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ヒラマツグミが再構築する、地域の風景と暮らし(兵庫県淡路島)


はじめに

日本各地に存在する空き家を、地域が抱えている課題解決の糸口にできないか。その思いで始まったTHEDDO./スッド。
noteでは、THEDDO.メンバーの活動記録や空き家に対する思い、考えを発信するほか、既に各地で空き家問題や新たな場づくりに取り組んでいる方々への取材記事も掲載。空き家問題や空き家の改修・利活用を考える人々にとってヒントになるようなお話を紹介していきます。 

プロフィール

今回取材したのは、ヒラマツグミ一級建築士事務所の平松克啓さんと、プロジェクトパートナーの北祥子さん。

平松克啓さん

平松克啓さんは兵庫県淡路島出身で、2003年に大阪工業大学を卒業し、間工作舎に入社。2007年に淡路島にUターン後、「ヒラマツグミ一級建築士事務所」を立ち上げ、淡路島を拠点に建築設計に携わるほか、古民家情報提案サービス「recominca(リコミンカ)」や、淡路島の素材を使った家を提案する「淡路島の家」プロジェクトなど様々な取り組みを行っています。

北祥子さん

北祥子さんは東京の広告会社に勤めていましたが、ヒラマツグミ一級建築士事務所の建築の在り方に惹かれ、夫婦で淡路島に移住。夫がヒラマツグミの設計スタッフとして勤務するかたわら、自身では日本各地のプロジェクトに建築設計ディレクター、広報担当として携わるなか、ヒラマツグミのプロジェクトにも参画し、サポートしています。

海と山が近く、美しい淡路島

 1998年に明石海峡大橋ができ、企業や人が多く流入した淡路島。淡路島の家屋やコミュニティに生まれた変化をお聞きしました。

帰郷して知った、淡路島の一面

代表を務める平松克啓さんは淡路島出身。大阪工業大学を卒業後、大阪のアトリエ設計事務所で働き、2007年に淡路島に戻りました。資格取得の勉強をする上で、時間や金銭面の余裕を考え淡路島に戻ったため、資格取得後は再び大阪に戻ろうと考えていた平松さん。しかし、実際に帰郷してみると、思いもよらない出会いと発見がありました。
 
「地元に戻ったことによって、先輩や友人たちから改装やデザインの相談をされることがあって。いろんな人と出会えたことによって、田舎も悪くないなというか、『なんか意外と面白いな』と」
 
陶芸家さんのギャラリー設計や民宿の改装など、地元の建築物に携わっていくうちに生産者の方や個人で活動する作家さんに出会う機会が増え、彼らと共に働く環境が淡路島にあることに気づきます。

暮らしと働くがともに存在する淡路島

クリエイティブの分野で働く人々との出会いだけでなく、建築の面でも発見が。それが、人口の減少と共に増加していた「空き家」でした。
 
「設計事務所で働いていた時は主に新築に携わっていたので、いわゆる建築家っぽいことを目指して、自分の作品を作りたいって思っていたんですが、地元に戻ると、古民家で朽ちていく家っていうのが多くて。そういう状況を見て、何かできないかなと考え始めました」
 
また、淡路島には日本三代瓦の一つである「淡路瓦」という江戸時代から続く伝統的な地場産業がありますが、平松さんがその存在を知ったのは帰郷してから。地元で行われていた建築というものを知らなかったことに改めて気づいたと話します。
 
先人たちはどのように家を作ってきたのか、放置されていく家をなんとかできないか。2つの思いから、淡路島にある空き家の調査を主な目的とした「recominca(リコミンカ)」というプロジェクトを2009年に立ち上げました。地元の不動産屋とタッグを組み、淡路島にある古民家約50軒を不動産情報としてwebサイトに掲載。1軒1軒、丁寧に撮影と取材をし、古民家の魅力を伝えました。

淡路島には、推定1万軒の空き家が存在

 「不動産屋さんから成功報酬として宣伝費の形でお金をもらっていたんですけど、実際問い合わせはすごく多かったです。どこが売りかわからないような写真だけがアップされている状態と、『欄間が綺麗ですね』とかコメント付けながら掲載するのとでは、やっぱり違いますね」 

その後、企業の流入や移住者の増加が加速し、空き家の借り手が見つかりやすい状況に。平松さん自身も本業である建築設計の仕事が立て込んだことから、2021年に淡路島にて地域おこし協力隊として活動していた方に「recominca(リコミンカ)」を引き継ぎました。

淡路島の暮らしと家

「recominca(リコミンカ)」の調査を続けていくうちに、家を形づくる材料に着目し始めた平松さん。淡路島に昔から住む人に話を聞き、かつては近所の人が集まっては土壁を塗ったり、裏山から木を降ろしたりと、職業を問わず多くの人が家づくりに関わっていたことを知ります。

多くの人たちの仕事でひとつの家が完成

「今の設計建築業界は分業化がきっちりしていて、図面を書けば現場に材料が到着してパッと家ができる状態。だからこそ、そもそも家ってどのように作られていくのかよく分からない状態で。木を切るところから家作りをもう1回ちゃんと勉強しようと思いました」 

そうして2016年に立ち上げたのが「淡路島の家」プロジェクト。島にある身近な素材で家を建てることを目指して始まりましたが、まず淡路島には「林業」がありませんでした。戦後に行われた植林によって人工林はありますが、保安林として管理されているため、すぐに利用できる状況ではない木がほとんど。民間が管理している林はごくわずかで、家づくりに使用するための流通の仕組みが成り立っていませんでした。 

「隣村の山にある木を採ってくるよりも、島の外から買った方が安く手に入るっていうよくわからない状況があって、それはそれでどうなんだと疑問がありました」 

その土地にある素材を用いて、近所の人たちと協力しながら自分たちの力で家を作り上げていた時代から、外から全て材料を購入し、誰かがやってくれる仕事の積み重ねで家が出来上がる時代。その変遷の中で失ってしまった技術や知恵、コミュニティはきっと少なくないはず。

「自分たちが山に行って、この木を切らせてほしいって交渉をして、 その木をどこで製材するかまた調べて…って1個1個、クリアしないといけなくて。でも、実際にやり始めてみると面白いですよ。1年に何回か、伐採できて、製材できてって環境を整えていきながら少しずつ家が建ってくれれば、ずっとその流れが続いていけるかなと思っています」

家づくりとは本来、切り離せないはずの林業

2019年2月に1軒目として自分自身の家を建て、現在は2軒目に挑戦中。
柱、壁、屋根に必要な木、土、紙は淡路島産、基礎などに用いるセメントやコンクリート、鉄は島外から購入し、今の暮らしにアップデートした淡路島の家を作っています。

プロジェクトを進めていくうちに、「山の手入れをしたい」と協力してくれる人も見つかり、次は年々高齢化が進む製材所の人材についても考え始めていると話します。

家づくりを進めていくうちに、地域に新しいコミュニティが編まれていく。かつて淡路島にあった景色が、少しずつ蘇り始めているようです。

「淡路島の家」イラスト

▼「淡路島の家ができるまで」Webサイト
家ができ上がる過程や、平松さんの思考の変遷を知ることができます。

家から始まる、淡路島のコミュニティ

取材をする中で驚いたのは、「recominca」も「淡路島の家」プロジェクトも、「自分もそのプロジェクトに携わりたい」と声をあげる人がいること。そういった活動に関わってくれるのは、淡路島に移住してきた人の方が圧倒的に多いそうです。

東京から淡路島に移住した北祥子さんも「ヒラマツグミの姿勢に強く惹かれたことが、移住の決意につながった」と話し、平松さんのような人が地域にいることがコミュニティ形成の上で重要だと語ります。

「移住者や企業の流入が増える前、まだ『淡路島には何もない』みたいに言われていた時に、この場所をどう豊かにしていこうかを真剣に考えて、最初の原動力をつくった人たちがいると思っていて。そこに吸い寄せられて、関わりたい、応援したいと思う人たちが集まってきた結果、新しいお店ができたり、コミュニティができたり、ちょっとずつ住みよくなっていって。そういった環境がまた吸引力になって、今があるんだろうなと思います」

1998年に明石海峡大橋ができ、大きく利便性の上がった淡路島。
しかし、人がその土地で生きていこうと思うには物質的な豊かさだけが全てではありません。その土地で暮らす人々もまた、外の人を惹きつける大きな要因。淡路島はその両輪がしっかり揃って回っているような印象を受けます。

コミュニティが循環する淡路島

一方、その当事者である平松さん自身は、自分でコミュニティを作っている意識はあまりないとのこと。

「分業化されているとはいえ、建築に携わっていると多くの人とコミュニケーションを取る必要があるので、色々な関わりができやすいです。家づくり以外に、ヒラマツグミでは食器や照明を作る作家さんの作品をギャラリーで販売したり、カフェをやったりしていて。『衣食住に関わる人』って本当にたくさんいるので、まちづくり系の取り組みをしようと思ってやっているわけではなくても、自然とそうなっていく感覚がありますね」

建築に対する真摯な眼差しの先にあった、淡路島で生活する人々。
意識せずとも、人と人のつながりの起点になっているヒラマツグミ。

その在り方は、持続可能な地域コミュニティを形づくるひとつの道を示しているようにも見えました。

海と山と暮らし

家を生かすことで、地域を守る

淡路島で家屋に関する様々な取り組みをしてきた平松さん。
今後も増加が進む空き家に対して、どんな対策が必要と感じたか聞いてみると、権利関係の面で古民家を使用可能にするのが難しいと話します。

「登記簿を元に権利者がどこに住んでいるのか調べて、確認のハガキを出すというのも一時期やったことがありましたが、100件出しても、1〜2件返事があるかどうか、みたいな状態で。できたら、そういうところは公共と組んでできたらいいなと。「recominca」では不動産屋さんと組んで、希望者を繋いできたので、利用できる状況にさえできれば、ただ朽ちていくのを待っている状況は避けられると思うんです」

所有者の権利が強く、他者が介入することが難しい「空き家」。
行政との連携はもちろん、空き家になる前に、所有者が分かっている内に、当事者が対策していくことも重要です。

「古民家があるところって、近隣同士でコミュニケーションをとってきた地域性があって、回覧板を回したり、道作りをしたり、今までしてきたことが家1つ抜けてしまうとできなくなってくる。誰かが住んでいる・使っている状況にすることで、地域やコミュニティを守っていくことに繋がると思います」

暮らしがあるところに地域コミュニティが生まれる

<編集後記(THEDDO.)>

実はTHEDDO.メンバーが地域の活動を始める頃に拝読し、(勝手に)バイブルとしていたのが、平松さんの著書である「淡路島はたらくカタチ研究島」という本でした。その時と同じで、しかしまた違う視点から平松さんとヒラマツグミの皆さんが家を起点に見つめ続ける、「地域の暮らしのあり方」を聞かせていただきました。約30年前に明石海峡大橋ができ、そこからハード・ソフトともに移住者が増えるきっかけを作り続けているヒラマツグミの皆さん。約40年前に国鉄が撤退した大隅半島には、もしかしたらそんな物理的なチャンスはもう二度とないのかもしれないけれど、空き家を起点に、人が暮らしていくきっかけづくりや地域性、暮らしのあり方を再編していくことはできるのではないかなと励まされました。ありがとうございました。

(編集・執筆 坂本彩奈)


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