関東モノレール旅、第1回「多摩モノレール」前半です。
まず最初に、なぜモノレールかという言い訳です。
企画趣旨ですが、どうでもいいので目次からスルー推奨。一言でいうと、何となくですが。
これまで関東を描いてきました。何をテーマにするか毎回視点に迷うけども。マニアック過ぎて僕一人暴走し、なぜか「モノレール」てネタになっちゃいました。乗りたかったんや!これまで書いてきた通り、歩道橋渡るのも怖い高所恐怖症だけど!!
(関東を描くといっても変なネタばかりで、たとえば東京の監獄、偉人たちの墓参り、東京のデルタ△、荒川や江戸川などの川、武蔵野台地の崖線、チーバ君をいじくる旅「くるくる、くるり」シリーズ、埼玉横断鉄道の秩父鉄道と東武野田線と武蔵野線、etc… これから国府と国分寺を描こうとしているし。)
あらためて、僕は散歩や博物館・資料館めぐりという趣味を通して、町の歴史の姿をちょっとでも描けたらと思っています。そんなただのラクガキ記事です、ただの備忘録です。もとは僕の生まれた長崎の山奥が、50年ぐらいしか歴史が無く(〇〇台団地)写真も記録もそんなに無いことがわかり、それに対する腹いせでやり続けています。ちょっとでも写真とか何か描いて残していきたいなという。
まあ関東は、僕がそんなことしなくても誰かがもっとマシな何かを描いて残すのでしょうが。なんのこっちゃ、意味不明ですいません。
要するに、ネタは何でもいいんです。何か描ければいいんです。
最近、noteよりその辺の紙きれに書いて残した方が、健全じゃないかとも思うのですが。スマホの写真残すの大変なんで、使い続けていきますけども。
まあいいや、モノレールというテーマで町の歴史を描く人はなかなかいまい。
あと、陸でなく空で結ぶ鉄道。夢があるね、モノレール! もっと増やせばいいのに。生活の邪魔になるか?
モノレールの是非はさておき、関東にはモノレールがいくつかあります。
湘南モノレール(湘南江の島~大船)、東京モノレール(羽田空港~浜松町)、千葉都市モノレール(千葉~千城台)。
ああぁ、ディズニーリゾートラインもあるか。上野動物園モノレールもか。
(オッサン独りで行きたくないなぁ…)
今回は初めてのモノレール企画。「多摩モノレール」です!
モノレールを通じて、関東の都市を多少でも描けたらと思います。
(町の歴史が好きなため、モノレールの歴史や鉄道の蘊蓄には触れません)
多摩モノレールに乗る
東京の西は多摩と言われている。
東京都内からは、新宿から京王線または小田急線にて調布市や狛江市を通過する。
北は埼玉の新座市や所沢市に接する、清瀬市に東久留米市に東村山市に東大和市。大きく言えばここも多摩である。そこから南は杉並区に三鷹市に小金井市に国分寺市。これらを北に眺め府中市と調布市と狛江市あたりで多摩川を越えると、まだ辛うじて東京で、稲城市に入ると町田市を南に、多摩市に入る。地形的に、武蔵野台地から多摩川を超えると多摩丘陵に入っていく。
ここは多摩ニュータウンの中心地である多摩市、「多摩センター」駅前。
(ニュータウン…戦後の高度経済成長期による都市の人口集中により、郊外に人口を分散させるために新しく開発された町)
東京の最南西部、八王子の手前でほぼ神奈川県、東京都町田市を越えると相模原市や横浜市に至る。
東京湾と三浦半島にそびえる川崎市と横浜市、相模湾に面する鎌倉市や藤沢市や茅ヶ崎市に平塚市から見れば、延々と広がる多摩丘陵。その北端部あたりに広がっていた里山と農村に多摩ニュータウンが建設された。
さあ、まずは多摩丘陵の開拓の歴史を見て、多摩川を超えて、武蔵野台地(立川段丘)に突撃していこう!!
多摩センター駅から多摩モノレールへ
電車内からも多摩丘陵らしい小高い丘が見えてくる。多摩センター駅前はその中心と言えるよう商業施設で賑わっており、何よりもサンリオのテーマパークが近いことで小さい子の家族連れや若い層の人々が目立つ。
駅からまっすぐ行くと文化施設であるパルテノン多摩ミュージアム。
ここには開発前後の多摩ニュータウンの様子が見れる。
まずパネルにて、上が1962年の開発前。下が1999年の開発後。
丘陵地を削り、団地などの住宅地を広げ東京都心のベッドタウンとして切り開いた。
開発前の風景の写真と、農業や漁業の様子。
開発が進む様子。
ところで、実はパルテノン多摩がある多摩センターに行く前に、京王永山駅から「多摩ふるさと資料館」に寄ってまして。ここで、開発前の昔の民家が見れました。さらに、ここから歩いて景色を取りながら、多摩市の様子を撮影してきました。
まずは「多摩ふるさと資料館」の様子です。
突然ですが、展示品の中に多摩川の景色を描いた絵巻が。
まず、これは前回の「千葉to神奈川 工業地帯②」で描いた川崎です。
次に、現在地付近。東側の狛江市(世田谷区)の先にある川崎市登戸と、現在地と北側にある国分寺市~立川市の間にある日野の高幡不動。石田村は新撰組の土方歳三の出身地。
そしてさらに多摩川を遡ります。青梅市手前の河辺は、我が地元の埼玉県飯能~入間のすぐ南。そして小河内村は、以前僕が記事にした「ダムに沈んだ村」の奥多摩湖・小河内ダム。
話は変わり、ここの地元の産業の続き。農業の合間に目籠(メカイ)を副業として作るも、たいした利益にならず。しかし少しでも現金収入を得ようと作り続けたよう。笊やうどんの湯切りなど様々なものとして使われた。
さあ、多摩センター駅に向かいます。写真と景色の順番がデタラメなのはパソコンのコラージュ機能がランダムだからなのでご容赦ください。
小田急と京王多摩センター駅からちょっと離れたところ。ここでやっと、多摩モノレールが登場です!
多摩モノレールのルートは「多摩センター」駅から北に向かい、最寄り大学の名のついた駅を通過し、多摩動物園駅、日野市である程久保駅や高幡不動駅に万願寺駅を通り、多摩川を越えて立川市に入ります。JR立川駅前は旧・立川飛行場(戦後に米軍に奪われたが返還後に開発)があったが、今は商業施設に陸上自衛隊基地と市役所や警察署に裁判所に「極地研」の南極北極科学館も人気のスポット。それらを通過して、玉川上水を越えると東大和市の上北台駅が終点。
この北には、多摩湖と狭山湖がある狭山丘陵、東は東京の東村山市、北は埼玉の所沢市。
今後近く、さらに西へ延伸し、箱根ヶ崎(東京の瑞穂町で青梅の手前)までつなぐ予定である。
今回はまずは日野までご案内いたしましょう。
日野・程久保駅と高幡不動駅
多摩動物園駅すぐ隣の程久保駅(日野市)へ。ここにて日野郷土資料館を目指します。
程久保駅から高台の坂を上ったところに、これも旧・学校を改築してつくった資料館。そしてニュータウンの一角である団地が建ち並びます。
資料館の入り口にあるパネルを見た通り、この辺りは多摩丘陵の谷間。
しかし北側で東西に流れる多摩川周辺は農村地帯だったようで、水田が広がっていたのが展示品の農業道具や写真などからもしのばれます。
近くの団地にも寄りましょう。
多摩川周辺は米が良く獲れたことから、豪農が多く生活が豊かであり、だからこそ新撰組ら多くの若者が幕末に尊王攘夷運動などの活動もできたのでしょう。
これから向かう高幡不動は真言宗の寺であるが、その由緒は大宝年間に行基が開基し後に空海が不動明王を置いたとか、平安時代に円仁が開いたとか。
江戸時代には成田山新勝寺などと関東三大不動の1つとして毎月28日の縁日に観光客でにぎわったとか。
同時に、新撰組の土方歳三の菩提寺として、銅像やパネルなどで前面に推している。
程久保駅から高幡不動駅へ移動しましょう。
高幡不動駅を降りてすぐ右手側、参道があります。この辺りから、すでに土方歳三や新撰組のキャラが見えてきます。
高幡不動の敷地内へ。
そのまま、お寺様の裏にあるちょっとした山(多摩丘陵自然公園)の頂上を上りました。片道15分くらいの登山です。
なお、モノレール「万願寺」駅から徒歩しばらく(けっこう急坂多かったような)とJR中央線「日野」駅(こちらのほうが比較的近い)にある新撰組のふるさと歴史館は、もう17時を過ぎてしまいそうなので行きません。
新撰組要素が少なくて済みません。
代わりに、2年前のゴールデンウィークのとき日野から立川を歩き、立川からJR中央線で「拝島」駅へ行きそのまま「玉川上水」駅まで歩いて撮影したときの、土方歳三の生家と石田寺の墓をご覧ください。
17時になったので、寺から出て駅に戻ります。今日は多摩川を撮影するため立川に入ったところで帰りましょう。
さて、次回は多摩モノレール後半です。
立川市を描いて終わるのかも。国立市や昭島市にも触れるかもしれませんが。あと、去年、姪っ子の家(近所)に行ったときに寄った極地研の科学館も撮影したな。どういう感じで描こうか…
まあ、それより、前回の京浜工業地帯を終わらせないといけませんね。
近いうちに横浜と横須賀を再訪します。
あと、国府国分寺、もう上野国(群馬)はほとんど描いたのだけど、最後に太田市(群馬で人口3位)の写真を載せたくて止まってます。
自動車のスバルの企業城下町ぶりや、念願のブラジル街「大泉町」にも寄りたいなあ。
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