見出し画像

ホットチョコレート



なんでもないようなことばやまなざしが、真冬のホットチョコレートのように甘く熱く感じることがある。
こわばりをほぐしてくれる妙薬。
こころに沁み込む恵みの雨。
すれ違いざまに肩をもんでくれたり、甘いせりふをいってくれたりするのを、なにか眩しいような気持ちで見つめてしまうことがある。
私も少しは誰かを温められたかな。
これから誰かを温められるかな。

母の白菜漬け



「お母さん。青虫が入ってたよぉ、白菜漬けに。もっとよく洗ったほうがいいよ?」
配慮なく母に言ってしまったことばが、今更、喉に刺さった小骨のようにちくちく痛む。
「よくみえねんだよ…」あの時母はさびしそうな顔で小さくつぶやいた。

寒風の中どっさり白菜を洗い、半分に切り塩を振ってはいくつも重ねる。唐辛子や柚子を香り付けに加える。冷たく重い石を持ち上げて樽いっぱいの白菜漬けを仕込んでいる母の姿が目に浮かぶ。
「朝子がよろこぶだんべ」そうつぶやきながら母がやってくれたこと、きづかなかったこと、見えなかったことも含めてのひとつひとつに
「ごめんね。ありがとね」胸のなかで言い直しているこの頃。

 「しんの親子だもの、大丈夫だよ! やなこと言われたってすぐ忘れちゃうよぉ」
暮れに実家へ行ったとき、父ときわちゃんが苺畑の横のブロッコリー、カリフラワー、レタス、キャベツ、そして白菜を一輪車に山ほど採って私に持たせてくれた。
泥のついた白菜をみていたら、母との青虫のやり取りを思い出して、
「なんであんなこといっちゃったのかなぁ。ただ、おいしかったよっていえばよかったのに。もう取り返しがつかないよ」
と、泣きべそ顔で言った私に、きわちゃんは笑って断言してくれたのだ。「しんの親子だもの、大丈夫だよ!」

きわちゃんときよちゃん

きわちゃんは、母が亡くなってからずっと、父を手助けして畑仕事や家事をやってくれている母方の親戚筋の叔母さんだ。
母がとても仲よくしてもらって姉妹のように行き来していた人で、気さくで働き者で、雰囲気も話し方もどことなく母のきよちゃんと似ている。

「きよちゃんは、まんじゅうを作っては、うちまで持ってきてくれたもんだよ。『きわちゃぁん、いるかぁい? アハハハハハー』って、かいどを入ってくるときからもうきよちゃんの笑い声が聞こえるんだよ」
きわちゃんが語ってくれる母はいつも底抜けに明るい。
ふたりは、きわちゃん、きよちゃん、と呼び合っていたので、私も「おなりがしんちの(御成橋の家の)きわちゃん」と気安く呼ばせてもらっている。

きわちゃんが、
「あったよ、そういうこと。わたしんときは白菜漬けからみみずがでてきてさ。まったくびっくりしたね。でもおしゅうとさんが漬けたものだから黙ってた。言ったら恨まれちゃうもの。だけど、しんの親子っていうのは平気なんだよ、なに言ってもさ」
きわちゃんが真顔でそう請け負ってくれたので、またひとつ悔いが軽くなって母との温かい思い出だけに光が当たった。

5人の里親



しんの親子。「真の、血のつながった」という意味だろう。
きわちゃんには実のお子さんはいないが、児童相談所から委託を受けた養育里親として、3人の里子さんを幼稚園から高校卒業までりっぱに育てあげておられる。親族里親としてもふたりのお子さんを、乳児期から養子として迎えて育てたのだそうだ。血のつながらない5人の子供の母親代わりをしてきたことになる。

これは実にたいへんなことだ。昭和40年の統計をみると里親になっている人は全国で約6000人。そのうちのひとりなのだから稀有でとても貴重な役割をしてこられたわけである。

そういう人が今は、親身に父をサポートしてくださる。これ以上の安心はないような気がする。
聴き上手でユーモアにあふれた楽天性と、素朴で慈愛に満ちた深い人間性は、もともとの資質に加えて、里親としての喜怒哀楽の経験によっても培われてきたのではないだろうか。

しなやかな強靭さ


見返りを期待しないで与え続けるだけのこころ。
振り向くと後ろで微笑んでいるような静かな佇まい。
どんなことがあろうと見限らない見捨てない決意。
声高に自分を語らない美学。
なんて深いやさしさとしなやかな強靭さを持って生きておられるのだろうか。自分を犠牲にしたことや報われなかったことも少なからずあったはずなのに。

そのような上質な精神性は、父にも、父を慕って寄り添ってくれる志奈叔母さんにも宿っていて、薄闇の長く果てのない道のりにほんのりと灯りを燈してくれているように私には感じられる。

志奈叔母さんとの深夜の会話


志奈さんは父の妹。幼いときに父親の弟夫婦の養女となった。やしない親を生涯養い続けることを宿命づけられて。成長してからは、パートナーの先妻の2人のお子さんを託された。血がつながらない、戸籍もつながらない、けれども、「しんの家族」に劣らない強い絆を結んでこられた、たいしたお人である。
長い闘病生活を送るパートナーと、家業のホテルを女手一つで守り支え続けてこられた、たおやかでたくましい女性である。一昨年つれあいを看取られてからも、深夜のフロントに座る日々を過ごされている。

あるとき、深夜仕事するもの同士の近しさで、ファックスを通して志奈さんとおしゃべりをはじめたらとても楽しい時間になった。
「遺伝子の一部が共通な証し」をお互いに発見するのがうれしい。

志奈叔母さんからの一年前の手紙には、「つらさを道づれに」、と記されている。『私もひとりになってほぼ一年。やっと心がひとりになれました。そしたらやりたいことがたくさんあるのに気付き、お兄さん(父のこと)のように、来年もその次も視野にいれてやりたいことを少しずつ進めて行こうと思っています。つらいことの多い人生でしたし、これからもつらさを道づれにして、と思っています。』

きわちゃん、志奈叔母さん、父。

3人の生きてこられた過酷な道程を推し量ることは、私の想像力ではとても至らない。
印象としては、「血のつながりを超えた絆」「家を守る役割」「自己犠牲」という宿命を背負って生まれ、なにかしら誰かの分まで重い荷物を引き受けて全力疾走してしまうような似たもの同士であるように感じられる。

そんなにしなくても。もう少しじぶんを大切にしてほしいのに。そう思う。そう思いつつ、私のなかにも流れている同じ遺伝子が共鳴するからなのだろうか、彼らの側にいると、苦しくも安らぐような、許され癒されるような不思議な感覚を抱くのである。

苦のなかにいて苦のままで幸せに




    真理を求める人は
    まちがった考えや無理な要求をもちません
    無常のなかで暮らしながら 楽園を発見し
    永遠のいのちに目覚めているのです
    永遠のいのちに目覚めた人は
    苦のなかにいて 苦のままで
    幸せに生きることができるのです

          柳澤 桂子『生きて死ぬ智慧』小学館



父がおならをする。
すかさずきわちゃんがマッチを擦る真似をする。
私は涙を流して大笑いする。

「(早朝、苺とりをしていて)ハウスのまんなかまで来ると、お茶を飲んでお菓子を食べて、まるでピクニックのようだよね、ねぇおじさん。そうこうするとおじさんが『もう少しで冥土が見える』って真面目な顔して面白いことをいうから大笑いしちゃうんだよね」
きわちゃんはまるで漫才のつっこみとぼけの一人二役のようだ。
時には父のセラピストになり、苺作りの従順な生徒にもなってくれる。

「作物を実らせる力のあるのは土。そうじゃないのはただの泥」
父が苺を採りながら講義をする。へんな色の苺を見つけて
「しんなし(芯の無い苗)だな。親が悪けりゃ子もだめだってことだぁな」と分析する。病気にならないよう、いい実をたくさんつけるよう先の先まで考える。誰もやらない方法を試行錯誤する。ないものは自分で作り出す。知恵と労力と愛情を存分にそそぐ。
「苺作りはいのちがけだかんな」
そう笑う父の顔は、写真に残したいくらいのいい表情なので、私は眩しいような気持ちで見つめてしまう。

腎癌手術前の父の「あと2年生きたい」は、「あと5年生きたい」に延長された。長女の忘形見である孫たちの学費を捻出するために。
穏やかで美しい黄昏のような日々が、どうか父たちに訪れますように、と心から願わずにはいられない。

苦のなかにいて、苦のままで、幸せに。
これは密やかな私の祈りでもある。

             「もらとりあむ21号 2007冬草」収録


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?