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2023年度全国高校サッカー選手権決勝

2023年度の全国高校サッカー選手権大会決勝戦を今年も現地で観戦した。正月に国立競技場での高校サッカー観戦(工事中に埼玉へ決戦の場を移していた時を除く)は、個人的にほぼ毎年恒例の行事にしているが、1人のサッカーファンとして「青森山田vs近江」の試合を会場で観戦できたのは幸運だった。いわば、高校生の最上級チームと、超高校球チームのせめぎ合い。手を抜かない「勝ちたい」という気持ちのぶつかり合いは爽快だった。しかし率直に言えば、 8割くらいの強度で試合に入った青森山田に対し、試合開始直後から110%あるいは120%の力を見せて〝ラスボス〟に一矢報いた近江が、後半途中で息切れし、抜け目のない王者の前に倒れたーー。そんな試合だった。惜しかった。

肉体の仕上がりは、明らかに青森山田が優勢だった。近江のスピードある選手がぶつかっても当たり負けしない強靭な体幹は全選手に共通で、おそらく高校トップであろう。その肉体的水準が超高校級の選手たちは、組織的な守備を軸に文字通り近江を〝迎え撃った〟。

敵陣に向かって1つずつボールを進めるプレイの端々に余裕があり、決勝戦の舞台に立つ〝誉れ〟からくるであろう気負いなど、微塵も感じられない。前半途中までは様子を伺うかの如く、個人的には7〜8割程度で入っているように見えた。「肉体だけでなく、メンタルまで超高校級なのか」というのが私の感想だ。青森山田の選手たちの背中は「さぁこい近江よ、どう攻めてくる?」と語りかけているようだった。とにかく、余力があるように映った。

対する近江は、スピードと個人技が光るチームだった。中盤より前の選手はほとんど全員が巧みなドリブルで観客を魅了した。10番の選手が前後に走り、バランス良くボールをさばくのも印象的だ。チーム全体で敵陣へ侵入する速度も素晴らしい。青森山田の守備の裏を見通す目は鋭く、何度も間隙を縫った。青森山田がボールを保持した瞬間にダッシュで詰め寄る様も鬼気迫っており、ボール奪取後の切り替えも速かった。特にフル出場した7番の選手は、ドリブルで縦横無尽に青森山田の陣営を切り裂き、何度もチャンスメイクした。

青森山田の守備陣が、前半は近江のドリブル主体の組み立てに翻弄され続けたのは明らかで、手を焼いてる場面は何度もあった。スタッツは見ていないが、前半だけであれば、得点のチャンスは近江の方が多かったと思う。少なくともそういう印象があった。ただ「それでも」なのである。

「惜しかった」と表したのは、青森山田に先制点を許した後にすぐ近江が追いついたからだ。強豪校を相手に先制を許した場合、気落ちすることが多いのに近江は違った。すぐに得点し返してみせた。しかも得点の瞬間は、完全に青森山田の守備陣を崩した。少なくとも前半は近江が押している場面が多かった。個人技が光る各選手の閃きがゴールへの道筋を切り拓いた。〝あの〟青森山田の守備陣が崩れたのだ。ドリブルを主体にして崩す前半の攻め方はドンピシャだったという証明だ。繰り返してしまうが「それでもしかし」なのである。近江が追いついたことにより、眠れる獅子を起こしてしまったのだ。。

失点により、青森山田のギアは8割程度から9割に上がった。失点しなければ8割の力でねじ伏せたのに、と言わんばかりだ。アタッキング3rdへ侵攻する速度が一気に増す。得点の匂いがスタジアムに充満する。しかも「無理はしない」という風格を纏って。

9割の強度に増した青森山田は、観客の誰もが「まずい」と感じる場面を徐々に増やしていく。そしてついに、スルスルと近江のゴール前中央にボールが転がし、奔走した近江の守備陣の努力を無にした。「たまたまだ」や「運が良かった」と見る観客がいただろうか。違う、もはや120%で試合に入った近江の力が落ちてきていたのだ。

ここから〝王者〟に対し寒気すら覚えたのだが、驚くことに、観客の私から見て、青森山田は2点目を取ってやっと、プレイの強度を100%に上げたと思う。トドメを刺すために。残酷だ。前半から120%くらいで飛ばしてきた近江には、もはや鋭さがなくなってきていた時間帯だ。クリアがもたつく、ルーズボールで一瞬〝お見合い〟してしまう、パスが味方と合わないーー。2日前に激闘を制した近江には、肉体的な余裕がなかったのかもしれない。対する青森山田も、名門であり強豪の1つである市立船橋と〝事実上の決勝戦〟くらいの死闘を繰り広げたのに、後半にギアを上げる余力を保持していたのである(ように見えた)。

とどのつまり、その余力の差が、勝敗を分けたのかもしれない。

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1点リードした青森山田が試合を落ち着けるどころか1段ギアを上げたことを象徴するかのように、青森山田の3点目は、近江の選手がシュートに対して伸ばした脚にギリギリ当たったボールが自らのゴールへ吸い込まれてしまい生まれた。守備陣として、精神面がやられてしまうような失点の仕方だ。失点後に選手たちが集まって何やら話し、仕切り直しを試みたようだが、何人かの選手は、張り詰めていた集中の糸が切れてしまったように見えた。もちろん、諦めない選手もいる。7番の選手だ。10番の選手も2点差にもめげず「まず1点」と思っているようだった。

しかしうまく連携できない。気持ちが切れていない選手の孤軍奮闘だ。組織による守備がむしろ強固になっている青森山田の陣営は、もはや1人の選手のドリブルだけでは混乱しない。ダブルチームで門戸を閉じるのが速い。ゴール前でも落ち着いている。セカンドボールは全てカウンターに繋げるーー。

近江の弱点を挙げるとするなら、ドリブルで崩す戦術が組織的でなかったことかもしれない。前半の120%で魅せたドリブル主体の攻め方は即興が多かった。アドリブのドリブルが多いと、持久力が落ちてくる時間帯では、瞬発力に頼れなくなり味方の選手でも合わせるのが難しくなってしまうのだ。ロストボールも予期しにくくなる。負のスパイラルに落ちやすい。

もちろん、組織的な決め事はたくさんあっただろう。それでも、後半に、そのような片鱗は観客の私からは見えなかった。近江は明らかにドタバタしてしまった。最初から組織的なドリブルで体力を温存できていれば、後半20分過ぎくらいからの失速は防げたかもしれないと思ってしまう。それくらい、近江は全体としては良いチームだった。好きなチームだ。本当に惜しかった。作戦的には1-0での逃げ切りか、2-1くらいだったか。それ以上の想定がなかったように思う。

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なぜ私は高校サッカーを正月に観るのが好きなのか。それは単純なことだ。なんとなく「分かる」からだ。

私にとってプロサッカーは、体験していないがゆえにおとぎ話のような世界だ。サッカーの質の高さや、肉体的な強度に対し「すごいな」と思うことこそ頻繁にあれど、実感を伴うことはない。しかし、県立のしがない高校でサッカー部だった私にとって、全国高校サッカーの決勝戦に残るチームがどれほど凄いのかは、なんとなく想像できる。神奈川県のベスト16に進む目前で常連校に跳ね返された1個上の先輩たちが主体のチームを知っている。運動神経が優れた先輩たちと毎日練習する過酷さや楽しさ、おそろしさは身をもって知っている。また、当時の県2位のチームと練習試合で戦った経験や、のちに選手権本戦のトーナメントへ出場するチームとの戦いなどから、そのトップに君臨するチームと相対することができたのなら、どんな映像が見られるのか、どんな体験になるのかは、なんとなくわかる。どれくらい肉体を酷使するのかも想像できる。率直に言って、当時の自分の努力が恥ずかしくなるくらいの水準だろう。

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あの頃、本音を言えば、もっと努力できたと思う。色々な事情があった。どういうわけか、部活の道具に突然お金を出さなくなった両親に対し、早朝と深夜のバイトで捻出せざるを得なかったこと。小学生の頃に骨折した右足の後遺症でガングリオンが常に痛かったこと。同じく小学生の時に曲げた尾てい骨の後遺症で完全にMaxで短距離走ができないもどかしさーー。言い訳は挙げればキリがない。

さらに本音を言えば、「もっとできたと思いたい」という自分もいる。だからこそ、高校サッカーの正月観戦は「あの頃、できていた努力ですら、大したことないんだぞ」と振り返る機会になる。「もっとできたはず」と振り返ってしか思えないのか。そして「オマエは今、本当に全力の少し上に行くために努力ができているのか?」と問いかける。だから、高校サッカーを観戦することで今の自分に鞭を打つ、この上ない機会ができる。言い換えれば、高校生の彼らから、勇気をもらうと言えると思う。彼らに、奢りを払ってもらえるような気がするのだ。

こんな自分でも「もっと頑張ろう」と思うのだ。

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高校サッカー、今年もありがとう。

「これでいいだろう」という慢心は捨て、
努力を重ねよう。

今オレがいる世界で、凌ぎを削ろう。常に〝最良の自分〟を目指すために。

唐突だけど、これが、素晴らしい戦いの果てに、今の自分に言いたいことだ。

(了)

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