娘に対して松岡修造化した自分に反省
一昨日、下の娘が乗っている自転車の補助輪を取り外した。
いよいよ大人の階段を登ってみんなと「同じ」自転車の土俵に上がれる。彼女は自転車屋さんでしゃがみながら、お兄さんの補助輪取り外し作業を興味深く眺めていた。その瞳に映っていたのは不安と期待と楽しさが混じり合った複雑な体験だったに違いない。
さて、彼女は普通の自転車を手に入れた。
自転車にまたがると、サドルも調整し少しいつもより目線が高くなっている。
足も双方やっとかかとが付く程度、今までは補助輪が支えてくれていたが、今は自分がしっかりハンドルを支えていないとバタンんと一瞬で倒れる。
まともに立つこともままらないまま、僕とともに特訓するフィールドへ飛び込んだ
昼下がり、青空で西日側に太陽が傾き始め、その方向は眩しい。
彼女は自転車にまたがりながら地面を足で蹴っているが進まない。1歩進んで2歩目でとまる。
そのステップは三輪車にキコキコと爽快に追い抜かれる状況だ。
彼女はプライドが高い。練習しなくても乗れると思っていた。自信家でもある。幼稚園年中なのに大したものだ。
しかし、今日、はじめて思っていたことが全くできない状況に直面している。
そんな経験なかっただろう。彼女はいま成長している。
ここで、僕は自分のスタンスで悩んだ
1,「上手上手!いいね!その調子だよーー!」とポジティブに声がけするか
2,「まだまだ甘い!ぜったいできる!あきらめるな!私は自転車にぜったい乗れるって口に出して言ってみな!」と松岡修造ばりに前のめりにスパルタチックに接する。
プライドの高い彼女は刺激すれば悔しがって頑張ると思い2番めのスタンスをとった。
結果・・・・失敗しました・・・・。
僕の熱さはみるみる度を超えて、熱血すぎ、彼女が想像していた「自転車楽しいっ!」を削いでしまった・・・。
これは本当に反省。スポーツに熱くなってしまう自分に反省。
帰り際、自転車練習はやめ、自転車に載せた彼女のハンドルを僕が握り、一生懸命走りながら爽快な自転車の楽しさのみ疑似体験させた。さっきまで乗れなくて涙を流していたほっぺたのしずくもいつの間にか乾き、笑うとエクボができる愛らしい笑顔に戻っていた。
家に帰って「自転車どうだった?」と聞いてみると、
「最後だけ楽しかった」と一言、そして
「明日は練習しなくていいかな」と二言め
やはり楽しくないと次につながらない。このままでは非常にまずい。
反省を踏まえて、僕は自転車は嫌だという潜在意識をなくすために、明日娘に「一緒に練習いこう!」と誘うと決めた。
◇◇◇
早速朝起きて、娘に問いかけた。
「今日早朝練習行こうよ!」
「ヤダ!だってつまんないもんっ!パパ厳しいもん!」
まぁそうだろう、予想通り、しかもなんか印象が悪化してしまっている。
彼女に条件付きでお願いしてみる。
「じゃあ、お菓子持って公園のベンチでおやつ食べよう。自転車は丘の上から10回だけ練習すればいいや」
「ホントっ!お菓子いいの?じゃあ行くっ!」
お菓子で娘の気持ちを買収してしまったことに少しだけ罪悪感を感じるが、処方は早い方がいいので仕方がない。
そして早朝誰もいない公園でパターン1のポジティブ練習に集中した。自転車を漕ぐコツがわからないので小さい丘の上から坂道を降りることだけに集中。少し冷たい朝の風を切り、自分の足以外で爽快に進む楽しさのみ教えた。
いつのまにか約束の10回は超えていただろう。しかし娘は「自転車楽しい〜!!」と言いながら練習をやめない。「明日もやろうねっ!パパとお父さん大好きっ!」と、昨日に比べて反応は雲泥の差。
まぁ、パパとお父さんは同一人物だが、回数忘れるほど熱中してくれたのでつっこまないでおこう。
今日もまた、僕も娘もひとつ成長した。
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