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向き合うべきか、向き合わざるべきか

「40にして惑わず」とは、年齢を重ね多かれ少なかれ人生経験を積んでいくうちに「人間の実態」を見つめる視点を持つようになり「人間なんてそんなもんだ」と言えるようになり、「自分で自分の身を守る、自分で自分の人生を進んでいこうとする」ことを意味しているような気がする。これまでの人生が「惑い続けている」ものだったからまだ「惑い続けている」日々だけれど、なんとなく「40にして惑わず」を実践できているんじゃないかって思う今日この頃。 「人が環境に与える影響は大きく、環境が人に与える影響

    • 何故、踏み出さなかったのか。 結局、現実から逃げているだけなのか。 自助共助公序の精神を持ち、自助共助公序の精神を持っている人達と向き合うべきなのはわかっていたのに。 自助がなく共助公序を当然だと思っている人間に合わせて生きることなんてなかったのに。

      • チャンスを掴み取るには

        最近、世の中で「2世〇〇」が目立つのは、日本社会が貧富だけではなく経験の格差も広がってきたことの証明であり、「2世〇〇」に身を委ねることで挑戦をせず保守的になってきていることの表れでもあると思う。最近、そんなことを感じるようになりました。まさに社会主義国家ではないかと言いたくもなるのだけれど、それでも「まだ」まともな人間がいるから「まだ」世界のどの国よりもチャンスは平等にある社会なんだ…と思いたい。 転職活動を開始してからもう1年が経った。いまだに現職に在職中で、現職におい

        • どの道を進めばよかったのか

          10連休というGWが終わりまた明日からいつもの日常に戻る。私の場合3連休2日出勤からの5連休というGWだったけれど、終末もとい週末(休日)の過ごし方がわからない私には休みらしい休みとは言えない時間を過ごしただけだった。思い返せば、物心ついた頃からずっとそんな人生だったと思う。何をするわけでもなく、誰かと何かをするわけでもない休みの過ごし方しかしてこなかった。40歳前後になってようやく「多少のゆとり」が生まれて「自分がやりたいこと」をやるようになってからは、多少は変化に富んだ休

        • 固定された記事

        向き合うべきか、向き合わざるべきか

        • 何故、踏み出さなかったのか。 結局、現実から逃げているだけなのか。 自助共助公序の精神を持ち、自助共助公序の精神を持っている人達と向き合うべきなのはわかっていたのに。 自助がなく共助公序を当然だと思っている人間に合わせて生きることなんてなかったのに。

        • チャンスを掴み取るには

        • どの道を進めばよかったのか

          踏み出していくには

          「過去は現在に、現在は未来へと繋がっている。だからこそ、継続性を大事にしつつ、改めるべきものは改めていくべき」だと思っていた。多分その考え方は自分自身の経験から得た考え方だと思っていたけれど、身近にそんな例があったからかもしれないとは想像もしていなかった。亡くなった祖父が写真屋を営んでいた時期があったそうだ。私の両親からはそうした話を聞く機会がほとんどない人生で、今回は自宅の物置を片付けている際に「写真屋の判子」が見つかった為、そんな話を初めて聞かされた。どんな意思があって写

          踏み出していくには

          1番を選んだことのない人生でした。

          ここしばらく文章らしい文章を書く機会がなかった。機会がなかったというよりも、書く気力がなかったというのが正解かもしれない。どうも、自分の性質として「読書」をしていないと文章を書こうとしないようだ。ただでさえパンパンの本棚に読まずに購入したまま本棚に積み重なっている「積読」状態の本が過去一の多さになってしまっていて大変困っている。「変われる季節」である4月なので、それぞれ解消していこうと思いたった3月末。自分を取り巻く環境は相変わらずで、でも少しだけ「自信」を取り戻していて、相

          1番を選んだことのない人生でした。

          自己肯定感が高まった一年でした。

          踏み出すチャンスは得ることができた。 けれど、踏み出せないままだった。 またチャンスを得ることはできるだろうか。 後悔のない選択をするようにしたい。 それだけは忘れないように。

          自己肯定感が高まった一年でした。

          転職活動に本腰を入れ始めてから3か月に1社内定は出るようになった。せっかくのご縁なのに、踏ん切れず辞退してきたけれど。理想と現実は違うことはわかっている。 でも、少しでもこの2つを=に近づけていきたいし、近づいている手応えはある。40代半ばでもここまでやれるとは思わなかった。

          転職活動に本腰を入れ始めてから3か月に1社内定は出るようになった。せっかくのご縁なのに、踏ん切れず辞退してきたけれど。理想と現実は違うことはわかっている。 でも、少しでもこの2つを=に近づけていきたいし、近づいている手応えはある。40代半ばでもここまでやれるとは思わなかった。

          あきらめないで

          内定辞退をして一か月半が経過した。その後も転職活動は継続し、面接に進んだ企業もある以上に書類で落とされることが「少し」増えたような気がする。それが45歳を過ぎ46歳になったことが原因かどうかはわからないけれど。面接に進んでも求められるスキルは「マネジメント」が中心になってくる。一昔前の名ばかり管理職、今でいうところのプレイングマネージャーである私が経験してこなかったことを求められるのは、年齢を考えれば至極当たり前なこと。だからこそ職務経歴書にはその旨を記載しているにも関わらず

          あきらめないで

          内定受諾すべきか迷う(転職活動中)

          「自分はあれがやりたい」「自分はこれをやりたいからそれに向き合いたい」 自分の意思を行使していきたい時や、自分が努力して結果が出て自分の理想を実現させることができるときほど、自分の身の回りで問題が起きてそんなことに振り回され足を引っ張られて、結局自分の意思を行使できず、自分の理想を実現させることができない人生だった。 そんな人生を振り返ってみると「他者優先」の人生で「自分が意思を行使し、理想を実現させることで身の回りで起きている問題が拗れてしまい、自分に火の粉が降りか

          内定受諾すべきか迷う(転職活動中)

          自己肯定感を持つためには

          学卒前の就職活動よりも真面目にやっている転職活動。何とか面接も通過するようにはなってきたけれど、自分が望む結果には繋がっていない。WEB面談が当たり前のように行われるようになったから、在職中の状態で選考参加することへのハードルの高さは、昔に比べれば減ってはいるのだろう。けれど、平日日中に行われるとなれば結局は同じかもしれない。「求職者側にとっては」 就職氷河期時の就職活動。経済が微妙なのは今も変わらないけれど、「経験値」を積んだ上で臨んでいる転職活動。当時も今も変わらないの

          自己肯定感を持つためには

          踏み出せないままなのか

          読書をしていない時期と長い文章を書いていない時期は重なり合うのが私の法則。本棚には買ったけれど読んでいない積読状態の本が置き場所に困るほど溜まってしまった。1冊づつ読んで行きたいところだけれど、新刊も購入していきたくもあり…悩ましいところではある。悩ましいことはこのことだけではない「ガラスの天井」を突き破ることがなかなかできず、閉塞感しかないようにはみえないようにしているつもりだけれど心の中ではどんよりとしたものが滞留し続けている。 だから、今日は頑張って長い文章を書いて少

          踏み出せないままなのか

          恋しくて

          「人肌が恋しい」「人の心が恋しい」と感じているから「自分にとっての1番に向き合いたい」と考えるようになったのだろうか。とにかくこの2つが、恋しくて恋しくてたまらなくて、日々不安な感情が募るばかりだ。「自分にとっての1番に向き合ってこなかった」くせに、都合のいい話なのはわかっているけれど。「2番、3番」に向き合っても満たされるものは満たされる。けれど、それは「相手」に見透かされてしまってはいないだろうか。いや、見透かされているのだろう。その人が「声に出さず」とも。だから、僕には

          恋しくて

          自分にとっての一番に向き合うこと

          私はこれまでの人生で、「一番好きなもの、人」や「一番やりたいこと」を避けてきたような気がします。その理由は、「傷つくのが怖かった」というありきたりなものだけではなくて、「自分のような人間が、一番やりたいこと、一番触れ合いたいものや人に向き合っていくなんて…」という感情があったからです。「逃げているだけだ」と言われればその通りで、「逃げた先で地道に力をつけて…」なんてことをしているのだから卑怯な人間と言われても仕方がないでしょう。けれど、「自分みたいな人間に関わられても相手も嫌

          自分にとっての一番に向き合うこと

          「どこで誰と何をするのか」

          「どこで誰と何をするのか」は、年齢を重ねれば重ねるほど重要なことになってくることを痛感する日々。人の人生を左右するものであり…と言ってしまうと「他責的だ」「理屈っぽい」だの言われてしまうことは百も承知だけれど、「人は人と影響し合って生きている」のだから「どこで誰と何をするのか」によって、人生を左右させるだけのものになってくるとしか思えない。だから、人は「選別」をし「自分の意思を強いる」ようになるのではないかとも思う。 年齢を重ねれば重ねるほど「環境」は固定化されていく。「習

          「どこで誰と何をするのか」

          天井を突き抜けるには

          朝が早かったので早めに寝床に就いたらLINE電話。滅多にいやほとんど鳴ることのないスマホに電話しかもLINE電話。登録していた人からではあったけれど、20数年以上経って初めてかかってきた電話。その人が携帯番号を手放していれば、全く別の人からかかってきているであろう電話。本当は、それでも電話がかかってきたのだからでるべきだったのだろうけれど、出ませんでした。恐らくは「誰かが亡くなった」という電話(普通に考えればそれが用件だったと思う)なんだろうけど、常日頃「鳴らない電話」なので

          天井を突き抜けるには