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【こころ #33】苦しかったのは、身近な人間からの無理解

関 茂樹さん(前編)


 関さんは、脳や心に起因する疾患及びメンタルヘルスへの理解を深め促進する『シルバーリボンジャパン』の代表を務めている。その活動の源流は、関さんが19歳の頃に遡る。


 早朝に「体中に電気が走るような感じで飛び起きた」。前ブレなく突発的に、体中に蕁麻疹が出た。その日から「ずーんと重い倦怠感を感じ、全く眠れなくなった」。

 それだけではない。「世界がガラッと変わった」。常に気が晴れない、思考が回らない、感情がはっきりしない、暑い寒いの感覚や味覚も感じられなくなり、「生きるバイタリティが減退した」。心理的にも「ひどい焦燥感があり、自分を否定して責めていった」。


 「それまで大きな病気をしてこなかった自分だったので、病院に行くほどでもないだろう」と、3カ月もの間、こうした症状を「我慢し続けた」。やっと病院に向かっても、脳のCT/MRI検査をしてもらっても、結果は“異常なし”。「自分の中では“何も異常がないわけがない”が、医師の反応はそっけなかった」。セカンドオピニオンを求めても、自律神経の不調やストレスが原因と言われ、具体的な病名や対処法は教えてもらえなかった。

 その後も「ひたすら我慢でした」。体の症状もさることながら、家族環境が「一番しんどかった」。「家は経済的に余裕がない状況だったが、19歳まで好き勝手に生きてきた。高校は中退し、親に迷惑をかけてきたけど肉体労働をやって家にお金を入れればそれで十分だろうと思ってきた」関さんは、もはや働こうと思っても叶わない状態だった。状況が理解できないご両親や大学に通うお兄様には「体調不良は気の持ちようだ、詐病でないのか、甘えてないで働くように、と責め立てられた」。とにかく何もできなくなっている自分の姿が「不甲斐なかった」。


関さんの足が決して向かわない先が、なんと精神科だった。理由は『セルフスティグマ(精神障害者本人がもつ偏見)』。「自分が精神疾患になるはずがない。精神疾患になるのは弱い人だと思って、自身で受け入れられなかった」。しばらく経って一度足を向けたことがあったが、その時の病院側の対応があまりにひどく、「余計に足が遠のいた」。

 結局、3年もの長い間、症状は全く変わらず、家族との関係も勘当される寸前までに至る。様々な検査をしても原因不明、詐病ではないと話してもわかってもらえない。「どうしたら自分の苦しみをわかってくれるかと思ったとき、視覚的に見える形で訴えるしかない」と思い立ち、左手の薬指を切り落とした。

 これは、冷静さを失った衝動的な行動ではない。どうしても「追い詰められていることをわかってほしく、(残された手段は)それぐらいしかなかった」。その行為の後、関さんは落ち着いて自ら救急車も呼んでいる。


 そこまでしたが、「五体満足で生んでくれた親に申し訳なく、それ(傷)を見せることがなかなかできなかった」。数日後、それに気づいた兄に呼ばれた母親は卒倒した。家族に改めて自分の苦悩を打ち明け、家族も「そこまで追い詰められていたのか、そこまで追い詰めてしまったのかと身につまされたみたいで、それ以降家族からの当たりが変わった」。そこから、関さん自身も「病気を受け入れられるようになり、時間と共に体調が良くなり、少しずつ眠れるようになり、回復に向かっていった」。


 精神科に通院せずに回復過程をたどった関さんにとって、「一番しんどかったのは、身近な人間からの無理解」だった。同じ気持ちで苦しんでいる人もいるのではないかと調べたら、「家族に理解されないとか、親友に言えないとか、同じように苦しむ当事者はたくさんいて、(自分の苦しんできたことが)腹落ちして、何より励みになった」。

 そして、「この経験を何かに生かせないか」という想いが、冒頭でご紹介した『シルバーリボンジャパン』の活動につながっていく。


後編に続く)




▷ シルバーリボンジャパン



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