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追悼シドニー・ポワチエ 「ソウル・ミュージックの歴史的巨人」にさえ匹敵する、黒人俳優のパイオニアの6つの偉業

どうも。

ああ、ついにこの日が来てしまいました。

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シドニー・ポワチエが亡くなってしまいました。ハリウッドにおける黒人俳優のパイオニアです。

この人に関してはですね、その黒人文化史に残すべき偉業の割に、ブラック・ミュージックのスター並みの知名度が、特に日本かな、英語とかポルトガル語で入ってくるニュースは凄まじいので日本語でのそれの乏しさにすごくがっかりしてるところですけど、すごいんですよ、この人。

それがどれくらいすごいかというと、

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彼と同じ時代、50年代末から70年代にかけて活躍した音楽の巨人、レイ・チャールズ、サム・クック、ジェイムス・ブラウン、アレサ・フランクリン、カーティス・メイフィールド、スライ・ストーン、マーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー、ジャズからマイルス・デイヴィスとジョン・コルトレーン足して10人にすればよかったな、ズバリ、これらの人たちと同等かそれ以上の功績を残しているし、出演作品は彼らの名盤並みに知られるべきですね。

さらに同時期のスポーツに例えると

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野球のハンク・アーロンやウィリー・メイズ、ボクシングのモハメド・アリ、バスケットのカリーム・アブドゥル・ジャバー。彼らにも匹敵かそれ以上ですね。

これは決して言いすぎじゃないと思います。その理由をこれから語っていきましょう。

①ハリウッド史上初の黒人の主演俳優

まずはシドニーの場合は、ここのポイントが大きいですね。

彼は20代前半だった1950年代前半にハリウッドの映画に出るようになりまして、世間一般に高く注目されたのは

ロックンロール時代の幕開けを告げたビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」がオープニング曲でおなじみの1955年の映画「暴力教室」での不良生徒役。これで名前が売れることになります。

この後に比較的すぐに主役格になるわけなんですが、

1958年の「手錠のままの脱獄」という映画で、シドニーは黒人男性で史上初のオスカー主演男優賞にノミネートされます。その時はこの動画にも出てます、この1年後に「お熱いのはお好き」での女装が当たったトニー・カーティスとWの主演ノミネートでした。

これで勢いに乗ったシドニーは

1959年には史上初の黒人ミュージカル映画「ポーギーとベス」でのポーギー役を始め、61年には謎文学「A Raisin In The Sun」での主演で話題を継続します。

②オスカー史上初の黒人の主演男優賞受賞

そして、これがすごく歴史を変えた決定的瞬間でもあるんですけど、

1964年のオスカーで、シドニーはついに主演男優賞を受賞。これまで黒人の役者に門戸を閉ざしてきたハリウッドに後世に残る風穴を開けたわけです。

これは1963年の「野のユリ」という映画で受賞となったわけですが、これはナチス・ドイツのトラウマを抱えながら自由を求めて東ドイツからアメリカに渡ってきた修道女たちが、黒人の何でも屋のシドニー、さらにメキシコ系移民の労働者たちと共に心を通わせていく話です。そして僕はこの映画を偶然にも昨日、サブスクで見たばかりでした!それだからこそ、ショックが倍加されたんです!

その証拠がこれです。

シドニーのこの当時の役どころというのは、「異文化コミュニケーション」だったり「人種差別や偏見とクリーンに戦う人」「白人女性との許されない愛」とか、この当時の黒人が白人社会の中で置かれていた立場をそのまま投影したような役が目立つんですよね。それだけに、作品が風化せずに今日まで強いメッセージ性を持って寿命が長いんですよね。

③「変革の1967年」に映画界で最大のスターに

1967年という年はいわゆる「サマー・オブ・ラブ」があり、数多くのサイケデリックな名盤は数多く生まれています。

この年、シドニーは3作もビッグ・ヒットが生まれました。

上から「夜の大捜査線」、「招かれざる客」、そして「いつも心に太陽を」。この3つが彼の最大の代表作にもなります。

 これ、すごいんですよ。「夜の大捜査線」は主役ながら彼自身はノミネートされなかったんですが、白人警部と反目する黒人捜査官役がウケて、この映画はオスカーの作品賞を受賞します。

「招かれざる客」は裕福な白人家庭の娘が実家に連れてくる黒人の彼氏役を演じてます。この映画もオスカーの作品賞にノミネートされますが、ここで彼女のお母さん役を演じたキャサリン・ヘップバーンが主演女優賞を受賞しています。

 これ、実は僕が今のワイフのサンパウロの実家に訪れた時に、この映画を思い出すと、現在の義父母に言われた思い出の映画でもあります。

 そして「いつも心に太陽を」はアワードではなく、商業的成功ですね。この当時、世界で最もおっしゃれだったロンドンの高校にシドニー扮する黒人教師が赴任する話なんですけど、この映画からはルルが歌う同名の主題歌も全米1位の大ヒットを記録してます。ちなみに僕がシドニーのことを知ったのは、高校の時にテレビでやってたこの映画を見た時でしたね。「ああ、エディ・マーフィーの20年前にこういう人いたんだな」という印象でした。あと、ビルボードのナンバーワン・ヒットの記録本でこの映画の主題歌が載ってたのを見て、「ああ、あの曲が」とも思いましたね。

④黒人主役の初のフランチャイズ・シリーズを作った


「夜の大捜査線」は人気シリーズになりまして、シドニー扮するティッブス捜査官の有名なセリフ「人は僕をミスター・ティッブスと呼ぶ」をタイトルにした「They Call Me Mr.Tibbs」(僕・夜の大捜査線)、そしてその翌年にももう1作続編が作られます、黒人の主演映画で、こういう続編、フランチャイズが作られた例もありません。

⑤監督業ではブラック・ムーヴィーの傑作も

そして、これが忘れられがちなんですけど、1970年代以降、シドニー、監督業がメインになるんです!

しかも、ただ単に主演映画の監督になるのでなしに、カルトな名作も作ってるんですよね。

その一つが、「Uptown Saturday Night」(1974)。この映画でシドニーは、60年代までのかっこいい感じではなく、すごく庶民的な役をコメディで演じてまして、当たったはずの宝くじの入った財布を盗まれ、それを取り戻しに行くだけの他愛のない話なんですけど、これがすごくこの当時にすごく流行っていた「ブラックスプロイテーション・ムーヴィー」的な、黒人の庶民の姿を手作り感たっぷりに描いたものになっているというかね。これまで、「白人社会の中を一人で生き抜く黒人」ばかり演じさせられてきたシドニーにとって、黒人社会を描くのは一つの念願でもあったと思うんですよね。

そして

その映画でシドニーはビル・コスビーとコンビを組むんですけど、それ以降2作の全3作、このコンビは続きます。そのうちの第2弾「Let's Do It Again」からは、ステイプル・シンガーズが歌った同名の主題歌が1975年に全米1位になっています。

そして1980年の「スター・クレイジー」では、とうとう彼自身がスクリーンに登場せず監督だけを行い、この作品を年間トップ10の大ヒットにします。

 ここでは当時最大人気の黒人コメディアン、リチャード・プライアーとジーン・ワイルダーの黒人、白人の凸凹コンビを売り出しました。

⑥90s以降のブラック・ムーヴィーに多大な影響

 そのあとは長きにわたり監督だけをやった時期が続きますが、80s後半に役者に復帰。ただ、それなりに主演格の映画もやりながらマイペースな活動を続けていたんですけど、90sになるとむしろ「後続への影響」が明らかになってきます。

その最右翼が「シドニーの再来」とも呼ばれたデンゼル・ワシントンですよね。この「マルコムX」を始め、80sの後半からデンゼルもオスカー常連の俳優になるんですけど。

2002年のオスカーで「トレーニング・デイ」でオスカーの主演男優賞を獲得したときのスピーチでは、シドニーに対し、「あなたの足跡だけを追ってきた。他に追いたいものなんてなかった」という発言まで行いました。

奇しくも

チャドウィック・ボーズマンが「デンゼルなしにブラック・パンサーは存在しない」と言った有名な言葉もあります。これはシドニー〜デンゼル〜チャドウィックと、黒人の正統派男優の継承の系譜があることの実例としてよく引き合いに出されています。

⑥オバマ大統領から表彰

そして2009年には時のオバマ大統領から大統領勲章を授与されています。映画人としては貴重な受賞として話題を呼んでいます。

オバマ氏はシドニーのことを「エンターテインするだけでなく、エンライトン(啓蒙)する人物だ」とたたえています。


・・と、さすがにこれだけあれば、もう十分に「なぜ偉大な俳優なのか」がお分かりいただけるでしょう。

 僕も彼に関してまだまだたくさん見なくちゃならない映画があります。そして、それらの映画が、映画史にとって不可欠なものとなっていくことを願ってやみませんね。






















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