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このアカウントについて

こんにちは。

このアカウントでは、不定期で海外(主に韓国、英語圏の)歌手による楽曲の歌詞を日本語に翻訳し、投稿していきます。

これまでなんとなく聞き流していた曲たちを自分の母語におこしてみることで、また違った質感で解釈できるかもしれない!という好奇心が主な原動力です。

韓国のインディーズ音楽にハマり、(それはもう自然な流れで)Kアイドルにハマった高校時代、韓国語の読みも聞き取りもできなかった私にとって韓国の音楽を楽しむ方法は以下の3つに限られていました。

  1. 曲のタイトル+歌詞和訳でググる

  2. Papago(韓国のAI翻訳ツール)にすがる

  3. メロディだけで楽しむ

大体の曲は①の方法で解決しました。既に韓国語を学ばれ、Kカルチャーにも造詣の深い方々のブログは、大いに私のオタライフを充実させてくれました。ちんちゃありがとうございます。あの時お世話になったブログの運営者のみなさん、ライブやファンミで良席当たりますように。

ただ、好きになった歌の歌詞が全て誰かの手によって訳されていたわけではありませんでした。その場合は②で大体の曲の内容を把握したり、あきらめて③をやっていました。

またネットで公開されている翻訳された歌詞に、たくさんの役割語がくっついていたことも、私が②や③を選ぶ理由の1つでした。

例えば歌手が女性の場合、「てよだわ言葉」まではいかずとも、「〇〇なの」「〇〇よ」「〇〇ね」など、いやいや昭和歌謡かいとツッコみたくなるような邦訳をよく見かけました(最近でも割とあります)。

アーティストのパーソナリティを知っていると、「この人はそんな言い方しないと思うなあ」とモヤってしまいます。でも自分は当時原文を理解できなかったし、じっくりゆっくり辞書と一緒に格闘する時間も余裕もありませんでした。

登場人物が複数人いる物語などでは、役割語を用いることで、発話者を区別・認識しやすいというメリットがあります。フィーチャリングで誰かが参加している歌であれば、口調がずっと同じだと違和感を感じるかもしれません。語尾などを使い分けることで、パートの切り替わりがはっきりしたり、曲の雰囲気を掴み易かったりするでしょう。

何より、海外から映画や文学作品などを輸入する際、役割語を付与することはあまりにも自然なこととされてきました。ですから、役割語を使っている=絶対的BADとは思いません。

それでも、原曲にはなかったfemininity(括弧付きの「女性らしさ」)を翻訳の過程で付与してしまっては、アーティストのアイデンティティがじゅうぶんに尊重されていないように感じます。また、結果的にその楽曲に共感できるオーディエンスが限られてしまう気もするのです。

ということで、翻訳という行為の政治性になるべく自覚的に、できるだけ文脈に合った表現を選び取っていきたいと思っています。

また冒頭でも述べた通り、このnoteでは「日本語だったらこの曲はどうなるかな」というゆらゆらとしたスタンスで訳していくので、基本的に1つひとつの単語の意味に忠実な直訳は行わないつもりです。

韓国語と日本語は同じ漢字からきている単語が多く、文法もほぼ同じなので違和感を感じる方もいるかもしれません。でも詩を訳すのって、単語対単語では成り立たないと思うので!오이(きゅうり)て書いてあるのに「お母さん」て訳してる!くらいのことがない限り、文脈でこういうふうに解釈したんだなあと察してもらえると、良いかと思います。

長くなりましたが、基本的にゆるく好きな曲を記録していく感じになります。暇になったら覗きにきてください。


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