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善友

大愚和尚さんの一問一答の中に、善友ということばが出てきました。
善友とは人格的に優れ、智慧の備わった友達ということのようです。
そういう方とつき合えば自分が成長するための近道にもなります。

世の中いろんな人がいます。人との関り方も様々です。友達をたくさん作って広く浅くつき合う人もいますし、狭く深くつき合う人もいます。でも、人間関係というのは広げ過ぎると浅くなってしまうという傾向はありそうです。

仏教では人とつき合うなら人格者や善人とつき合いなさいという教えがあります。浅いつき合いではお互いに教えられることも少なく、少人数でもやはり深い人間関係、信頼関係を築くことが大切なのかなと思います。善友をつくるには相手を理解するという努力も必要です。自分にないものにたいする尊敬の想いも大切です。

中国の故事に
千里馬常有而伯楽不常有
千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。
ということばがあります。

千里を走る優れた馬は、常に世の中に存在するが、馬を見分けることができる名人(伯楽)はいつも近くにいるとは限らない。

この故事のように世の中には善友となれそうな人はいるはずなのですが、それが見つからないのは、探そうとする側の力量にも問題がありそうです。

どうすれば人を見る目を養うことができるのでしょうか。
人を見る目を養うためには、次の二つがあるようです。

・相手に対する先入観をなくす。
・人からの情報を鵜吞みにしない。

はじめて人と会うときに、まず外見でおおよそ判断してしまいますし、他の人から聞いた情報を参考にしてしまいがちです。やはり、人の情報はあくまで参考程度にとどめ、自分で情報を集め客観的に判断することが大切のようです。

結局、自分を信じて善友をつくるみたいな着地点になってしまいました。
善友というのはめったにできるものではありません。もし、そういう人に出会える機会が巡ってきたのであれば、それを大切にするという意味でも、少し深入りして信頼関係を築くことも必要だと思います。


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