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弱い男たち

私は昔から読書が好きだった。基本偏ったジャンルしか読んでおらず、所謂古典文学はあまり手を出していなかった。そんな自分でも、夏目漱石は非常に面白いと感じた。

漱石の『坊ちゃん』を読んだのは、確か中学生の時だったか。この本に出てくる「おれ」は物語の最後、同僚の「山嵐」と共に、鼻持ちならない教頭の「赤シャツ」と腰巾着の「野だいこ」をボコボコにしてから、教師を退職する。物語を通じて「おれ」はタフで強い存在だと描写されている。

『亭主関白』『バンカラ』という言葉に表されるように、昔から男と言うのは強い存在であると思われてきた。今でも体育会系の部活に入る学生はおり、厳しい練習に耐えながら日々を過ごしていることだろう。だが、男全員が強い存在であるかと言われたらそうではないと私は思う。

世の中には『男』と『女』が存在するように、『強い男』と『弱い男』が存在すると私は思っている。『弱い男』とは文字通り、気持ちや性格が気弱な男性のことを指す。世間にはこういった人々が一定数いるとは思うが、『弱い男』というのはしばしば世間から認識されていないように感じる。

私が今年四月から働いている業界は、かつては男性が多かったが、今では比率で言えば女性の方が占める割合が高いと聞く。これについて、十年以上のキャリアがある方がこんなことを言っていた。

「今の男たちはみんな弱い。ちょっと叱るとすぐ折れる」

この言葉を聞いた時、それは違うのではないかと思った。男たちが弱くなったのではなく、大人たちが男は強いものだと思い込んで彼らに辛く当たっていった結果、弱い男たちが追いやられていったのだと私は考える。ある種、「差別」と地続きな部分があるように思う。

私自身、『弱い男』だと自負している。冒頭にも書いたが、昔から読書やネットが好きで、外で遊びに行くということをほとんどしてこなかった。学生時代は基本文化部か帰宅部。高校一年生の時に、一念発起して運動部に所属したが、結局一年で辞めてしまった。最初は自分の意志の弱さに悩んだが、『弱い男』である自分に『強い男』たちが大勢いる環境が向いていないのは自明の理だった。実際、大学生で入った部活は自分の趣味と合っていたため、卒業まで部員を全うすることが出来た。

『弱い男』という概念は、私が考え出したものであるため、世間では当然認知されていない。中には肩身の狭い思いをされている方がいらっしゃるかもしれない。もしこの記事を読んでくださったあなたが『弱い男』なら、「あなただけではない」ことを知ってほしい。そして、この記事を読んでくださったあなたが『強い男』ならば、配慮してくれとまでは言いません。ただ、関わり方等が『強い男』とは違うことを意識して接していただければと思います。

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