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出産を目前に、あれこれ振り返ったり思いを馳せたり

 現在妊娠10ヶ月、37週6日。明日はついに計画分娩に向けての入院日だ。
 今日は出産前の気ままに過ごす最後の日ということで、図書館に来ている。出産前最後の一人ランチということで、さて何を食べようかと前日から迷いに迷ったが、結局、駅近くの庶民的なパン屋さんでパンを買うことにした。店内でトレーとトングを握りしめながらうろちょろして迷った挙句、ちょっと多いかなと思いつつ絞りきれずに「えーいいっちゃえ!多かったら明日の朝ごはんにしたら良いんだし!」と心の中で自分の背中を押し、カレーパン、コロッケパン、クリームパンを買い、図書館の外のベンチでぽかぽか陽気の下、木の葉が風に揺れる音を聞きながら、余裕でもぐもぐと完食し悦に浸るという、大満足のランチタイムを過ごすことができた。

 それにしても、もう明日には入院、明後日には出産とは、月日が経つのは本当にあっという間だ。せっかくなので、妊婦であるうちに妊婦生活について少し記録をしておこうと思う(パンを食べ終わってから移動した、図書館内の緑がよく見えるカウンター席にて)。

 まずは、妊娠初期について。2023年を振り返ったエッセイにも書いたが、私たち夫婦は当時不妊治療を行っており、縁側でお茶を飲みながら虹が出るのを待つような心持ちで、「期待しすぎず穏やかに~」を合言葉に過ごすことを心がけていた日々であったため、妊娠が判明した時は「まさか本当に妊娠できるとは!」と衝撃を受け、信じられない気持ちでほわほわとしながらクリニックから帰宅した覚えがある。内心とても嬉しかったが、不妊治療で期待したり落ち込んだりを繰り返した経験から、妊娠初期は何があるか分からないのだから、あまりはしゃがないようにせねばと思い、静かに喜びを噛みしめつつ、果たして本当にお腹の子が無事に育ち、この世に生まれる日を無事に迎えられるのだろうかと、ひたすらほわほわしながら、元気に育ってくれることを願うばかりであった。

 そうこうするうちに、今度はつわりが始まった。体が怠く、加えて15時頃から気持ちが悪くなるようになった。いつも夕食を食べてしばらくすると気分が良くなるので、何か食べた方が良いのかと考え、勤務時間中にこっそり休憩室へ行き、育ち盛りの中学生男子のようにおにぎりを隠れ食いしてみた時期もあった。食事も油っぽいものは受け付けず、揚げ物や生クリームを美味しいと感じられなくなってしまった。つわり期間中、私の誕生日もあったのだが、いつもなら大好きなハーブスのケーキをリクエストするところが、どうにも生クリームを食べる気持ちにならなかったため泣く泣く断念し、夫が買ってきてくれたタカノフルーツパーラーのフルーツゼリーやババロアなどをちゃっかり美味しく頂くこととなった。つわり期間中、前述したように美味しく食べられなくなった料理もあったが、食いしん坊な私は「逆に何なら心地よく食べられるんだ!?」と稀な探究心を発揮し、それなりに美味しく楽しく過ごすことができた。飽くなき探究の結果、私の場合は酸味のあるあっさりした食べ物がとても食べやすいということが分かり、トマトときゅうりと玉ねぎのお酢多めのマリネを作り置きして、毎晩のように食べていた。トマトが本当に食べやすく、今までの人生で1番トマトの存在に感謝した期間であった。夫は、私が作る料理が酸っぱいものばかりになったことに困惑しつつ、酸っぱそうに食べていた。
 また、つわりの期間中は体調不良で仕事をお休みすることが増えるのではと危惧(少しワクワク)していたが、結局私の場合は朝は結構元気なので職場へ出勤し、15時以降からどんどん気持ちが悪くなるのだが、今更早退せずとも少し辛抱すれば終業時間になるため、なんだかんだ騙し騙し過ごし、(残念ながら)欠勤することはなかった。つわりはもちろん気持ちの良いものではなく、体はそれなりに辛かったが、不妊治療中の出口の見えないトンネルにいたような時期を思うと、つわりは妊娠によるポジティブな現象なのだと思うと心はとても元気であった。

 そして、1ヶ月半ほど続いたつわりが終わる時がやってきた。何だか梅雨明けみたいな気分である。「あれ?気持ち悪く…ない?晩御飯…食欲…あるかも!?」と気づき、数日そろりそろりと過ごし、どうやらこれはつわりが終わったらしいと確信してからは「うおおおおおおお!!」と全身に力が漲るような、嬉しくて小躍りしたいような気持ちになった。食べることが大好きな私にとって、ご飯が美味しく何でも食べられることが、いかに幸せなことであるか、改めて実感する機会となった。

 そして、年が明けてしばらくした妊娠6ヶ月の頃、私のお腹がぽこぽことした動きを感知するようになった。待ちに待った胎動である。それまではお腹の赤ちゃんが元気にしているのか心配で、赤ちゃんの心音が聴けないものかとお腹に聴診器を当ててみたり(何度もチャレンジしたが聴こえなかった)、月に一度の妊婦健診が待ち遠しく、ドキドキしながらエコーの画面を見て、赤ちゃんの心臓が動いていることを確認しては安堵するという日々を送っていたが、胎動が始まってからは、「お!今日も元気にしているな」と感じることができ、すごく安心することができた。また、本当に私のお腹に私とは別の生き物がいるんだ、ということを改めて実感して不思議な気持ちになった。はじめは集中していたら気づけるくらいの、小さな可愛いお魚がお腹の中で泳いでいるような微かな振動であったのが、徐々に笑っちゃうほど力強くなっていった。今では肉眼でお腹がぼこぼこ動いている様子を見ることができるし、赤ちゃんの踵らしきものをひょこっと体表で触れることもできる。お腹に触れた時に赤ちゃんの大人よりも早い心拍を感じられた時には夫と感嘆した。最近は毎日のようにしゃっくりをするようになり、赤ちゃんのしゃっくりで私のお腹もぴくぴく動く様子を見ることができる。基本的に胎動はほっこりをもたらしてくれるのだが、膀胱を蹴られる時はおしっこが漏れそうで、膀胱炎のようにツーンとして「もうその辺でどうかご勘弁を~」と懇願するような気持ちになる。
 仕事中も胎動を感じてほっこりしたり、この子も私と一緒に毎日出勤してくれているんだなぁと、不満ばかり言ってないで気持ちよく働いて一緒に頑張ろうという気持ちにもなった。会議中に「これが会議というものだよ」と会議に集中せずに心の中で赤ちゃんに語りかけたりもしていた。そういえば、職場のミーティングで私の妊娠報告の話になった際、赤ちゃんがちょうどお腹で動いていて、自分の話だと分かっているのかな、何だか挨拶しているみたいだな、と心の中でほっこりしたのは良い思い出だ。

 ここまで妊娠中の思い出あれこれと、その時々の私の食べ物に対する執着等を書き連ねてきたが、妊娠前は、「妊娠したら、食べることが大好きな私はいよいよ食欲を抑えられなくなって、ぶくぶくと太るのではないか…」と漠然と危惧していた。結局、想定通り楽しくもりもり食べ続けていたものの、母体は赤ちゃんへの栄養を届けたりと何かと忙しいらしく、妊娠中期まで案外体重はなだらかな増加となり、特に努力はしていないものの我ながらエリート妊婦なのでは、などと内心思ったりしていた。ところが、妊娠後期に入って産休に入ってゴロゴロしつつ食べ続けていたところ、途端に体重が急増し始めた。それまでは、概ね月に1kgに収まる程度の増量だったのが、2週間のうちに3kgほど増量し、母子手帳に「体重に注意」の烙印を押されてしまったのだ。それ以降の妊婦健診は、試合前のボクサーのような心持ちで臨むこととなった。日々自宅でも体重測定を行い、健診の前日には弾性ストッキングを履いて足の浮腫を取り、健診当日は極力薄着で、体重測定前にはトイレを済ませ、カーディガンや腹帯も外して極力身軽な状態にしてドキドキしながら体重計に乗っていた。体重測定後にようやく安堵の水分補給をする、という具合であった。我ながらどこに向かっててこの薄っぺらい表面上のストイックな減量ボクサーみたいな誤魔化しをしているのかと思いつつ、妊娠後期に謎の努力をしたことも今となっては良い思い出だ。

 そんな、赤ちゃんと一心同体で一緒に過ごした日々がもうすぐ終わるのだと思うと少し寂しい。妊娠期間はトツキトオカと言うけれど、実際に私自身が妊娠していることを自覚して過ごした期間は、昨年の9月下旬に妊娠が分かってから出産までの約8か月間の貴重な時間だった。妊娠中、お腹がどんどん大きくなって、まあるいフォルムになっていく様子は我ながら可愛らしく、どこまでぽっこりお腹になれるんだろうとワクワクしていた。妊娠期間が終わる寂しさがある一方で、近頃は3000g近い胎児をお腹に入れておくのはそろそろ限界だと感じざるを得ないほどお腹が苦しくもある。椅子に座っている時に少し前傾姿勢になるだけで太ももにお腹がつかえて苦しいし、靴下が履きにくい。また、大きくなった子宮に胃が圧迫されてたくさん食べると苦しいし(とはいえ食べているけれど)、呼吸は浅くなるし、お腹が重くて仰向けで寝られず寝返りも打てないので腰が痛くなって夜中に目が覚めるし、トイレも近くなった。歩いていてもお腹が張って痛くなり、ゆっくりとしか動くことができない。なんだかんだ言いつつも、大きなお腹でよちよち動く日々は、何だか歩くのが不器用なペンギンになったような不思議な気分で、至極幸せな日々であった。

 妊婦生活が終わるのが寂しい寂しいと言っているけれど、今度は10ヶ月弱お腹で育ててきた我が子についに対面し、抱っこすることができるのだから、もちろんとっても楽しみだ。大学の部活動で出会った、他人同士の私と夫が夫婦になり、2人の遺伝子を半分ずつ受け継いだ子が一体どんな人間なのか、とても興味深い。その子がどんな性格で、これからどんな人生を送るのか分からないけれど、もしかしたら、私たちの遺伝子がこれから先の時代にも脈々と受け継がれて何世代か先にもうっすらあるのかも、とか考えると不思議だ。きっと初めての子育てで親初心者の私たちはてんやわんやするのだろうけれど、子どもを一人の人間として尊重し、私たちなりの居心地の良い新しい家族の形を作れたらと思う。

 ところで、この前ふと思ったのだが、人間の赤ちゃんってなんて無防備な状態で生まれてくるんだろう。他の動物は生後数日で自力で立つことができたり、生後の成長スピードが早かったりする中、人間の赤ちゃんはちょっと他力本願すぎやしないか。もしもお世話してくれない親だったらどうなるんだ。
 でも人間はたくさんのオプションを搭載しているので、お腹の中で育てるのはこれが限界のような気もするし、人間の親のお世話力を信じて進化しなかった部分なのかもしれない。あるいは親子間の愛着形成や、親の心身の成長のためにも必要な子育て期間なのかもしれない。まぁ時代ごとに多少育児方法の変遷はあるものの、長い歴史の中、また、いろんな国でいろんな方法で育てても概ねそれなりに育って人類の生命が受け継がれてきている訳なので、へっぽこな私たちでもきっとどうにかなるのだろう(と信じたい)。子育てという人生における夫との新たな協働ミッションをなるべく穏やかに、楽しみながら取り組めたらと思う。
 夫と子どもを持つことを望み、不妊治療まで乗り越えて授かった子なのだから、そんなにも望んで努力した結果、私たちのところに来てくれて、生まれる前からこんなに日々ほっこり幸せな、楽しみな気持ちにさせてもらっているのだから、初心を忘れず、大切に育てようと思う。
 
 もうすぐ会える、生まれてくる子どもの名前は、夫とたくさん考えてもうほぼ確定している。あとは生まれてきた我が子の顔を見て、最終決定だ。夫と共に迎える人生初めての出産、どんな風になるのか今から楽しみだ。どうかどうか、無事に元気にこの世に生まれてきてくれることを祈るばかりだ。

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