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『傷つきたくない』を超えて生きる ~挑戦する人生を手に入れる~ #虎note

こんにちは、虎( https://twitter.com/tiger_stlv )です。

どんな人も「今より、より良い人生を生きたい」という気持ちがあるものです。

お金を稼ぎたいとか、モテたいとか、友達が欲しいとか、現状より良い状態を望むように我々はできています。
それを夢と呼んだり、理想と呼んだりするものです。

では、貴方は人生においてどんな夢がありますか?
・自分でビジネスをする、独立する
・月収100万円を稼ぐ
・異性からモテる
・好きな人と結婚する

次に、それらの夢を叶える為に何が必要かを考えてみてください。
熱意?
知識?
人脈?
行動力?
確かにそれらは夢を叶える為に大切なものかもしれません。

例えばビジネスであれば熱意を持って勉強し、知識を蓄え、いろいろな場所に顔を出して人脈を広げていく。

これらを継続していけば、一歩ずつ夢に近づいていくことでしょう。
ですが、1つお聞きしたいことがあります。


それ、やっていますか?

もし貴方が今考えたことをコツコツと続けていたら、貴方の夢はもう叶っているのではありませんか?
この文章を読んでいる方の中にも、既に自分の夢を叶え、そして新しい夢に向かっている人もいると思います。

ですがもし、まだ貴方の夢が叶っていないのなら、貴方が考えた『夢を叶えるために必要なこと』よりも前に、超えなければならない大きな障壁があり、それが貴方を停滞させている原因かもしれません。

既に夢を叶えて次に向かっている人と、今ここで停滞している人の違いはなんでしょう?

SNSを見ていると、いつも何かの無料プレゼントを受け取っている人が居ます。
2年前も、今も、無料プレゼントを受け取っています。
その人は、いつ自分の夢や理想を追いかけ始めるのでしょうか。

夢に向かって行動することを阻害するもの

我々は「夢を叶えたい!」と思った時、自分の中から出てくる、ある想いが出てきます。

それが障壁の正体です。

断言します。

貴方がどれだけ勉強をしたり、どれだけ人脈を増やしたりしても、その障壁を乗り超えていかない限り、貴方の夢は叶うことはありません。

貴方の夢の実現を阻んでいるのは、どのような想いか?

お伝えします。

それは、貴方の内側から出てくる


『傷つきたくない』という想い


です。

この気持ちは、貴方が夢への第一歩を踏み出そうとしたときに出てくる最初の壁になります。
必ずと言っていいほど、貴方の心のブレーキとして存在しています。

今回のnoteでは、貴方が夢を叶えるために必要なマインドセットから、『傷つく』という感情や感覚の本当の目的とそのメカニズムについてお伝えしていきます。

・夢を叶えたい
・頑張っているのに結果が出ない
・もっと結果を出したいのに停滞している

これらに当てはまる方に必要なのは、スキルでもノウハウでもなく『傷つきたくない』という想いを超えることかもしれません。

この内容は仕事、人間関係、恋愛など、人生のあらゆる分野において言えることです。

ですので、noteを読んで満足するのではなく、「自分の人生ならどうだろう?」と考え、実際に使うために読み進めていってください。

ではいきましょう。


『責任を取らない』夢の持ち方

貴方には仕事(お金)、恋愛、人間関係など、人生のあらゆる分野で得たい成果があると思います。

その分野において、何があれば、望んでいる成果(欲しいもの)が手に入れられるでしょうか?

どんな分野でも構わないので、考えてみてください。

例えば、仕事の分野でいうなら「月に100万円を稼ぐ」という夢があったとします。
貴方は「月100万円を稼ぐ」という夢を叶えるには、何が必要だと考えるでしょうか?
・人脈
・能力
・スキル
・マインド

など。

「◯◯があれば、〜〜を達成できる。」
という形に当てはめて考えてみてください。

『◯◯』にはその成果を出すために必要だと思う条件を
『〜〜』には貴方の欲しい夢を
いくつでも構わないので、思いつくだけ書き出してみましょう。

・仕事(お金)
例)人脈/能力/スキル/マインド…があれば、月100万円を稼ぐことができる。

・恋愛
例)良い容姿/たくさんのお金/立派な肩書き…があれば、素敵な恋人ができる。

・人間関係
例)もっと会話がうまく/気遣いができるように…なれば、友達が増える。
家族関係、健康、ダイエット、勉強、何かのスキルの上達など、他の関心のある分野でも、同じく書き出してみてください。

書けた方から読み進めてください。

たくさん書けましたか?

ではここで、残念なことをお伝えします。

今書いていただいた
「◯◯があれば、〜〜を達成できる。」
の◯◯(条件)は、貴方が成果を出さないために止まるための条件でもあります。

もう一度言います。

貴方が書いた「◯◯があれば」という条件は、貴方の夢を叶え”ない”ためにあるものです。

どういうことでしょうか?

例えば、貴方がモテるための条件として
「コミュニケーション能力、魅力、顔、センスがあればモテる!」
と考えたとします。

これを言い換えるなら
「それらがあれば勝手に異性が寄ってくるだろう」
「自分がモテないのは、それらがないからであって、自分は悪くない、自分のせいではない」
という無責任な在り方をしている、と言えます。

「◯◯の条件さえあればモテる!」と言うのは
「それらの条件がない自分はモテなくて当たり前だ!」
と言っているようなものなのです。

では、貴方はそれを今身に着ける努力をしていますか?
絶対的に変わらないもの、自分には無理なものだとして、諦めていませんか?

なぜ自分と同じような容姿でもモテている人がいるのでしょう?
なんだったら、自分より容姿が劣っていてもモテている人は沢山いますよね?

ということは、◯◯は関係ないんです。

◯◯を理由にして、努力することから避けている自分を見ないようにしているだけです。
人は「◯◯があれば」と言っている時、努力をしない自分のせいだ!なんてことは思わないんです。

なぜ責任から逃れるのか?

ではなぜ、我々はこのような条件をつけ、無責任な在り方を続けてしまうのか?

その理由は、貴方が

「傷つきたくない」

という想いを持っているからに他なりません。

「モテる」を例にとれば、
「コミュニケーション能力、魅力、顔、センスがあればモテる!」
と思っている人は、意中の人にフラれても
「自分がフラれたのは、コミュニケーション能力/魅力/顔/センスが無かったからだ!」
「世の中の女(男)は、どうせコミュニケーション能力/魅力/顔/センスのあるヤツが好きなんだ!」
と言うことができますよね。

このように言うことで貴方にはとても良いことがあります。
それは、傷つかないで済む、ということです。

貴方は責任を自分以外のものに押し付けることによって
『傷つく』という体験から逃れることができます。
「お金がないからモテないんだ!」
「コミュニケーション能力がないからモテないんだ!」
と言えば、モテないのはお金やコミュニケーション能力のせいにできますよね?
実際は貴方自身がモテていないだけなのに。

ですが本人は深いレベルで「傷つきたくない」という想いを持っている為、このことが見えておらず、本気で「◯◯がないからモテない」と考えます。

ここで想像してほしいことは先述したように、現実にはその分野において、それらの条件を持たずして成果を出している人がいるということです。

お金を持たずにモテている人はいるし、コミュニケーション能力が高くない人でもモテている人がいるのです。ブサイクでもモテている人は沢山いるんです。

書き出したリストを今一度見てみてください。

それらの条件を満たしていないのにも関わらず、貴方が求めている成果を出している人がいると思いませんか?

成果を出すために「必要である」と考えた条件が多いということは、それだけ貴方が『傷つきたくない』と思っている、ということなのです。

条件の多さが、貴方の心の弱さとも言えるでしょう。

だってそうですよね?

結婚なんか、一番わかりやすいと思います。
ハイスペ婚とか、自分はこれだけいい男(女)みたいにSNSで条件を羅列している人、結婚してないですよね?

条件を並べたところで愛されるわけがないんです。
条件がなければ愛されないと思っている心の貧しさと、条件がなければ人を愛せない卑しさが、その人を結婚させていないのです。
私達は条件にこだわればこだわるほど、責任から逃れているんです。
責任から逃れたいから、条件にこだわるんです。

スペックを自慢するその裏にある、心の弱さに目を向けなさい、ということです。

『傷つきたくない』を超えろ


『傷つきたくない』

その想いだけのために、夢や理想に条件を設けて、自分が「傷つかにように、傷つかないように」と受け身の姿勢を取っている。
こんな無責任な夢の持ち方をしていては、貴方の夢の実現は遠ざかるばかりです。

先述したように、貴方が望んでいる成果を出す為に色々な条件が出てきたのであれば、貴方はその分野において『傷つきたくない』『リスクを取りたくない』ゆえにその条件によって自分を守ろうとしているのです。

もっと言えば、貴方が夢を叶えるために必要だと思っている条件は、自分が傷つきたくないがために作り上げた嘘です。
我々は『◯◯をしたら〜〜がもらえる』という報酬系を植え付けられています。

この『◯◯をしたら〜〜がもらえる』というパターン(≒報酬系)は非常に強力で、我々にとって魅力的です。
なぜなら、我々は幼い頃からそのパターンによって報酬を得てきたからです。

ですが、この『◯◯をしたら〜〜がもらえる』という考えは、自分が成功していない分野においては完全なる錯誤を産みます。
成功していないにも関わらず『◯◯をしたら〜〜がもらえる』と思っていて、それが間違っていることに気付かず、うまくいかなければその条件や相手のせいにします。

間違っているのはその条件設定であり、自分です。

自分を変えたくないから条件や他人のせいにするのです。
自分を変えたくない、というのは心の弱さです。
自分が否定されることを恐れているのです。

これが先述した、条件の多さが心の弱さだということです。

『◯◯をしたら〜〜がもらえる』が、今現時点で手に入っていないなら、変わるべきは貴方だということです。

『傷つき』に慣れることとその報酬

我々は既存のパターンに反して報酬を得ようとすることを極端に恐れます。

今まで成功してきた(成功するに違いないと思い込んでいた)パターンに反し、新しい行動をして挑戦するということは、失敗するかもしれないし、損するかもしれないため、大きな恐怖を覚えるのです。

我々は新しく何かに挑戦した時
「ああ、やっぱりこの挑戦は間違っていたのかもしれない」
という言葉が出てきます。

その言葉に従うことで、安心できる既存のパターンに戻ることができるからです。

いつもなにかに挑戦をしているけど、失敗し歩みを止めてしまう人は、この一連の流れを繰り返していると言えるでしょう。
ですが、夢を叶え、現実を変えていきたいのであれば、恐怖を超えて挑戦していく必要があります。

「怖いからいつものパターンに戻ろうよ」という自分の声を無視して突き進む必要があるのです。
書いてもらった『夢を叶えるための条件』も、全ては貴方を既存のパターン(今と同じ)に留まらせる為のものなのです。

なのでその条件が頭に浮かんだら
「はいはい、そう思うよね」
と言って無視して行動していく必要があるのです。

先ほど
『貴方が夢を叶えるために必要だと思っている条件は、自分が傷つきたくないがために作り上げた嘘』
と述べたように、我々が夢を叶える為に条件なんて意味も必要もないのです。


それ(条件)があったところで、貴方は夢を叶えませんよ。

条件なんていりません。
貴方がお金を稼ぎたいのならば、お金を稼ぐことが必要です。
貴方が恋愛をしたいのであれば、恋愛をすることが必要です。
我々はその物事を通じてでしか、経験を深めることができません。

貴方は
「お金を稼ぐには、お金を稼ぐことが必要です。」
と聞いて、どのように思いましたか?

「何を言っているの?」
「どうすればいいの?」
「方法がわからない」
「どういうこと?」

自分の中からどんな言葉が出てきたでしょうか?

これらも反応の一つです。
このような反応があるということは
「誰か、自分に稼ぐ方法を教えてくれないかなぁ」
と待っている受け身の状態です。
これは『稼ぐ』ということに対してリスクを取りたくない、つまり『傷つきたくない』気持ちの現れです。

そんな貴方に必要なのは、今日書いてもらったような条件ではなく、傷つくことを恐れず『稼ぐこと』に責任を取り、「これで稼いでいくぞ!」という能動的な姿勢なのです。

それが、どんなものであっても、向いていなくてもやるんです。
自分が働かなきゃ死ぬんだったら、今日すぐどうやって働いてお金を稼ぐか考えますよね?
嫌な仕事でもやりますよね?
そういう覚悟がないだけなんです。
だから、心が弱いと書いたのです。

「お金を稼ぐには、お金を稼ぐことが必要です。」ということを聞いた時に「わからない」という言葉が出てくるように、
我々は何か挑戦しようとする際に出てくる文句や愚痴、つまり恐怖を適切に扱っていく必要があります。

貴方が何かに挑戦しようとしたとき、頻繁に出てくる言葉の裏には、どんな気持ちが隠れているのでしょうか?
何から傷つくことを恐れているのでしょうか?
ワークを用意したので取り組んでみてください。

Q. 貴方が成果をあげたい分野、もしくは、先ほどのワークで条件がたくさん出てきた分野において、「その分野で成果を出すためには、その分野の成果を出してください」と言われた時にどのような言葉が出てくるでしょうか?
例)
「お金を稼ぐためにはお金を稼ぐ必要がある」と聞いた時に出てくる言葉
・やり方がわからないな
・時間がないな
・失敗して笑われるのが嫌だな
・どうせできないだろうな
「恋愛するためには恋愛をする必要がある」と聞いた時に出てくる言葉
・やり方がわからないな
・嫌われるのが怖いな
・自信がないな
・モテないしな

書けましたでしょうか?
今から大切なことをお伝えします。

貴方が夢を叶えたり、成果を出したりする上で大切なことは、自分の中から出てきたその気持ち、そのことを体験することです。

失敗することが怖いなら、失敗をしてください。
笑われるのが怖いなら、笑われてください。
恥をかくのが怖いなら、恥をかいてください。
自信がないなら、自信がないままやってみてください。

これが一番の近道となります。

我々の脳みそは『成功』と『失敗』でしか躾けることができません。
「こうしたら失敗するのか…」
「こうしたら成功するのか!」
という2つを学習し続けることで報酬系を書き変え、傷つくことを恐れずに進めるようになっていきます。

我々には、小さい頃から親しんできた『◯◯をしたら〜〜がもらえる』といった受け身の姿勢が染み付いており、そうでない報酬の得方を知りません。
その報酬系から外れた瞬間に「わからない」といった恐怖が出てきて停滞するのです。

ならば必要なことは、自分の中にある恐怖を超えて『成功』⇄『失敗』を繰り返して報酬系を書き換え続けていくことです。
どの分野においても、です。

貴方の中から出てくるその恐怖に立ち向かっていくことが達成への近道になるのです

これは決して楽なことではありません。
ですが、「苦しい」となったときに諦める人がほとんどであるため、逆に言えばチャンスになり得るのです。
貴方の本当に欲しいものは、貴方が避けていることを超えた先にあります。

大切なのは
『逆風を浴びても、やり続けること』
です。

自分が『傷つきたくない』という恐れを感じていることに飛び込むことは、勇気がいるし、大きな恐怖を感じるでしょう。
時には諦めたくなったり、逃げ出したくなったりもすることでしょう。
しかし、そんな時はこのように考えてください。

傷つきさえすれば上手くいくんだ」と。

そう信じることができれば、リスクを取り「もう少しだけ頑張ろう、進んでみよう」と思えるのではないでしょうか。

傷つくとはどういうことなのか?

前段では、我々は恐怖から来る
「いつもの慣れ親しんだ報酬の得方(パターン)に戻りたい」
という働きがあるから、『傷つきたくない』という思いで歩みを止める。
だからこそ恐怖を超えて、傷付いて、成功と失敗を繰り返し、報酬系を塗り替える必要がある。

といった内容についてお伝えしてきました。

逆風という恐怖に突き進むことは、誰しも怖いものです。
ですが、そのことを超えていかなければ人は理想を実現しない。
そこで、『傷つきたくない』という恐怖が少しだけ和らぐかもしれない、『傷つくこと』の正体についてもお伝えしようと思います。

夢を叶えるためには、傷つくことや、その恐怖に立ち向かう必要があると書きました。

では、そもそも我々の言う『傷つく』とはなんなのでしょうか。

・凹むこと
・悲しむこと
・挫折すること
表現は色々ありますが、我々は『傷つく』ということが存在すると思っています。

傷つくということが存在すると思っているからこそ、苦手な分野で何かしらの失敗をしたときなどに「あぁ...…傷ついた…...。」と表現するのです。
では反対に、貴方が得意な分野で失敗をしたとき、どのような気持ちになるでしょうか?

得意な分野や既に成功体験がある分野において、何か失敗したときのことを思い出してみてください。
もちろん傷つくこともあるでしょう。
しかし、それと同じくらいかそれ以上に
・悔しいな
・楽しいな
・次はどうしよう
・自分ならできるはずだ

と思っているのではありませんか?

つまり、得意分野に挑戦する場合、その体験をそもそも『傷つく』と解釈をしていない可能性があります。

この心の動きは、貴方は得意な分野において、『傷つく』ということを『機会』『チャンス』と解釈していると捉えることができます。

つまり、貴方が何か失敗をして
「傷ついた」
と言っているその”傷”はただの解釈であり、事実ではありません。

同じことが起きたとしても傷つく人とそうでない人に分かれます。
つまり『傷つく』というのは貴方が選択しているのです。

ドMな人がなぜ存在するのか。
それは彼らは『傷つく』という解釈を持っていないからです。
傷つくことが事実ではなく、解釈だとすれば、その出来事をどう解釈しようと貴方の自由です。

その出来事で「傷ついた」という体験をするのか、「チャンスだ」と楽しむのかの決定権は貴方にあります。

ですが、我々は解釈の自由を与えられているのにも関わらず、貴方は『傷つく』という解釈を自ら選択しています。

それはなぜでしょうか。

『傷つく』という解釈をすることで、貴方にメリットがあるからです。

貴方は『傷つく』ことで何かを隠すことができます。
考えてみて下さい。

貴方が
「あぁ、傷ついた...。」
と感じているとき、何を隠しているでしょうか。

貴方が「傷ついた」と言っている時、貴方が隠していることがあるとすれば、それは何ですか?


答えを言います。

実は、貴方が傷ついているとき
『気持ち良い』
ということを隠しています。

どういうことでしょうか。

例えば、先ほど触れたように、得意分野や成功体験がある分野において、何か失敗したときは「傷ついた...。」という気持ちよりも
「悔しい!!」
「失敗したけど楽しい!」
という感覚になったことがあるはずです。
要は、我々は傷ついている状況から『傷つく』という感情を取り払うと、『気持ち良い』が残るようになっているのです。

「本当に気持ち良いのなら、隠す必要なんてないだろ」と思いますよね。
ですが、隠す必要があるから隠しているのです。

なぜ『気持ち良い』ということを『傷つく』で隠すのでしょうか。

例えば、上司から強めに怒られたとします。
そのときに、もし貴方がそれを「気持ち良い」もしくは「有難い」と好意的に解釈してしまうと次のようなことが起きる可能性が出てきます。
・努力する必要が出てくる
・さらに大きな責任を取る必要が出てくる
・さらに大きな負荷に向かう必要が出てくる

人はこうした事象を「不利益だ」と捉えているため、傷つくことによって我々は気持ち良さを隠しているのです。

傷つくこと、凹むこと、悲しむことなどをすれば、これらを回避できるということを知っているため、傷つくことで自分を守っているのです。
想像してみてください。

幼稚園生くらいの子どもが何かをやらかして怒られているとき、ニヤニヤしているイメージは湧かないでしょうか。

ニヤニヤして反省の素振りも見せず
「失敗しちゃった(笑)」
と言っている姿、想像できないでしょうか?

つまり、元来人間は失敗したところで傷つくようにはできていないのです。
むしろ、失敗したら次どうしようかなと楽しみにすらするようになっているのです。
ですが、その幼稚園生くらいの子どもは、失敗してニヤニヤしていると、それに対して周囲の大人から「何笑ってんだ!」と怒られ、傷つくということを覚えます。

「あ、傷ついたフリをしておいた方がいいんだ。」
「次回、改善することより、この人達は反省している姿勢を求めているんだ。」
「反省している姿勢さえ出せば、この人達は何も言ってこないんだ。」

と、学習します。

傷つくフリをすることで、それ以上怒られなくなったり、周囲から慰めてもらったりする、ということを覚えていくのです。

貴方もそのような経験はないでしょうか。
傷ついて落ち込んでいれば、周りの人が優しくしてくれる。
怒られて傷つくことで、これ以上の不利益を被らずに済む。

それらは貴方に取って都合が良いですよね?

我々にとって『傷つく』の根本は快楽です。
面白い、楽しい、気持ち良いと同じなのです。
失敗したから次はこうしよう!という心が根本にあって、それは楽しいことなのです。

しかし、それをそのまま表現すると、怒られたり詰められたり、余計なことになるな、と学習した結果、我々は「傷つく」ということを覚えます。
傷つくことで、「これ以上自分を攻撃しないで。」というフリをしているのです。

失敗しても快楽を得られるという点で、人間というものは素で軽いドMなのです。
しかし、貴方が実際に深く傷ついているとき、表面的には物凄く深い悲しみの中にいるように感じ、それが『快楽』なんて思えませんよね。

我々は、そのくらい深いレベルで自分を騙しています。

『傷つく』に前向きになる

貴方がもし深く傷ついたときに

「今傷ついたけど、これはただの解釈だよね。」

という風に考えられるようになってしまうと、貴方にとって良くないことがあると本当は知っています。
傷ついたことを横における、傷つかなくなるのは良いことだと思いますよね?

そうではないんです。

どういうことでしょう。

『傷つく』ということを「これは解釈だ。」と横に置くことができるようになった時、貴方は次にすべきアクションがすぐに出てきてしまい、動かざるを得なくなってしまいます。

つまり、失敗したことに責任を取らなければならなくなる。

言い換えると我々は、傷つきの渦中にいて気持ちが凹んでいると錯覚している間、『停滞していられる』のです。

また「傷つくは解釈である」と思えている自分の姿って、想像できますか?
傷つくのは解釈じゃなく、現実に起こってることだ!って思いますよね。
そうしたら、傷つくことは貴方の人生に恐怖として存在し続けますよね?

そうなると「こんなことが起きたら傷ついてしまって、つらい」
という恐怖が我々を停滞させることが継続します。
禅問答のようですね。

わかりやすいように、例えを出します。
仕事で言うなら、『怒られても傷つかない自分』を手に入れてしまったら最後、いつも次にすべきアクションが明確になり、それをこなすことで仕事ができるようになって、さらに忙しくなるかもしれないし、上司や部下からも頼られるようになり責任が増えるかもしれません。
そのうえ、今の自分からしてみれば傷ついてしまうようなことに平然と向かって行けてしまう。

それは今の貴方にとってデメリットなのです。

私達は傷つきたい

例えば、貴方がいつも怒られている上司や先生などから、怒られなくなる、つまり傷つけられなくなると考えたらどうでしょうか。

喜んで!という人もいるかもしれません。
ほっとする人もいるかもしれません。

ですが、少し「寂しいな」という感覚は生まれないでしょうか?

このことから、人によっては『怒られる』≒『傷つく』ということで、甘えたり、可愛がられている感を得たりするといった快楽を得ている場合もあります。

そういう人は自立したくない自分を持っています。

自立してしまえば、甘えたり、わがままになったり、駄々をこねたりすることが出来なくなり、デキる大人になってしまうからです。
それが嫌で、他人に甘える自分に執着し、怒られたり失敗して傷つく、というパターンの中から出たがらないのです。

貴方はどうでしょうか?
『傷つく』ということからどんな気持ちよさを得ているでしょうか?

この観点から、ナチュラルに他人を怒らせるような振る舞いをする人や、人のことを煽る癖がある人というのは大体ドMです。
人に怒られて傷つきたいんです。
そうすることで気持ち良くなれると知っているんです。

我々にとって『傷つく』ということは、気持ち良くなれる機会であるため報酬と言えます。

我々は精神の世界で報酬をもらうと、現実の世界で報酬をもらうことができないようにできているので、「傷ついた...。悲しい...。(≒気持ち良い)」という心理的な報酬をもらうことで、現実に変化が起きなくなります。

傷つけば傷つくほど、現実で手に入れたいものが手に入らなくなるのです。
大切なことは、『傷つくこと』は『気持ち良いこと』なんだと自覚することです。

これを自覚できると「めっちゃ怒られて『傷つく』けど、確かにこの感覚、気持ち良いのかもなぁ...。怒られることで愛情を感じて気持ちよくなっている自分、なんか気持ち悪いな(笑)。」
となります。

そこまでくればやがて自然とそこで心理的な報酬をもらわなくなるでしょう。
それはつまり、そこで初めて現実に変化を引き起こすことができるようになるということです。

ここまで、『傷つく』ことで隠していること、そしてそれによって何を得ているか?をお伝えしてきましたが、大切なのは『傷つきたくない』と思う分野は、それだけ成長の機会が眠っている分野でもあるということです。

『傷つきたくない』と思うということは、傷つくことに慣れるだけでも成果がたくさん湧き出るということかもしれません。

『傷つく』ことそのものに気持ちよくなったり、へこんだりするよりも、まだまだ自分は傷ついて成長できるのだ、ということに喜びを持てるようになることが、貴方が人生で大きな成果を得ていくための道であるかもしれない。

そんな風に思うようにしてください。

『傷つくこと』のその先へ

前半は『傷つくことに立ち向かうこと』
後半は『傷つくとは快楽であるということ』
についてお話ししました。

夢を叶えたり、現実を変えていくには『傷つきたくない』という『恐怖』をたくさん超えていく必要があります。

もし貴方が勇気を出して何かに挑戦し、そこで傷ついたとしても、本質的にその傷つきは、我々にとって気持ちの良いこと、喜ばしいことなのです。

貴方が
「傷つくって怖いけど、それはただの解釈で、実は気持ち良いし、楽しいことなんだ」
ということに気がついたら、どのような未来が待っているでしょうか。

そのように考えられれば、我々に必要なのは一歩目を踏み出す勇気だけなのかもしれません。

もし貴方が現状を変えていきたいという想いや、何か達成したいことをお持ちなら、『傷つきたくない』という自分の気持ちは、夢に近づくサインだと思ってください。

そして、喜んで傷付きに行ってください。

自分は何を恐れているのか?
なぜ恐れているのか?

そして、その『恐怖』を超えたら、どういう未来が待っていそうか?

それは、貴方自身が一番よく知っているはずです。

この記事を読んだ貴方が、少しでも逆風に立ち向かう勇気を持ち、挑戦し、今抱いている理想を実現できる一助になれば、嬉しく思います。

お読みいただいてありがとうございました。

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