めばる

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趣味は書道、硯石の研究、やきもの蒐集のほか、禅、ブッダ、芸道、哲学、科学、進化生物学、宇宙論、歴史などに興味があります。たんなる噂話にならないよう、学びのある情報発信を心掛けています。 @thakuraku #硯 #赤間硯愛好会 #書道 #伝統工芸 #独学 #哲学

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  • 硯考

    硯と磨墨のしくみ

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はじめての哲学 自分探し?

 養老孟子 「自分」の壁 では人生には世界の基準、物差しがあるべきなのにそれが揺らいでしまっているとあります。  人間というのは一人一人がそれぞれの世界像をもっています。その世界像に方向づけられて生きているので、自分の世界像が危機に瀕したときそれを見直す必要にせまられます。このときに役立つのが哲学ではないかと思います。  私とは何かについて他人や自分に対して物語る場面で私たちは自分の世界像をつねに確認しながら生活しています。つまり私の物語を作っているわけです。この物語は自

    • 硯考 書道と心技体

      「心技体」とはその言葉の通り心、技、体、(メンタル、テクニカル、フィジカル)三つのバランスがすべて整ったときある特定の能力において最高の力=パフォーマンスが発揮されるということです。 「心技体」を最初に使い始めた人物は、柔道家の道上伯(みちがみ はく1912〜2002)といわれています。彼は戦前からこの言葉を使っていたようです。1953年に柔道とは何かという質問に対し、 「最終目標は心技体の錬成であり、それによって立派な人間になることである。」 と答えたことが伝えられていま

      • 1/fゆらぎ

        ゆらぎ 近ごろ、1/fゆらぎということばをよく耳にします。これを理解するためにまず、ゆらぎとはいったい何でしょうか。 ゆらぎ というのは動作として揺れているよいうことではありません。ゆらぎ とは規則正しく並んでいるものが少しズレることを意味しています。ものごとの空間的時間的変化や動きが全体としては連続的だけれど、部分的に不規則な状態であることをあらわしています。 例えば音。音には周波数があります。周波数とは波動や振動が、単位時間当たりに繰り返される回数のことです。例えば

        • 道草

          最近ある方からこんなことをいわれました。 名馬とか駿馬というのは気の使い過ぎで、本当はただの馬なのですが、とても的を得ています。勝手気ままだし、すぐに何かにこだわって深堀するので相手するのは大変ですよということのようです。まあ、こうまで当たっていると困ってしまいます。 この話は少し前に私がnoteにあげた善友というのがありますが、それが下敷きになっています。つまり、 千里馬常有而伯楽不常有 千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。 千里を走る優れた馬は、常に世の中

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          桜の花に想ふ

          今年も桜の花はきれいに咲きました。 この写真は山口県の萩往還梅林園の桜です。 萩まで出かけた時に撮りました。種類はソメイヨシノ。 4月7日でしたからもう散り際です。 ソメイヨシノは染井さんという人が作った種で、すべて挿し木なんだそうです。つまり、クローンなんです。だからほかの桜とは違って一斉に開花し、一斉に散ってしまうという生まれつきの性質があるんですね。 桜といえばその散り際の美しさで知られています。その潔さや、 もののあわれといった感情が日本人のこころに響くのでしょう

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          荘子の思想

          荘子の思想 このような無常観は仏教の思想に通じるものがあります。彼は一切の変化の根源を「道」と名付けました。「道」とは無限定なものです。 絶対的な正しさを信じるがゆえに人は間違った判断をし、対立が生まれ、争いが起こってしまうのではないでしょうか。 自然のままの人間とは荘子の描いた究極の理想像です。荘子は人間をあくまでも自然存在としてとらえています。人為が過ぎると自然を傷つけてしまいます。科学進化というもとで人間の心はますます自然から遠ざかりつつあります。人間が自在な境地

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          硯考 坑仔巌硯の下墨量を上げたいのですが・・・(2)

          前回、目立ての深さを上げることで改善しようと思いましたが、下墨量がそれほど上がりそうになく、今回は下地の粗さを変更し、大き目の凹凸を形成することから始めました。 粗目の凹凸形成には番手を上げた研磨剤Gを使用します。研磨剤を使用する場合には、1回では処理できないので、別の研磨剤で仕上げ処理を行う必要があります。 下地の粗さの比較 前回と今回で下地の粗さを比較してみます。 今回は粗目で凹凸も深くなっていることが分かります。 この程度まで凹凸形成できれば下墨量もかなり上がって

          硯考 坑仔巌硯の下墨量を上げたいのですが・・・(2)

          硯考 坑仔巌硯の下墨量を上げたいのですが・・・(1)

          坑仔巌硯というのは端渓硯の中でも目が細かい硯で、ふつうは水墨画やかなあたりで使われることが多いのではないかと思います。つまり、このような用途では墨が細かく磨れることが重要で、磨れる量(下墨量)についてはそれほどうるさくありません。 今回は、10インチ(約25cm)を超える大きな坑仔巌硯を漢字用に使えないかという質問です。これは簡単そうで、結構難しい問題です。 墨の下墨量は一般的に硯石の目が細かくなるほど低下します。したがって、漢字を書く際に下墨量を得るには、端渓硯の場合は

          硯考 坑仔巌硯の下墨量を上げたいのですが・・・(1)

          善友

          大愚和尚さんの一問一答の中に、善友ということばが出てきました。 善友とは人格的に優れ、智慧の備わった友達ということのようです。 そういう方とつき合えば自分が成長するための近道にもなります。 世の中いろんな人がいます。人との関り方も様々です。友達をたくさん作って広く浅くつき合う人もいますし、狭く深くつき合う人もいます。でも、人間関係というのは広げ過ぎると浅くなってしまうという傾向はありそうです。 仏教では人とつき合うなら人格者や善人とつき合いなさいという教えがあります。浅い

          硯考 硯のはたらき 下墨と発墨

          今回は硯のはたらきについて考えてみましょう。 墨はどのようにして磨れるのかと考えるとき、おろし金のようなものを思い浮かべるかもしれません。おろし金は物を削って下ろします。 では硯はどうでしょう。おろし金のように墨を削って下ろしているのでしょうか? 硯は単に墨を削っているだけではありません。墨は単に下ろせばよいかと言えばそうではありません。細かく下ろさなければなりません。そのため硯には大きく分けて二つの働きがあります。 一つ目は、おろし金のように、鋒鋩という突起が墨を削り

          硯考 硯のはたらき 下墨と発墨

          硯考 なぜ濃墨をうすめるのですか?

          今回はすみすりのはなしです。 墨を磨るときに、濃い墨を磨ってからうすめるようにとよく言われます。 さてどうしてでしょう。 結論を先に言うと、こうするほうが墨が細かく均質になるからです。 まず最初に、絵の具を例にして説明します。 絵の具をチューブからそのまま水に落とすとなかなか溶けません。 これは小さな塊ができていてすぐに溶けないためです。 一方、一度少量の水で塊をほぐしてから水を加えるとすぐに細かく溶けます。 二つ目の例はココアです。ココアの粉は微粉末ですからそのまま

          硯考 なぜ濃墨をうすめるのですか?

          福永光司 「道教と日本文化」「道教と古代日本」

          福永光司の本ですが、積読の中から2冊発見しました。去年の夏に買ってたようです。古代の朝鮮と日本を調べていたので、上田正昭あたりが中心です。司馬遼太郎との対談は面白いです。司馬遼太郎は歴史小説は読みませんが、それ以外は結構好きです。 「道教と日本文化」 目次 「道教と古代日本」 目次 古代朝鮮と日本関係の本 当然、全部は読んでいません。

          福永光司 「道教と日本文化」「道教と古代日本」

          端渓硯 坑仔巌 その2

          目立て 前回、新規に購入した端渓坑仔巌硯が全然磨れないというお話をしました。 そこで、今回目立てを行いました。タイトル写真は墨堂の左側が新品状態で 今回、墨堂右側のみを目立てしました。写真で分かる通り、左側は光ってツルツルです。ろうかうるしが塗ってあるかもしれません。目立てを行うと右側のように艶消しになります。 左側を爪で引っ掻いても線痕は残りませんが、右側には白い線痕が残ります。 デジタル顕微鏡観察 左右の部分を100倍程度のデジタルスコープで観察してみました。 硯左

          端渓硯 坑仔巌 その2

          「継続は力なり」の考え方

          「継続は力なり」ということばがあります。由来は、諸説あるようです。その中でも有力なのは、大正時代の宗教家、住岡夜晃の『讃嘆の詩』という詩集とされています。 『讃嘆の詩』のなかには、 とあり、このことばが広まったと考えられています。 私たちは日常の生活の中で、継続することの大切さはわかっています。勉強にしても運動にしても継続することで自分自身が進歩・成長します。 では、継続するとしないではどのくらい差が出てくるのでしょうか。 具体的に考えてみたいと思います。 Aさんと

          「継続は力なり」の考え方

          端渓硯 坑仔巌 その1

          坑仔巌 先日、大手の書道具通販メーカーSにて購入した坑仔巌硯です。早速、硯の見本と照合確認した結果、坑仔巌のようです。ただ、墨堂はツルツルで鋒鋩が全然立っておらず、なんだこりゃ状態。 まあ試しにということで今日、磨ってみました。結果は予想通り、全く磨れません。当たり前。これ売ってクレームになっていないのでしょうか?心配です。ちなみに定価17,600円ですよ。(長さ14cm、5.5インチ) どれくらいすごいかというと、濃墨ができない。ごしごしやったので少しキズが入ってます。

          端渓硯 坑仔巌 その1

          柳 宗悦 美は人間を救いうるのか   若松英輔

          NHKラジオ第2放送の宗教の時間で 2024年4月から9月までが上で6回 下が6回の全12回?の放送でしょうか? 1回目の放送は4月12日ですが、らじるらじるの聴きのがしで聴くことができます。 目次 若松英輔さんは1968年新潟県生まれの批評家、随筆家。 小林秀雄関連が多いです。 さっき(4/27)本屋で見つけて、らじるで聴いてみました。柳 宗悦はいろんな趣味の関係で好きな方です。著作も多いです。 見えるものとみえないもの 目に見えないものを見出した柳 宗悦。この

          柳 宗悦 美は人間を救いうるのか   若松英輔