6歳になる娘が欲しがった予想外の誕生日プレゼント
娘がそろそろ6歳になる。
いつもヤンチャで無邪気に笑顔で遊んでいる。
iPadやニンテンドーSwitchなど好きで、よくMinecraftにハマっている。
そんな娘にこの時期お決まりの文句を聞いた。
「誕生日プレゼトは何がほしい?」
その返答は親の予想をぶっ飛んでいて、感動した。
6歳になる娘が求めたプレゼントとは?
「リトルプラネットに行きたい。プレゼントはモノじゃなくて体験がいい。」
衝撃でした。
そもそも、質問として「何がほしい?」とモノに誘導してしまいそうな質問をしてしまっていた。それなのにもかかわらず、娘はプレゼントの概念を一つ上に捉え、「お金を使うこと」に置き換えていた。ゆえに、モノに縛られず、コトについても考えを巡らせ選択したのだろう。
なぜモノではなくコトなのか聞いてみた
「とても楽しいことをしたい。ゲームやオモチャはすぐ飽きちゃうし、1人で遊んでいてもつまらないから」
この点は親として反省すべきこと。
日々、忙しい時にゲームをやらせていて何とか時間をつないでいたことがあるからだ。その状況についてゲームの楽しさより寂しさの方が蓄積されてしまったのだろう。
もう一つ質問をしてみた。
「先日、遠くに遊びに行った時、トランポリンパークで遊びたいと言ってたよね?(車で1時間程度)それじゃなくていいの?行きたかったんじゃない?」
すると娘はまたもや親の想像を超える答えを投げてきた。
「だってトランポリンパークは遠いでしょ?けど、リトルプラネットは近いでしょ?近い方が長く遅くまで遊べるからこっちの方がいいじゃん。」
絶句、
本人はお金を払うわけでもないのに、体験する「時間」に価値を感じ、頭の中でそれを比較した上で判断していた。
この点もやはり親として反省すべき点。
つまり、リトルプラネットでは親やお姉ちゃんと遊べる。家族を自分のためだけに拘束できる時間が長いということだ。
モノという一瞬の喜びに満足するのではなく。思い出に残る体験を長く経験できるコトをプレゼントとして求める。このやり取りをして2つの大きな学びを得た。
1、子供が求めているモノやコトは何かのサイン。なぜそれを選択したのか?をしっかり質問して掘り下げる。声なき声を親として掴み取る。
2、固定概念を押し付けない。誕生日=モノの時代はとっくに終わった。思考の幅を広げるために選択肢を狭める質問はしない。
一見すると、「うちの娘スゲェ、なんかとても頭良いな!感性素晴らしいわ」と親として満足して終わってしまいそうだったが、掘り下げた先にある見えない寂しさを見つけることができて本当に良かった。
素晴らしい誕生日体験を提供しようと思う。
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