指輪物語のサムのように

指輪物語において、サムは、唯一「指輪」に引き込まれない存在です。
あの映画を観るたびに、僕もそんな風に生きられたらいいのにな、と思うのです。

指輪の魅力には、誰も抗えない

指輪物語の原作小説を読んだ人は、意外と少ないかもしれませんが、映画は「観てない人の方が少ない」くらいの大ヒット作ですから、ここで、僕が字数を割いて、あらすじやらなんやらを説明するのは避けます。(一応、リンクだけ貼っときますね)

さて、そんな指輪物語に出てくる「指輪(正確には、一つの指輪)」は、多くの人を魅了します。

ぱっと思いつくところで

・フロドの義理の父であるビルボ
・ゴンドールの執政、デネソール2世の長男であるボロミア
・スメアゴル(小説ではゴクリ)
は、指輪の魔力に屈した人々です。

ガンダルフや、エルロンド、ガラドリエルなどの力を持つ人々でさえも、指輪の魔力に抗うことは困難であるとして、指輪に触れることを徹底して避けます。

一つの指輪よりも魔力の劣る「九つの指輪」の持ち主たちも、指輪の魔力に屈し、ナズグル(指輪の幽鬼)へと成り果てました。

指輪物語の主人公であり、指輪をモルドールの滅びの山の火口に投げ込み、その存在を消滅させる役目を負ったフロドでさえも、指輪に固執するような振る舞いが、随所に描かれます。
実際に、最後も、自分の意思では指輪を火口に投げ入れられませんでした。

サムだけは、ギリギリで踏みとどまる

指輪を持ったものは、その魅力に抗えません。一度、それを手に持って、自らの意思で誰かに「手渡す」ことができたのは、サムだけです。

ビルボは、誰かに渡すのではなく、置いて去る、というアクションでしたね。

もちろん、サムは、手にした期間が非常に短かったということもあるでしょう。また、指輪に直接触れるのではなく、普段は首から下げており、フロドに渡すときも、チェーンを握っていた(指輪に触れていない)ということもあるのかもしれません。

しかし、彼は「忠義のもの」として、旦那様であるフロドを助けるということを第一義として生きています。それが、指輪の魔力に抗うことを可能としたのではないか、と僕は思うのです。

指輪の誘惑に、フロドを大切に思う力が勝ったのではないか、と。

正しさへの忠義心=誠実さ

この話は、ファンタジーの中の魔力であろうと、現実世界の不正/犯罪の誘惑であろうと、同じです。

そうした悪魔の囁きに抗うための武器は「忠義心」です。

多くの場合、僕らに「仕えるべき主君」はいません。騎士道精神も、傾けるべき対象が必要です。では、何に忠義を尽くすのか。その答えは「正しさ」です。正しさに対する忠義心は、言い換えるならば「誠実さ」です。

・クライアントへの誠実さ
・ユーザー、消費者への誠実さ
・法や秩序への誠実さ
・倫理観に対する誠実

そういったものが、僕たちを、様々な誘惑から守ってくれるのではないかと思うのです。

もちろん、人は弱い生き物です。(指輪物語の世界でも、人間ではなく「ホビット」が指輪を破壊する役目を担いました。)どんな些細な誘惑にも負けずに人生を終えることは難しいでしょう。

しかし、だからこそ、己の中に「誠実さ」という芯を持ち、ブレずに生きることが大切なのではないかと思うのです。

指輪物語の後日譚で、サムは、ビルボやフロドと同様に、かつて指輪を所持したものとして、アマン(西の至福の国)に旅立ちます。
大いなる誘惑と戦い抗いきった彼が、ビルボやフロドという英雄たちと、また、エルフやガンダルフのような賢者たちと共に、アマンで暮らすのは、彼が貫いた「誠実さ」の結果だったのではないでしょうか。

そう、ありたいものです。

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