ももクロ NEW ALBUM 『イドラ』 考察の続き
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こんにちは。哲学チャンネルです。
先日こんな記事を書きました。
調理師時代の先輩でもありモノノフでもある方からの依頼で『イドラ』のジャケ写だけを見て内容を考察する、という記事ですね。
これが、書いていて意外と楽しかった。多分、自分自身の性質として「誰かに向けて記事を書く」というモチベーションの方が燃えるんでしょうね。
同時に、記事に対する反応もそれなりにありまして。特に嬉しかったのが、いつもの読者ではない方からの反応がもらえたこと。そんなこともあって、時間かけて書いて良かったなと思っていたわけです。
で、ついに来ました。アルバムのリリース。
ということで(というかやっぱり先輩からの依頼もあったのでw)答え合わせをしていきたいと思います。
※前回同様「ももクロのことをほとんど知らない人間」が考察をしますので、失礼があったら大変申し訳ありません。あらかじめご了承ください。
前記事のおさらい
前回の記事では
・『イドラ』というタイトルから、おそらくベーコンのイドラが関係しているのだろう
・そう考えると確かにジャケ写の方向性が『ノヴム・オルガヌム』っぽい
・だとするならキーワードは「偏見」「先入観」だろう
・ジャケ写には宗教的モチーフが多用されている
・宗教が関係している?
・だとするならもう一つのキーワードは「偶像」だろう
・「偶像」は「アイドル」
・「アイドル」の語源は「イドラ」
・「アイドル(偶像)」に対する先入観や偏見(イドラ)が関わっている?
・そもそも、ももクロは「常識的なアイドル像」をぶっ壊してきたグループではないか
・だとするならば『イドラ』はそれを象徴する作品になりそう
・ももクロというこれまでの歴史の集大成
・そして次の「偶像」へのステップ
・そういう意味が込められているのではないか
みたいな空想をしました。
結論からいうと、この予想はかなり合っていたんじゃないかと思います。
いくつかの歌詞を見てみよう
idola
まずは表題である『idola』という歌。
まぁこれは当然とも言えるんですけど、曲の中に「4つのイドラ」が埋め込まれています。
また、上記歌詞の後にはそれぞれ意味がありそうな内容が続きます。
上段の「〇〇から〇〇まで」という文法は、過去から現在のことを表しているように見えます。逆に下段の「〇〇から〇〇へと」は現在から未来のことを表しているように感じられます。
つまりこれは、彼女たちの過去・現在・未来を記した歌なのではないでしょうか。
デビュー当時の混沌とした状況と、今に至るまで浴びてきた偏見の数々。
幻惑は彼女たちの経験となり、偏見は一周して彼女たちの法則になった。
そして、一回り大きくなった彼女たちは、これからまた進化していこうとしている。
生命的な溌剌さから芸術的な表現へと、周りとの戦いからそれを超越した実りへと、伝説的な歴史から境界を超えた新しい存在へと、指先のつながりからより体温を感じられる存在へと。
前の記事で予想した通り、この作品は「ももクロという偶像の過去と未来」を表した歌であり、そういう意味で彼女たちの決意表明として捉えられるのではないでしょうか。
以上の仮説をもとに他の曲についても確認していきます。
Heroes
アルバムの2曲目に収録されている『Heroes』には以下のような歌詞があります。
ももクロという偶像は、その正体を探り続けた歴史なのかもしれません。正体は彼女たちもまだ知らない。しかし、彼女たちはその正体にたどり着くためにまた一歩を踏み出します。ももクロという存在を世界に刻み込むように。
覚悟を持って踏み出す次の一歩。その前提にはこれまでの軌跡(歴史)があります。彼女たちの軌跡だけは確かなものであり、次に向かうための覚悟もその軌跡から生まれます。これまでのももクロが誰かのHEROであったように、これからも誰かのHEROであり続けられるように。
Brand New Day
続いて3曲目の『Brand New Day』
ここでいう難しい本は、イドラの提唱者であるベーコンの『ノヴム・オルガヌム』と解釈して良いでしょう。色眼鏡とは偏見の原因になる固定観念だと言えます。
仮にこの歌が彼女たち自身の立場を歌った歌なのだとしたら、この色眼鏡は彼女たちに向けられる偏見ではありません。それは彼女たちの彼女たちに向けた偏見です。もしかしたらその偏見とは「いつの間にか凝り固まった自分たち像」なのかも。
そう考えると、その色眼鏡を外すことが「ワクワク」するという表現に正当性が生まれますね。
ももクロは、自身に対する自身の偏見すら破壊し、自分たちの感性に身を任せてこれから新しい一歩を踏み出そうとしている。
彼方を想像するでもなく、思い描くでもなく、羨ましがるでもなく。
その足で一歩踏み出すことで、新しい日々に辿り着こうとしている。
そんな力強さを感じます。
Re:volution
4曲目の『Re:volution』には
MONONOFU NIPPON
6曲目の『MONONOFU NIPPON』には
とあり、やはり未来への覚悟と、それに対する障壁を乗り越える強さが伺えます。
桃照桃神
極め付けは8曲目の『桃照桃神』です。
もうね。
「超越偶像」
って言っちゃってますね(笑)
ちなみに「桃照桃神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」をモチーフにしたタイトルでしょう。天照は日本神話に主神として登場する女神で、太陽神と巫女の性質を兼ね揃える存在だとされています。
どうもアルバム『イドラ』の中には「太陽」というワードや、それに伴う形容詞が多いように感じたんですよね。これは多分、彼女たちが目指すこれからのアイドル像のイメージを表現しているのではないでしょうか。
私はももクロをよく知りませんから、これまでの活動がどうで、これからの活動がどうあるべきかという情報を持ち合わせていません。
でも『イドラ』から伝わってくるのは紛れもない決意の情熱であり、そのベクトルは「新しい偶像」すなわち「新しい自分たち像」に向かっていることはわかります。
(そういう意味で、新しい自分たち像の一つの選択肢として「引退」というものがありえるという恐ろしい想像も可能です。多分大丈夫でしょうけど。)
記事作成にあたって曲を何度も聴いたんですけど、なんかおじさん元気をもらっちゃってですね。ちょっとだけ好きになっちゃいそうでした。
おかわりきた
と、記事を書いていると、先輩から補足情報が届きました。
もうなんかめっちゃ興奮しとるやん。と思っていたら
やっぱりかかってました。(笑)
※補足
競馬で競走馬が興奮して前のめりになってしまうことを「かかる」と表現します。先輩は競馬好きでもあります。
ということで、上記二曲も確認してみましょう。
仮想ディストピア
「瓦礫の中から」
つまり彼女たちは何もないところからももいろクローバーZを作り上げてきた。
それは「きみ(ファン)」へまっすぐに伸びる道でもあった。
偶像は「きみ」へ想いを伝えるための素晴らしい装置である。
離れていたとしても、味方として存在することができる装置である。
「太陽」の件もそうなんですけど、彼女たちが想定している「次の偶像」は、今よりももっとファンとの距離が近い何かなんだろうか。関連性のある歌の中にそういう表現が多すぎるので、何かそのような方向性を想定しているのかもしれません。
まぁ「距離」とは、何も物理的なそれだけを指すのではないですけどね。
灰とダイヤモンド
決定的な歌です。10年前の曲らしいのですが、これ、アルバムに収録しても良かったのではないか。
偶像としての誕生と自問自答。答えがわからないながら進んできたこれまでの歴史。
マンネリとジレンマ。繰り返される「偶像」という作業。
でも「色眼鏡」を外して眺めてみると、確かに変わってきた軌跡がある。
螺旋のように行ったり来たりしながら、それでも前に進んでいく彼女たち。そこには浮き沈みもあった。でも今は翼が生えたようだ。
それでも、浮き沈みすら未来のための助走だ。これまでの歴史における経験を全部使って、過去よりも高く翔ぶために一歩を踏み出す。
これまでにはさまざまな経験があった。良いことばかりではなかった。でも負けなかったし、これからも負けるつもりはない。そして霧の向こう側には「太陽」が燦々と輝いている。
彼女たちは彼女たちなりの「本物のアイドル」を目指していく。そのために生命を燃やし(それは太陽のようなものかもしれない)みんなと一緒にそれを目指していく。そのために過去はあったし、そのための未来が、きっとある。
この曲自体が、この曲を作詞家さんが「重要だ」と言っていること自体が、ファイナルアンサーな気がします。
ももクロは(それがどの方向かはわからないけど)何か変わろうとしているのだと思います。少なくとも、そういう決意を持っているように見えます。
そして、多分その変化には、一定の障害があるのでしょう。だからこそ、アルバムを通して決意表明をする必要があった。その決意表明は同時に、過去の自分たちの肯定と、未来の自分たちへの希望でもあります。
ももクロの新しいアルバム『イドラ』は、未来から彼女たちを見たときの大きな転換点になるのかもしれません。
哲学の話全然していなかった
最後にちょっと哲学史的な話をしましょう。ここまであんまり哲学要素がありませんでしたので。
「イドラ」という概念を提唱したフランシス・ベーコンは、それまでの常識をぶっ壊した人でもありました。彼が生きたのは16~17世紀。ガリレオやニュートンなどが科学の基礎を作る時代の少しだけ前です。
この時代、まだまだキリスト教の支配力が強く、科学の力は今とは比べようもなく弱かった。
スコラ神学に代表される神学的な学問においては「理性」が重視されます。
そりゃそうですよね。「神」を考えるのに使える材料は理性ぐらいしかありません。「神」を観察することはできないですから。だから、当時の社会では「観察」や「経験」の地位が、現代に比べて不当に低かったのです。
なんというか、目の前で起きていることを集めてそこから何かを推察する方法よりも、頭の中でロジックを組み立てて出てくる結論の方が、ありがたられたという感じですね。
そんな風潮に待ったをかけたのがベーコンです。
彼は「知は力なり」と言い、科学的な真理を追求するためには「観察」や「経験」を重視するべきと主張しました(帰納法といいます)。頭の中で理屈をこねくり回すのではなく、外に出てさまざまなものを観察し、そこから何かしらの法則を導き出す。当たり前のように感じますが、当時は全然当たり前じゃなかった。
彼のこの姿勢は、同時代に生きたガリレオに引き継がれます。
実際彼は「天体の動き」という観察と経験を通じて、「神」という定理から頭の中で作り上げられた天動説を否定したわけです。
この姿勢は古典物理学の王であるニュートンに引き継がれ、その後の科学に多大なる影響を与えました。
ちなみに、同じようなことが哲学の世界でも起こっています。ベーコンが「経験」を重視すべきと主張した50年ほどあと、フランスにデカルトという哲学者が現れます。彼は「理性」こそ真理に辿り着く唯一の道だ(演繹法)と言いました。これらの主張は「イギリス経験論」と「大陸合理論」として、100年を超える議論を生み出します。そして、両方の主張の合流地点に現れたのが、かの有名なカントですね。
とにかくベーコンは時代に一石を投じたのです。それはまさに、それまでの先入観(色眼鏡)をぶち壊す革命だった。
ももクロというアイドルグループが、何を理想として、どんな目的を持って活動しているのかは分かりません。
ただ、にわか知識で想像してみると、例えば「週末ヒロイン」という概念とか、普通に結婚することとか、(私の認識が間違っていなければ)当時まだ珍しかったインディーズ発的なアイドルとか。ももクロはそうやって先入観をぶっ壊してきたグループなのではないでしょうか。
そんな彼女たちの最新作が『イドラ』であることには、必ず大きな意味があると思われます。
ももクロは、次に何をぶっ壊すのか。
部外者ながら、非常に楽しみになりました。
長文をお読みいただきまして、どうもありがとうございます!
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