外は横になって休まなければいけなかった。

産後ハイで動き回っていました。

産後ハイが終わると抑うつ状態になり、
強い不安感から泣いてばかりいました。

赤ちゃんの泣き声にイライラして、ひたすらに耐えていました。

産後10日目の夜、お露の量が急激に増加。

見たことのない量の出血がありました。

産院に連絡したところ、横になって様子を見るように言われました。
産院から掛け直すから待つようにと。

1時間、2時間経っても出血は続いていました。
産院から連絡はありません。

不安になった私たち夫婦は救急車を呼びました。
産院に着くと強い口調で叱られました。

「3時間経ったら電話するつもりだったのに」

「こんなことで救急車なんて呼ばないの」

「救急車を呼ぶ前に連絡して」

3時間後に電話するって最初から言って?
助産師が怖かった。医師には笑われた。
悲しくて涙が止まらなかった。

子宮収縮剤の点滴をしてタクシーで家に帰った。

その日の夜はあまりの腹痛で、もう1人生まれるかと思った。

産後の悪露は結局3ヶ月続いた。

あまりにも赤ちゃんにイライラするから、1人でお世話することができなくなり、夫が24時か対応してくれた。

家にいてもなんの役にも立たないから、産後2ヶ月で職場復帰をした。

体はしんどかったけれど、産後の体を気遣ってくれる人は誰もいなかった。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

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