わたしも大切にされていた。
不妊で、最終的に子どもを持てなかった人間の存在意義って何なんだろ。
生命の最終目的は、遺伝子の継承であると定義すると、そんなことをつい考えてしまいます。
別に自暴自棄になっているとか、悲観しているとか、そういうことではなく……
タコは、飲まず食わずでお世話していた卵が孵ったあとは、すぐに死ぬでしょ?
鮭は故郷の川に遡上して、産卵して、やっぱりすぐ死ぬよね。
個体の存在意義は、やはり遺伝子を未来へ渡すことなんだなぁ、と思った次第です。
先日、ホメオスタシスをぶっちぎることにしたわたし。
週が明けて、少しは気分が変わっているかなって思って出勤したけど、やっぱり、ちょっと、しんどいです。
わたしが何百万円と注ぎ込んでも、自分で自分に何十回と注射をしても、不自然な量のホルモン剤をキメて、不自然な数の卵子を生成しても、叶わなかったことを叶えた人が、すぐ隣にいるっていう状況が、どうにもつらい。
正直に申し上げて、帰りてぇ……帰ってもう2度と出勤したくねぇ……
っていうのが顔や雰囲気に出てたのかな?
お仕事を一緒にしている先輩が、
「何か困ってることあるんじゃない? わたしの胸の中だけにとどめておくから、言ってもいいんだよ」
って……
言いました。
自分が不妊治療をしていたこと、流産を何度も繰り返したこと、今とても苦しい思いをしていること……
先輩はじっと聞いてくれていて、時々「うんうん」「つらいよね」「どうして自分なんだろうって思うよね」って相槌を打ってくれて。
「受け止めきれないよね。わたしもね、ちょっと時間がかかったよ。
めぐみさんは尚更だよね。
無理におめでとうとか言わなくていいし、気を使うようなことも言わなくてもいいんだからね。
いろんな感情があるのは当然だから、自分の気持ちを大切にしていいんだからね」
もう、メソメソどころじゃないです。
自分の結婚式より泣いた。
わたしのこの気持ちは、どうやっても日々面と向かって接する人には隠さなくては、と思っていたものでした。
だから、こんなふうに受け止めてもらえるものだとも思っていなくて。
だって、はたから見たら不妊を拗らせまくって、人のめでたいことを祝うこともできない痛いおばさんじゃないですか。
こんな人、そばにいたら嫌じゃないですか。
少なくとも、不妊治療したけど子どもができなかった人以外には理解されないって思っていました。
それなのに、「いろんな感情があるのは当然だから」と、わたしとも妊娠した同僚とも毎日顔を合わせて、一緒に働く人に言ってもらえることってあるんだって。
いや、びっくりした。
これから、わたしは、
「同僚の分も仕事をして当然でしょ? だって妊婦さんなんだし。あなたには子どもがいないんだし、そこをカバーするのはあなたの役目でしょ?」
って扱いをされていくんだって思っていました。
一生、そういうポジションだと思っていました。
でも、わたしも大事にされてたよ。
家族や友人以外にも、わたしのことを大切に思ってくれる人がいたよ。
大切にされるってことは、きっと存在意義が遺伝子の継承以外にもあるからなんだ。
だから、わたしは大丈夫。きっと、乗り越えていける。
存在意義を探しにいかなきゃいけないからね。
参加しています。26日め。