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剰余労働依存から社会主義へ

剰余労働とは規定の労働によって生産可能な量を超えたより多くの生産を行うための労働である。超過分の労働は超過分の価値を産む。
これが資本主義的生産の利潤となる。
昔は労働者が肉体を使い、長時間作業をして生産を上げた。
現代では自動化が進化して無人化も進んでいる。従って昔ほどは大勢の労働者は必要なくなり、長時間労働も求められなくなった。
今や企業にとって必要なのは先進的な設備投資の方である。現代の工場の設備は複雑である。ロボット、人工知能が利用されている。
危険な作業もロボットがこなす。
一方労働者は機械に詳しい熟練した者でなければならず、単純反復作業を求められる場面は減っていくだろう。
こうした経営環境においては古典的な剰余労働を増やして利潤を得るという思考はもはや成り立たない。
さらに国際競争力を高めるのはなかなか難しい。
高度な設備をより安価に購入してより優れた人材を確保することに専念しなければならないが実際利益を出すことは難しくなる。設備投資や人件費などの生産経費と製品の売り上げはいずれ均衡してしまい、薄利多売をめざす生産となる。多売といっても市場の要求には限りがあり、どのような経営努力をしても、いずれ利潤を上げることは限界に至る。
資本主義的生産システムには限界があるから、いつまでも国家がこの生産様式を主たる経済制度として持ち続けることは理論的に不可能だということになる。またこの生産様式から国家予算財源を吸い上げることにも限界がある。
一方、通貨価値と通貨発行可能総額は生産物の質と量の総合的な実際の流通量に依存する。
金融市場のサイズは一二次産業のサイズをもとにして計画的に調整しなければならない。その点において欧米日は失敗した。金融市場のサイズが不当に巨大すぎるのである。
国家にとって製造業の振興とは通貨価値を保つための重要事項である。
資本主義的生産様式には拡大再生産という点においてはどこかで限界に達するから、そこに利潤をどこまでも求めるわけにはいかない。
現代の製造業は国際的な競争にも晒される。結局先端製造業は中国のような大国に収斂していくのだろう。
では日本のような中規模以下のサイズの国が製造力を維持して、通貨価値も維持するには基本的にどうすればよいのだろうか。
高度最先端品に関してはいずれ中国にはかなわなくなるだろう。しかし地域特色をもつ地場産業や、食品産業はやっていけるだろう。この国は何を売るかって、作れるものを売るしかないのだ。
やはり農業は生産の基礎であり、手放してはならない重要な産業である。
日本が世界一の経済大国である必要などどこにもない。
人民の生活が安寧なものであればよいのだ。
製造業における資本主義的生産様式を棄てることなく安定維持し、農産の自給性を高める努力はすべきだろう。
最先端製造業を拡大再生産していくことはこの国では困難であるし、独占資本主義ももう成り立たない。
資本は地方の必要なところへ必要なだけ投資して、独自性のある産業を育てていくほうがよい。考え方としては中央の独占資本主義ではなく、地方分散型の資本主義の方がこの国にはふさわしいだろう。
従って、これまでの欧米式独占資本主義の修正プログラムが求められるようになる。
資本効率を求めれば、資本運用の上手い投資専門業にカネが集中してしまい、結局流動性が阻害されてしまった。ごく少数の高所得者と大多数の低所得層に分かれてしまうと、低所得層には購買余力がなく消費に限界が生じてしまう。第三次産業人口が多いということは実際には生産を行わない消費者が多くなっている系だ。しかし、その消費層の購買力が弱ければ消費は伸びない。景気が頭打ちとなる。
だから、社会の需給性をみながら政策的かつ計画的な資本運用が必要になる。
現代は剰余労働に依存しない経済システムの開発が急務である。
これを社会主義と名付けよう。
社会主義経済とは剰余価値によってではなく、社会的な需給関係からそれぞれの地域に必要な資本投下を割り出して必要なだけ計画的に投資して資本を地域分配するシステムである。
社会主義と資本主義が反対語、対義語であるかのように説くものもあるが、そうではない。行き詰った資本主義生産様式を改良し、流れの悪くなった資本を社会的な必要性に応じて政策的に動かしてゆく仕組みなのである。
資本を少数の個人や機関の専有物としておくと、それは活用できなくなり流動性を喪失し、やがて生産性が低下し、通貨価値自体が維持できなくなり崩壊してしまう。
従って資本は社会的共有物とする方が合理的なのである。
通貨というものは社会的な約束事として発達した便利なものであるから、それ自体本来社会的所有物なのである。
資産権は所有権というより使用権といった方が適切なのではないか。資産は貯めておいたところで現実の役には立たない。
必要性に応じて投じられて初めて社会のための価値を発揮するのである。
社会主義化には多くの丁寧かつ柔軟性のある各論的制度設計が必要である。短絡的に個人の資産を没収したり、乱暴に個人所有を奪ったりしてはならない。個人の所有権と現代的生産様式における生産手段たる設備はあまり重ならないものであろうし、生産のための投資は個人レベルで行われるものでもない。
過去にも世界各国で様々な社会主義化の試みがなされたはずだ。その歴史的経験はもっと研究せねばならない。失敗した例もあればうまくいった例もある。何がうまくいき、何がまずいのか?過去の経験の蓄積は国際的に貴重な財産だ。それにも学びよりよい将来の制度を設計したい。
社会主義化には地域実情に合った多くの柔軟な知恵の結集と工夫が必要なのだ。
こうでなければならない、などという硬直化したものではだめだ。何事も試行錯誤しながら経験に学びながら進化してゆくものだ。
社会主義とは多様性に富んだ現実的な経済思考だ。


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