見出し画像

はじめまして

日々がありがたくて幸せなんだと感じる
ささやかな出来事から感じたことを綴っていきたいと思います

山も海も程よく近い田舎で
バレエやヨガをしたり
心穏やかに過ごせるお手伝いをする
小さな教室しております

我が子との時間
高齢の祖母との暮らし
素敵な友人たちとの出来事
大切な人たちとの思い出

当たり前にある日々がどれだけありがたいか
つい忘れてトゲトゲしてしまう時もあるけれど

ささやかな幸せを感じられる自分でありたい

娘のことを綴っています

9年前
娘2歳、息子0歳でひとり親になりました

価値観が合わなかったという言葉もあるけれど
人と人としての相性だったのかもしれない

子ども2人と猫たちとの生活

仕事復帰することになり保育所へ通い始めました
私自身、本当はもう少し一緒に過ごしたかった気持ちもあり
子どもたちは泣きながらの登園

身体も心も疲弊して
子どもたちにやさしくできない時があった
私が甘えてしまった

それでも少しずつ保育所に慣れてくれ
泣き顔も笑顔も嬉しかった

その頃父が癌だとわかり
こどもたちを会わせたこともなかったので
友人たちに協力してもらい一緒に長距離移動をして会いに行った

その夜実家で
寝ていた娘が突然起きて
天井を見たまま痙攣みたいな状態に
慌てて父たちを呼び一緒に救急に
検査もしたけれど特に異常もなく
翌日には元気に

自宅に戻ってからも変わりなく過ごしていたけれど
保育所で流行っていた風邪をひき
受診してそのときは発熱と咳で
夜も落ち着かないようなら救急へと言われました

夜になり熱も下がらず呼吸もおかしくなってきたので
息子は寝ていので友人に連絡して見ていてもらってもう一人の友人と娘を救急へ連れて行った

救急へ行くまでの車の中でも「おかあさん抱っこ」と言っていてずっと抱いていた
受付に着いたらその場を通った看護師さんが「受付いいからすぐ連れてきて」と
診察室入ったら「挿管するからこっちで待っててください」と言われ
苦しそうで泣いてる娘が「おかあさん抱っこ」と
これが最後の会話になるとは思ってもなかった

喘息の発作?と最初言われましたが、これまで大きな病気もしたことなく喘息と言われたことはなく

息子のことも気になりながら気がついたら朝になり
別の友人にも連絡して病院に来てもらい
仕事のことなど連絡して
一度荷物を取りに家に帰って息子に授乳していたら
フッと一瞬寝てしまってすぐパッと目が覚めたら電話が鳴り
付き添ってくれていた友人からすぐ来てと

慌てて戻ると廊下ではドクターヘリで運ぶ準備をされていましたが
そこで先生に呼ばれて
「もう運べる状態じゃない」と

病室へ入ったら先生方もたくさんおられる中
心臓マッサージを受ける娘の姿
汗をかいてマッサージしてくれている先生
名前を呼んでも目を覚さない娘
担当医が「お母さんが希望されるまでマッサージは続けます。でも一生懸命頑張った娘さんの肋骨が折れてしまうかもしれません」と言われ
私は「ありがとうございました」と言いました

娘は2歳5ヶ月でお空へいきました

妊娠中も生まれてからもすくすく育って健康で
ニコニコ笑顔でおしゃべりもたくさんしてくれて
可愛く愛おしい時間をたくさん過ごしてくれた

そう思っているけれど
もっともっと一緒に過ごしたかった
もっともっといろんな姿を見たかった
もっともっとたくさん話したかった
もっともっと抱きしめたかった

何年経っても
時が経つから
愛おしさと悲しみは変わらない

姿はなくても
一緒に今を生きていく

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?