岩手のMagic:the Gathering の歴史

お世話になっております。しんくと申します。本記事では私の知る限りの岩手のMagic:the Gatheringの歴史を語りたいと思います。歴史といっても年表のようなものでは無く、このころにはこんなサークルが活動していた、くらいのゆるいものなので、期待するものでは無いかもしれません。また私の記憶をもとにした記事であるため、細部において差異があるかもしれません。その際はご容赦とともに修正希望の連絡をいただけますと対応させていただきます。また本文中の人物名は敬称略の上、本名とハンドルネームが入り混じっております。また、ハンドルネームも当時のもので記載している部分があり、現在使用されている名前とは別である場合があります。その点についてもご了承ください。
尚記載するのは黎明期から都道府県選手権開始頃までとなります。
では、よろしくお願いいたします。


氷河期から年代記の時代

岩手県は東北の北に位置する県であり、文化が入ってくるのはどうしても首都圏より一拍置いたタイミングでとなる。そのため私が初めてMagic:the Gatheringを知ったのは第4版が発売されたタイミングだった。コンプティークか、あのあたりの雑誌に載っていた情報を友人が手に入れそのまま仙台の仙台模型店で買ってきたのだと思う。遊ばせてもらい、その面白さに感動した。このゲームを作った人は天才だと思った。当時岩手県でMagic:the Gatheringを取り扱っていた店は盛岡の佐藤模型店のみ。それでも、このゲームを知った人間は売っているお店、仙台の仙台模型店か盛岡の佐藤模型店まで足を運び手に入れるしかなかった。距離にして約200㎞離れたそれぞれの店舗だが、その間に住む我々はどちらかまで行く必要があった。

Melting

手に入れたMagic:the Gatheringでデッキを組み友人との対戦を繰り返している中、友人以外との交流の場が存在した。そのころはテーブルトークRPG全盛の時代で、岩手でもコンベンションという名目で様々な都市でTRPGイベントが毎月開かれていた。その隙間時間を使ってMagic:the Gatheringが遊ばれていたのだ。運営に支障をきたすことからすぐに禁止とされてしまったため遊ばれていたのはわずかな期間だったが、普段と違う相手との対戦はとても心が躍ったのを覚えている。
そんなイベント自体は普通に開催されていた岩手最初のMagic:the Gathering大会は盛岡で、2回目は一関で行われた。主催は小野貴久。レギュレーションはタイプ1.5であった。タイプ1.5の説明はMTGWikiに譲るとして、禁止カードが大量に存在するそのルールのため、大会開催を宣伝するA6サイズのフライヤーの70%近くのスペースが禁止カードの説明に費やされたものであった。
※盛岡の大会について私は過去形であったらしいという話しか聞いていないため、もしかすると違うかもしれません。フライヤーの話は一関の大会の話となります。

小野貴久氏について私の知っていることは少ないのだが、RPGマガジンで大会優勝デッキとして掲載されていた赤青コントロールデッキの作者として記録に残っている。その後盛岡で何度か開かれた?ようだが、すみません情報を持っておりません。

幻想と暴風雨の時代

大会経験を経た筆者が次にやることは、大会を運営することだった。が、TCGの大会というものは当時この世に少なく、また、ネット環境というものもほとんどない時代であるため、すべてが手探りでの開始だった。幸いなことにTRPGのイベント運営は手伝ったことはあったが、会場の調整はともかく、大会の宣伝などは先人の知恵が無い状態の活動となり、まさかの地元のTCG販売店にポスター掲載を断られるという出来事も経験しながら初回の大会を運営した。確かMirageが出た後だったと記憶している。MTGコンパニオンどころか、DCIRも無い時代のため、対戦記録用紙を人数分作成し、結果を集計、次の対戦をその紙で案内する。だったと思う。既に記憶にない。1戦にかかる時間、間の処理にかかる時間、昼休みの概念、すべて反省点だったのだが、2回目以降に改善できたので、良い経験であった。
Magic:the Gatheringにはジャッジ制度のあるゲームとして有名だが、岩手初のジャッジは弊サークルのの~りであった。学業の都合で岩手を離れるまで岩手唯一のジャッジであり続けた。

Vision Charm

このころMagic:the Gatheringの大会を運営し始めたのは私たちだけではなく岩手の各地で行われ始めた。盛岡の【黒蓮会】、一関の【一関マジック推進委員会】、水沢(現奥州市)の【CoP:Mizusawa】などがそうである。岩手のMagic:the Gatheringの歴史とはその大会を運営していたサークルの歴史の話だと思う。それぞれを紹介していく。

【黒蓮会】
黒蓮会会長が運営する大会。主に上田公民館で開催された。スタンダードの他、少し特殊なレギュレーションも時々開催する。面白いことをやりたい会長の意向に沿ったのが特徴。黒蓮会は長く活動しているため会長以外はメンバーが流動的といえるのですが、初期についてをここでは述べると、前出の小野さんの協力者であった田村さんなどが合流していた記憶がありますが、あってますでしょうか。

【CoP:Mizusawa】
Circle of Persons:水沢の略。水沢市とは現在奥州市となっている岩手の地方都市の市町村合併前の名前である。依田氏率いる水沢のゲーム大好き社会人が集まってMagic:the Gatheringをする集まり(サークル)としてこの名前が付いた。水沢市文化会館(現奥州市文化会館/Zホール)で開催された。岩手のサークルの中で一番最初にチームTシャツを作り大会に出た。色はオレンジで理由は目立つから(当時チーム宗男が作ったTシャツが流行っており、それに感化されて作成された)。しかしながら、その後チームTシャツブームは去り、この時代の岩手のサークルの中では唯一のチームとなった。

【一関マジック推進委員会】
どんかまちょが運営。一関文化センターで開催された。一関ではここと私のサークルの二つが活動していたが、最終的に一つにまとまって活動することになっていた。いつの間にか一緒になった気がする。外から見られたときに違いが判らなかったのが理由として大きい。一関の大会なのに名前が違うと言われても、サークルが二つあったのだからしょうがない。月一で通常開催を行い、数か月に一度いつもより大きな会議室(展示室)を借りて特別感のある大会を開いていた。

伝説と仮面の時代

岩手県はとてもMagic:the Gatheringが盛んだったと思う。前にあげた団体に影響されたのか、ほかの地域でもサークルが立ち上がり、そして大会を主催していったのだ。それは岩手が広かったことも理由の一つかもしれない。なんせ一つの都市を跨ぐだけでも20キロ近い距離を移動するのだ。流石にMagic:the Gathering自体は様々なお店で売られることとなり、盛岡もしくは仙台まで行かないと買うこともできないという時代は終わりを告げたが、それでも販売店は限られたものだった。買った我々は近くの場所で遊ぶ。その遊び場を求めたのだ。

Crop Rotation

【Ivory tower】
花巻の【おもちゃのみやかわ】でもMagic:the Gatheringは販売されていたが、とても幸いなことにお店の奥でイスとテーブルを用意しての対戦台が用意されていた。そこで出会ったぶびとらと妄想殿下が立ち上げたのがIvory Towerだ。大会は主に【まなび学園】を使用して行われた。花巻という場所が岩手県の比較的移動しやすい場所に位置することもあり、大会は非常に賑わいを見せた。

【East-S】
一関でMagic:the Gatheringを販売していた【TVパニック】には交流ノートが置かれていた。私はその店の常連となっており、その交流ノートも積極的に活用していたのだが、その中に「私の住んでいる場所でも大会を開きたい」という書き込みがあった。今でこそSNSなどのインターネットを駆使するような話は、この時代はアナログにノートで行われていたのだ。前述の通り私は大会の運営経験があったので協力することとなった。ノートで連絡を取ったのは睦月文だったが、このサークルを切り盛りしたのはさっとだったと思う。かくして千厩でも大会は開かれた。人口に比べて多くの参加者がいたと思う。

そのほか、遠野にて岡本喜劇氏を中心に活動していたサークルがあるらしく、小冊子やフライヤーを作成していたのを観測しており、大会も数度開かれたらしいのだが、残念ながら私が足を運んでおらず有識者の方情報をお願いします。同じ時期に陸前高田の【ファッションロペ】でもコミュニティが形成されていたはずだが後述する。

侵略と冒険の時代

今まで個人サークルを中心に岩手の歴史を語ってきたが、店が何もしなかったわけではない。この章では、当時の岩手の店舗と、その主催大会について述べたいと思う。
岩手県で一番最初に大会を開いた店舗は私が覚えている範囲だと1997年3-6月ごろに行われた【おもちゃのにしな、フェザン店】である。フェザンとは盛岡駅直結の総合ショッピングセンターであり、岩手県人にとって川徳、中三に並ぶデパートであるが、その中にあるおもちゃ屋さんが駅近くの会議室を借りて大会を開いた。私はこの大会でジャッジを務めたが、連絡先を交換しておらずその後については知ることができなかった。

Seize the Day

【おもちゃのイワブチ】
岩手の店舗主催の大会と聞くと、【おもちゃのイワブチ】を思い出す人も多いと思う。【おもちゃのイワブチ】は水沢駅前商店街に店舗を構える、人形でも有名な店だ。お店の方はとてもよくして下さりマジックを遊ぶために2階や、人が増えると追加で3階のスペースを貸しだして水沢のMagic:the Gatheringプレーヤーに協力していただいた。このスペースはもともと人形を飾るためのスペースであったため、(五月人形販売の書入れ時など)時期によっては使用できないこともあったが、足を向けては寝られない店舗の一つであったと思う。
特筆すべきは前述の【CoP:mizusawa】の協力を経て行った【イワブチ杯】という大きな大会を開いたことである。100人規模の大会となり、最大時期では中学生以下のジュニアの部と合わせて150人以上が参加する大会となり、当時の地方の大会としては最大規模であったのではないかと思われる。
【TOMS】
盛岡を中心に数店舗あったファミコンショップ。コンシューマーゲームの他、トレーディングカードなども販売していた。当然われらのMagic:the Gatheringも販売しており、お店の客の声に答える形で大会を開いた。基本的にはお店の方での大会運営を行っていたが、後に盛岡で個人で大会を開いていた小渡氏が途中からサポートしていた。
【駄菓子のたまや】
雫石の商店街にあった駄菓子屋さんのお店の裏手を使いカードゲームの大会を開いていた。店長とママさんの熱意も然る事ながら、息子のコロネも精力的に様々なゲームを遊ぶ。駄菓子屋と田舎の古い店舗特有のぎゅっと詰まったデュエルスペースが魅力だった。
この記事は都道府県選手権までの歴史を述べるつもりなので、たまやさんの店舗移動、PTQ開催などはその後の話なのだが、いろんな活動をしながら現代まで岩手のMagic:the Gatheringを盛り上げる活躍している。
たまやのYouTubeも存在するので、興味がある方はぜひ。

【ファッションロペ】
陸前高田の化粧品のお店。化粧品と共にゲームを置く店というのは西根の【サルビア】と同じ。定期的に大会を開いており、また節目に大きな大会も企画していた。
【アイテム】
一関の駅前通りにあるゲーム屋さん。通称道具屋。狭い店内ながらデュエルスペースがあった。一度引っ越したが、すぐそばだったので記憶違いだったかと勘違いしたことがある。
【ピラミッド】
盛岡の元喫茶店。正式名称としてはピラミッド2。初代ピラミッドは文字通りのピラミッド型の店構えが有名だったが、いろいろとあって立て直し、一階にコンビニ、二階にフリースペースとして生まれ変わった。そのフリースペースを利用したマジックの店舗としての活動が有名。何の店かといわれると、店長の趣味の店となり、大きくは将棋と卓球の店であり、古いアーケードゲームも盛り上がっていたお店なのでマジックの店舗とだけ紹介するのは違うのだが、FNMが開催されたり、ドラフトが定期的に行われたりしたので記載する。なんとなく「たまりば」として使っていた人が多いイメージ。
FNMの申請を行っていたのはまひあと、cozaの二人が主だろうか。最終的にはEDHプレーヤーのたまり場となり、EDH界隈の有名人として、かっこかり、タカノシゲキがいる。

その他、大会は開いていなかったが、Magic:the Gatheringを販売しデュエルスペースがあったお店として、花巻:【おもちゃのみやかわ】、遠野:【サンホビー】、西根:【サルビア】などがあった。【おもちゃのみやかわ】はIvory Towerというサークルの拠点となっていたが、マジックの大会は開いたおらず、花巻商店街の一角のお店という位置というイメージですが、【サンホビー】は遠野にあったサークルの拠点となっていたイメージがあります。西根の【サルビア】はプラモデルやミニ四駆など模型に力が入っていたイメージがあるのですが、他のお店ほど通っておらず情報が少ないのが申し訳ありません。

猛攻撃と金属鏡の時代

見出しの文言として、Magic:the Gatheringのエキスパンションの勝手な日本語訳を当てはめていて、だいたいの年代を表しているが、章の内容(時代)と完全にあっているわけではない。それぞれ大体この頃の活動であったと理解していただけると幸いである。

前回の章では店舗の活動を述べたが、この章では学生の活動のを主に紹介する。当然ながら、時期的に店舗が先で学生活動が後に隆盛したというわけではなく、説明としてまとめたほうが良いという判断で章分けて記している。最も広がりとしては店で売り出されたからこそ学生が遊びやすくなった面は間違いなくある。順番として大まかには正しいが、詳細な年度が判別しにくい点も考えある程度ぼかす意味でもこのような纏め方をさせていただいている。その点についてもご容赦いただきたい。

Standardize

【アシュノッドクーポン】
サークル単位で活動していた岩手のプレーヤーだが、【岩手大学】では数名が【黒蓮会】を手伝う形でまとまって活動していた。それだけでなく学内のサークルやどこか拠点を作って個人で活動していた人もいた。様々に活動しながらその中でもとくに有名なのは【アシュノッドクーポン】であろう。
【アシュノッドクーポン】は岩大のゲーム研究会のMagicを主にする一派閥がまとまる際に名乗った名前だが、有名な理由として伊☆トークンが管理していたサイト【放課後まじっく倶楽部】がある。マジックの情報を集める今で言うニュースサイトの先駆者ともいえるサイトであるが、一番最初はサークルメンバーへの情報共有として作成したものであった。初期のサイトを知っているものであれば、下の方に岩手の大会情報が記載されていたのを覚えている…と信じたいが、あまりにもニュースサイトとしての活動が有名であるため無実化してしまっている。また【アシュノッドクーポン】としても大会を開催しているが、Magic:the Gatheringの他にガンダムウォーの大会も運営していた。開催場所は上田公民館。盛岡の大会の大半は上田公民館で行われている。

【TB】
ちょうどこのころ、岩手に新しく公立大学ができた。滝沢にある【岩手県立大学】がそれだが、カードゲーム部が立ち上がっており、それが学内サークル【TB】となる。MTGWikiに唯一岩手県出身者として名前が記載されているグランプリ札幌優勝者の熊谷真一が所属していた。(岩手出身者はもう一人いるが、wikiに岩手の記載が無い)このグランプリやPTQなどにサークルで作成したデッキを持ち込んで上位入賞者を多数送り込んだり、非常にチームとして活動し成功していた印象が強い。また、少し前に岩手唯一のジャッジであったの~りが岩手を離れジャッジ空白地帯となってしまっていたのだが、その後すぐに4人のジャッジが誕生することとなり、そのうち3人がこの【TB】に所属していた。土日には学内でドラフトをやっていたが、学外からも人を呼び面子を確保していた。

【高校生選手権】
大学だけが学生ではない。そのころ日本公式でも学生の部門に力を入れており、その一つの施策が高校生選手権、通称マジック甲子園だ。(以下情報を集めてから記載予定)(一関高専がベスト4に行ったのって何年の事だっけ?それと他の年度の情報が全くないので追記したい)

神の時代

岩手の歴史は上記にあげた個人サークル、店舗などが流行り廃りを経て続いていくこととなる。学業や仕事で岩手を離れるもの。お店自体がMagic:the Gatheringの販売をやめてしまったり、残念ながらお店自体がなくなってしまったり。大会を開いてもひと時の盛り上がりに比べてだんだんと右肩下がりになってきたことも縮小した要因の一つであろう。

Final Judgment

私が岩手の大会運営に最後にかかわったのが都道府県選手権であった。開催されたのが2004年から2008年まで。開催場所は岩手で一番大きな大会が開かれた経験がある水沢のZホールを使用した。最も、私も仕事で岩手を離れていた期間があり、その間はマスターが都道府県選手権を開催していた。公式から商品をもらえる割には主催権限が強く、特別条件で商品を配りやすい大会でもあった。

その後個人開催の大会が急速に廃れることとなる。理由として、公認大会の開催は店舗経由でなければできなくなったこと。ジャッジは必ず店舗に所属するというルールができたこと。がある。店舗としてMagic:the Gatheringだけに労力をかけられる店は少なく、【駄菓子のたまや】が続けてくれた他、【おもちゃのにしな】が【Hobby square にしな】として盛岡で活動を続けている。が、そのほかの店は大会を開くまでの活動は聞こえていない。新しい店としては一関の【パワーナイン】があり、精力的に現在のマジックを支えている。

開拓の時代

以上で私の語る岩手マジックの歴史を終える。歴史の年表の様に年系列で並べることができればそれに越したことはなかったが、個人サークルなどは自然発生し自然衰退したこともありはっきりとした記録が残っていないものもある。また、高校選手権の様に公式が行った大会でもネット上に情報が無く調査できないこともあった。ふまえてざっくりとした書き方の方が正しいと思いこのように記事をまとめさせてもらう。
岩手だけではなく他の地域でも語るべき歴史はあると思う。マジックはその後も長く続いていく。その今の前にマジックを盛り上げた人たちがいたことが少しでも知られれば幸いです。
ありがとうございました。

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