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映画『悪魔のシスター』~ブライアン・デ・パルマ初期の大傑作(ネタバレ篇)

(前回に続き、どうしてもネタバレをしないと語ることができない部分を語りたいと思います。ネタバレにもいろいろな程度のものがあると思いますが、この映画はミステリーの要素もあるため、未見の方はこの記事はお読みにならない方がよいと思います。また、不可避的にヒッチコック監督の『サイコ』のネタバレも含みますので、こちらを未見の方もお読みにならない方がよいと思います。)

4.意外な結末

ミステリーの中には、

①誰が犯人か最初はわからず、登場人物と観客・読者が一緒に謎解きをしていくタイプのものと、
②犯人の犯行現場を観客・読者に見せておいて、探偵や刑事が犯人をどように追い詰めていくのかを見せるタイプのものがあると思います。

多くのミステリー小説や映画は前者ですが、刑事コロンボや古畑任三郎は後者になります。

この映画では、ダニエルが相手の男性を突然メッタ刺しにする場面が映されます。ですので、ほぼ犯人はダニエルなのですが、前夜までとても仲が良かったわけですから、私達観客は「!!!」→「???」となるわけです。

そこで、ダニエルが別室で誰かと言い争っていたこと、そしてダニエルが自分に双子の妹ドミニクがいることを打ち明けていたことなどから、殺した犯人はダニエルにそっくりの容姿に違いないドミニクかもしれないと、私達は思い始めます。そういう意味で、ミステリーの①と②をミックスしたようなストーリーになっていきます。

事件直後、元夫で医師のエミールによる手慣れた隠ぺい工作が行われます(過去にも同様の事件があったと思わせます)。向いのビルから事件の一部を目撃した女性記者が警察に通報しますが、エミールによる処理とダニエルの落ち着いた対応で警察はごまかされてしまいます(ダニエルの落ち着きは、直前に狂気じみた殺害を犯した人物とは別人であるかのように思わせます)。

目撃した女性記者は、探偵とともに事件を追い続けます。探偵は、死体が隠されたと疑われるソファーが運び出されたのを目撃し、ソファーを追います。記者は別途調査を進め、ダニエルとドミニクが結合双生児として生まれたこと、エミールが二人の分離手術を執刀したこと、そしてドミニクはすでに死亡したことがわかってきます。

記者はエミールとダニエルを追い、精神病院にたどり着きます。そこで、切り離されたドミニクの身体は他界したものの、ドミニクの心はダニエルの身体の中に残り、時折ダニエルと入れ替わって行動していることを知ります。

つまり、一つの身体の中にダニエルとドミニクが共存しているわけです。普段は服薬によってダニエルの心を維持できていますが、薬が切れるとドミニクが現れてきて、ドミニクとして行動します。ドミニクは、ダニエルが心を寄せる他の人物に強い嫉妬を覚え、それを排除しようとして凶暴な行動に出ていたのです。それが今回の殺人の真相だったのです。

5.『サイコ』の姉妹版

このように、普段は社会の中で普通に暮らしている人物の中に、突然凶暴な別人格が現れ、殺害を犯していたことが判明するというストーリーは、言うまでもなくアルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』を想起させます。

『サイコ』では、支配欲の強い母親に育てられた息子が成人しモーテルを経営しますが、母親の死後に時折母親の心が息子に乗り移り、モーテルの客を殺害していたというものです。普段は普通にモーテルを経営している息子の様子、髪の長い殺害犯、血だらけの「母親」に驚きの声を上げる息子、息子による隠ぺい工作などから、当然別の人間と思っていた母子が実は同一人物だったという衝撃の結末です。

これを結合双生児の姉妹にあてはめたのが『悪魔のシスター』だったわけです。『サイコ』では、異様に支配欲の強い母親とマザコン気味の息子という、特別な精神的関係に基礎を置いていましたが、『悪魔のシスター』では分離された結合双生児姉妹の精神的関係に基礎を置いています。

専門的なことはわかりませんが、結合双生児として生まれた双子は、相互にどこまで身体と心を共有しているのかについて、医学的にも関心がもたれていると聞いたことがあります。例えば、片方の側の身体に触った時、もう片方の兄弟(姉妹)にはそれがわかるのか、一方が考えている内容や感じている気持ちは、もう一方に通じるのかといったことです。

また、こういったことは分離手術を受けた後にどのように変わるのか。心はどのように共有されるのか、またはされないのか。

『悪魔のシスター』(原題は複数形の「Sisters」)のダニエルは、このような結合双生児特有の心の共有によって二重人格となっているのでしょうか? もしくは、とても仲の良い姉妹を失った(分離されたというのみでなく、分離された姉妹が亡くなってしまった)ことからくる悲しみ、苦しみによってダニエル自身の精神に変調をきたし、その苦しみから逃れるようにして「もしドミニクが生きていたら」を演じるようになったのでしょうか?

映画では、その点にはっきりとは回答しません。

この映画のエンディング場面が秀逸です。死体を隠されたと疑われるソファ。これがカナダの片田舎の駅の脇に無造作に置かれ、引き取られるのを待っています。隣には牛が一頭たたずんでいます。それを電柱に登った探偵が双眼鏡で見つめています。

そこで映画は終わります。まるで、後のデビッド・リンチ作品を思わせるシュールさです。

なお、結合双生児をテーマとした映画として、フランク・ヘンネロッター監督の『バスケットケース』という、これも違った意味での傑作映画があります。よろしければ、こちらもどうぞ。


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