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責任とは何か?~責任は重圧でも使命でもない~ #虎note

こんにちは、虎( https://twitter.com/tiger_stlv )です。

人間社会で生きていると「責任」という言葉が付き纏います。

責任が好きかと問われたら、好きと答える人はあまりいないかもしれません。あなたが「責任」というワードを見た時に、どんな感情が出てくるか考えてみてみてください。

大変、重い、リスク、逃げられない、めんどくさい……など、大抵ネガティブなものではでしょうか?

そのように、我々は責任に対して固定した解釈を持っているものです。

今日は、その責任と呼ばれる概念について、新しいアプローチから考えてみましょう。

きっとこのnoteを読み終わる頃には、新しい視界が開けているはずです。

また末尾に特典も用意してますので、是非最後まで読んで特典まで受け取ってくださいね。

レスポンシビリティとアカウンタビリティ

一般に、責任と言われると人は『レスポンシビリティ』のことを指します。

言われたことをやる、仕事を遂行する、など「負ったことをなす」という概念のことを言います。向こうからやってくる、というニュアンスの責任ですね。

責任というとこちらのイメージを思い浮かべませんか?

本当は負いたくないけど仕方なく。
大人だから嫌々。
自分には重いけど役割だから。
他の人がやらないから……

こういった責任は全てレスポンシビリティ。レスポンス、つまり「命令に対する応答」としての責任です。

ですが、責任として我々の人生に働くのは『アカウンタビリティ』としての責任です。

今日はそのアカウンタビリティとしての責任に加え、責任の本質について解説していきます。

アカウンタビリティとは

アカウンタビリティ、耳慣れない単語だと思います。

一言でいうと『自分の人生に起こることは全て自分の責任である』という姿勢や考え方のことを言います。

これは一般に検索で出てくる説明責任などのことではなく、状況や環境に関わらず、現在の今の自分、また今の自分の行動や選択、そしてその結果すべてが自分の責任であるということを指します。

例えば、今の職場で働くことが嫌だとする。上司や同僚が嫌いだったとする。そこで仕事の愚痴を言いながら仕事を続けることもできるかもしれません。ですが、その仕事場を選んだのは自分であり、その仕事場で仕事をし続けることを選んだのは自分です。つまり、辞めることも続けることも、本質的には自分の責任です。よって、今の職場で働くのがつまらないのは自分の責任であると考える。

このような考え方のことを言います。

一般的に責任というと『誰かのせい』『ここからここはこの人の責任』といった、悪いのは誰かという視点によって見られます。

ですが、アカウンタビリティとしての責任の考え方は、誰が良い悪いではなく、今の状況はただ過去の自分の選択の結果であり、それを続けるか続けないかも自分の責任であると考えます。

こう考えた時、人は新しい視点の自由を手に入れます。

考えてみてください。

そのようにいつも考えて、勇気を持てたら、責任は自分を縛るものではなく、責任は自分を自由にするものだと思えませんか?

我々が持つべきは、アカウンタビリティとしての責任です。

今日から「誰がどれくらい悪いか」という議論をやめ、「今の自分の状況は全て自分の過去の選択の結果であり、そして自分はここから何に責任を取って新しく行動できるか」と考えてみてはいかがでしょうか?

責任の根源について

そして、より責任の本質的なことについてお伝えしていきます。

結論から言うと責任は「恩寵」「恩恵」そして「恵み」です。

どういうことでしょうか?

例えば、この世の中に責任というものがなかったとしたらどうなるだろうか、考えてみてください。

まず電車はダイヤ通りに来ない。
電気は付かない。
食べるものがなくなり色々な人が餓死する。
子どもがひとりぼっちで放っておかれる。
世の中の取引というものも成立しない。

もしあなたのお父さんお母さんに責任がなかったら、あなたの人生はどうなるでしょうか、もしくはどうなっていたでしょうか?放っておかれて死んでいた場合もあるかも知れません。

私の場合は恐らくグレていたはずです。人を殺してすらいたかもしれません。

では、あなたに今より責任感がなかったら、どうなっているでしょうか?

もしあなたに責任感が皆無だったら?私だったら絶対家賃を払わないので家を追い出され、その上仕事をしないので餓死しているでしょう。借金まみれで世の中を非常に憎んでいるかも知れません。

貴方はどうですか?

貴方に今より責任がなければ、貴方の人生はどうなっていますか?

父親は?母親は?パートナーは?上司は?子供は?

その人たちに責任感がなければ『今』が成り立たないのはわかりますか?

責任はどこから来るのか?

貴方も親御さんがいたことで死なずに済んだ、教育を受けられた、グレなかった、などの恩恵があったと思います。

これは親御さんに責任があったからですが、ではこの責任とはどこから来ているのでしょうか。

別に子どもを放っておいてもいいし、産まれた子どもをすぐ施設に入れてもいいはずです。

それにも関わらず、あなたを育ててくれたのは何故でしょうか?

そのように人は負わなくても良い責任を負ってくれているのですが、それは何故か。この責任というのはどこから来ているのか。

それは「愛情」です。

責任というのは根本的に愛情がなければ生まれてきません。

我々には責任を取らない分野というものがあります。

通りすがりの人間や、ホームレスに対しても基本的に何もしないでしょう。

それは、そういう人に対して愛情を抱いていないからです。

たとえ表面的に愛情を感じられなかったとしても、やらなくてもいいことをしてくれる、取らなくてもいい責任を取ってくれるということは、愛情がなければ100%為されません。

責任というのは愛情を表現する行動です。ですから、相手に対して責任を取らないということは「その人に対して愛情を持っていない」ということを表明しているということです。

私は教え子に「責任を取れ」「責任感を持て」と指導するのですが、何故そういうことを言うのかというと、責任を取らないということは「貴方のことを愛していません」という表明になってしまう側面があるからです。

ですので、逆に言うと我々は、育ててもらった親御さんや友人などに、「そこまでやってもらわなくていい」はずの責任を何故取ってもらっているのかというと、それはその人に愛されているから、それだけです。そして、愛情に理屈はありません。

先程電車のダイヤの話をしましたが、私は電車が時間通りに来ることをすごいことだと思っています。

例えば山手線の運転手さんは、私からすると相当人類愛に満ちている人です。本人にその自覚はなく、自身の給料のために仕事をしていると言うかも知れませんが、本当にお金のためだけにやっているのであれば別の仕事でもいいはずです。

そういった愛情がなければ、電車は平気で遅れてくるでしょう。2時間くらい平気で遅れてくる国もあります。その国の人が愛情がないという訳ではないかもしれませんが、乗客の人生がどうなってもいいと思っているから2時間遅れることができるのだと思います。そして、乗客もそれを気にしてないからそれくらい遅れるのではないでしょうか?

それは、自分の人生、そして他人の人生を大事にしている人の行いでしょうか。

責任を取りたくない理由

なので責任感があるというのは、どれだけ厳しく見えたとしても、自分の望まないような表現だったとしても「あなたに愛情を持っています」という表現です。

責任は重い、面倒くさいものだと捉えられがちですが、何故そう思うのかというと『自分が責任を取る時にはそれだけの愛情を持っていないとできない』ということを知っているからです。

責任には必ず行動が伴うので、責任を取るために何かしらの行動をしますね。

その際、その行動を取ることで自分にとって不利益なことが発生するかもしれない、という思いが発生すると思います。

例えば何かしら搾取されたような気持ちになる、クライアントに何度も説明することにより時間を奪われる、など。

なので、その責任を取るだけの愛情を持った人になりたくない。それ故に、責任に対して「重い」「めんどくさい」という解釈を持った状態で留まる。その方が楽だから。リスクを取らないために。

だが我々というのは、どこまでも自己認識が行動に付いてくるようになっているので、責任を取る行動を繰り返ししていくことで「自分は愛情を持った人間だ」「自分は責任をとれる人間だ」という風になっていくようにできています。

そして恐らく、責任に対してこのような「重い」「めんどくさい」という認識を持っている人というのは、責任感が高い人を見たことがあったり、責任感のある人に関わられたことがある人だと思います。

その責任感が高い人を見て、すごく大変そうだと思ったり、自分だったらできないと思ったり、あるいはあなた自身にとって何か失敗経験があったのかも知れません。

ですが、責任について考える時に大事なことは、そのような認識ではなく愛情の面に目を向けるということです。

あなたが誰かに責任を取ってもらった、責任を取っている人を見た、もしくはあなたが責任を取ろうと頑張っていたということは、愛情を与えてもらった、もしくは愛情を持っていたということを意味します。

すなわち、責任感を持つ、責任を取るということは、目の前の人を愛するということに他なりません。

私にとって責任という概念は、その人に愛情を向けるということです。この記事を読んだ人も、是非そういった観点で世の中を見ていただきたい。そうすることで何か新しいものが見えるかも知れません。

おわりに

いかがでしたでしょうか。

これまでにイメージしていた責任とは違うものだったと思います。

是非、新しい責任を手にして、世界に羽ばたいて行ってください。
責任は我々を自由にし、より高い成果を手にさせます。

新しい責任から、貴方が自分の人生で素晴らしい恩恵を受けることを心から願っています。

お読み頂きありがとうございました。

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