見出し画像

『MEN’S CLUB』と『VAN JACKET』で育った私が『UNIQLO』を着ながらメンズファッションを語る件

水曜日はオヤジのファッションを語ってきました。
 
一昨日、この年内いっぱいで日替わりブログを一旦締めさせていただくことを宣言させていただきました。
今夜がオヤジファッションブログの中締めです。
 
そもそも、何故オヤジ向けのファッションコラムを書き始めたのだろう?
スーツにネクタイ姿で通勤するサラリーマンは明らかに減少傾向にあり、また元々はスーツ&ネクタイ姿だった人達も『オフィスカジュアル』の号令の下、きっちりとネクタイを締めて革靴を履いて通勤する機会がめっきり減ってきました。
 
現在、通勤電車でそうしたスーツ&ネクタイ族を見掛けるとしたら、一部の金融関係か、一部の法曹関係か、一部の営業職の方か…。或いは一般的な企業に努めていながら私のようにスーツ&ネクタイ姿が好きで敢えて着用している人たちに限られてきそうです。
一部の、と書きましたのは、例えば金融業界だからといって皆さんスーツにネクタイである必要性もなくなっているようですから。
例えば三井住友銀行では、2019年秋に東京・大阪本店にて『年間を通して服装は自由』との通達を出して、7割がたの行員さんが脱スーツで通勤したといいます。

私がスーツ&ネクタイ姿に身を包む着こなしが落ち着く原体験となったのは、学生時代から20歳代に毎月購読していた『MEN’S CLUB』(1954年創刊)。
あと、『POPEYE』・『Hot Dog Press』といった恋愛指南雑誌や、『BRUTUS』のような趣味生活雑誌の影響も大きいかと思います。
時に1980年代ですね。

最近のメンズクラブ表紙

男性ファッション誌として今も有名なのは『MEN’S NON-NO』(1986年創刊)ですかね。
初期は阿部寛や風間トオルがモデルとして登場し、若き日の木村拓哉も愛読者として有名でした。1990年代には『メンズノンノ専属モデルオーディション』が恒例となり、ここから幾多の俳優やアイドルが輩出されています。
(余談ですが、阿部寛は創刊号から第43号までの表紙モデルを務めており、『世界で同じ雑誌の表紙を最も長く連続して飾った人物』としてギネスブックに認定されています。)

『MEN’S CLUB』がオーセンティックなトラッドやアイビーファッションの教科書だったのに対して、『MEN’S NON-NO』は時代の半歩先を行くトレンドファッション誌。取り扱っているのはデザイナー系やときにモード系が中心でしたので、自ずと『MEN’S NON-NO』の方が発行部数を上げていきますが、私は頑なに『MEN’S CLUB』だけを読み続けていました。

当時の(今でも?)『MEN’S CLUB』には『街のアイビーリーガース』というコーナーがあって、その筋では有名な正木まさきカメラマンが繁華街や観光地でファッションウォッチングしながらアイビー&トラッドっぽい服装をした人を撮影して、その写真に くろすとしゆき氏が寸評を記すといったコーナーでした。

1987年10月号かと…

撮影場所は2ヶ月前の同誌で告知され、その当日には何十人ないしは100人近い『アイビーリーガース』(アイビー&トラッドに身を包んだ老若男女)が集まってきます。
撮影場所は、例えば関西ですと『(大阪)心斎橋ソニープラザ周辺』とか『(京都)四条大橋周辺』、『(神戸)異人館通り辺り』とざっくりと告知され、かつ正木カメラマンがより良い風景を求めて歩き回りますもので、数十名の『アイビーリーガース』の民族大移動となります。
それらしい人同士、匂いというかイデタチで分かりますので、『河原町の方に移動したみたいですよ!』、『去年は確かこの路地で撮ってました!』と情報交換しながら、なんとか自分も被写体に!と正木カメラマンを探して歩き回ったわけです。

1986年2月号かと…

当時は今でいう『コスプレ』イベントもありませんでしたが、街中で明らかに浮くようなトラディショナルな正装の紳士や、ポップで奇抜なアイビーファッションの若者など、さながら『お洒落な仮装行列』の様相を呈していたような記憶があります。

因みに、私が大学の4年間と社会人になってからも数年間、『街のアイビーリーガース』撮影会が京都・大阪・神戸にやってくる時は必ず参加するようにしていましたが、7回ほど行って撮影してもらえたのが6回。そして晴れて『MEN’S CLUB』のそのコーナーに掲載され、くろす氏に講評してもらえたのが4回でした。
今でもその掲載誌4冊は宝物であり、青春の想い出であり、永久保存版であります。

私の永久保存版

さて、日本に於けるアイビー・トラッドファッションの元祖といえば、石津謙介氏(1911-2005年)。
株式会社ヴァンヂャケット(1948年)の創始者にして、日本メンズファッション協会最高顧問。

高度経済成長期の日本に、『アイビールック』や『みゆき族』という言葉を流行させた人物。
また、今や特にファッションに詳しくない一般の方もふつうに使っている『Tシャツ』・『トレーナー』・『スニーカー』といった和製英語、『ステンカラーコート』や『スイングトップ』といった洒落た呼び名、『カジュアル』や『ヘビーデューティ』といったシーン名称、さらには『TPO(Time/Place/Occasion)』・『キャンペーン(宣伝活動)』・『プレミアム(景品付き販売)』等の社会用語を発明し、定着させたのも、石津謙介氏の功績であります。

ところで…
トラッドだアイビーだと言いつつ、今は UNIQLOばかり着てますやん!というお声にお答えしますと…

UNIQLOの創業者である柳井正氏のご実家が、山口県宇部市で『VAN SHOP』を経営(正確にはご実家が紳士服店で、姉妹店として VAN専門ショップもされていた)。
柳井氏自身も若い頃から VAN & KENTのアイテムを着こなし、トラッドに精通していたこともあって、ユニクロ創業時には旧ヴァンジャケットのデザイナーを招聘されたりしています。
また逆に、初期のユニクロ店舗を見た晩年の石津謙介氏は、『これが私のやりたかったことだ!』と呟いたとも言われています。
つまり石津氏と柳井氏の両名は、単なる衣料品量販チェーンではなく、『文化カルチャー』を売りたかったわけです。

石津謙介の長男で服飾研究家の石津祥介氏と柳井正氏の対談を覗くと、両者の心底に相通ずるのがあることがよく分かります。なにより、石津祥介氏は下着らカジュアルまで全て UNIQLOを愛用している!等と聴くと、UNIQLOファンでありまた往年の石津親派である私なんかは小躍りするほど嬉しくなってくるのです。

というわけで、私が自身の『還暦』の御祝いに自分で買う『ちゃんちゃんこ』は、VANのレザー袖の赤いスタジアムジャンパーと決めています。
先日、名古屋市内の VAN SHOPで下見したら、学生の頃に4万円だったものが8万円強になっていました。当たり前ではありますが…
なかなか入らないレアアイテムらしいので、次に見つけた時には取り置きが必要そうです。

イメージ画像です…

お読みいただき、ありがとうございます。
『♡スキ』いただければ励みになります!
フォローやコメントも、さらに嬉しいです!
曜日ごとにテーマを決めて毎日書き綴っています。ご興味あるカテゴリーのバックナンバーも是非ご一読ください。
下線部をタップいただければ、各マガジンに飛びます!
(月曜日)キャリア・定年・週末起業
(火曜日)音楽・ギター・楽器
(水曜日)オヤジのファッションウォッチング
(木曜日)ええ歳こいてクルマ好き
(金曜日)グルメとお酒のお話し
(土曜日)徒然なるままにノンジャンル

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?