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なりたい自分リスト

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いきなりですが、私は劣等感の塊です。

本当はこうしたいのに、本当はああなりたいのに。そういう要素が数え切れないほど存在しています。もっとも、それでいて自分のことが大好きです。だから劣等感はあれど劣等コンプレックスはあまりない。

※劣等感とは「現状の自分が、他者や理想の自分と比べて劣っていると認識する主観」のことです。コンプレックスとは「観念連合」ですから、劣等コンプレックスとは「劣等感に対する記憶や思考のまとまり」を表します。一般にコンプレックスはネガティブな感情を表すことが多い(厳密には誤用)ので[劣等感=差異の認識][劣等コンプレックス=差異に対するネガティブな感情]という意味で用いました。ちなみに、こうして「自分の言葉を必要事情にしようとする自分」も劣等感の対象に入ります。本当はこういう予防線を張らない方が良いと思っている。

んで、先ほど急に「本当はこうなりたい自分像」を整理したくなったので、整理ついでに記事を書こうと思いました。

完全に自分のための記事なので、興味のある方のみご覧いただければと思います!




なりたい自分1 「寡黙な人」


私は「壊れかけのレディオ」です。
放っておくとずっと喋ってます。多分、喋ることにカロリーを消費しないんでしょうね。運動するとすぐにバテるくせに、喋りだけは延々と続けられます。
まぁ、それだけなら良いんです。ダメなのは、頭の中に浮かんできたことをダイレクトに言葉にしてしまうこと。これが良くない。
何度も反省してますね。「なんであのときあんな言い方したんだろ」とか「なんでもっと考えてから発言しなかったんだろ」とか。

本当は

・普段から寡黙で
・発言の前にはじっと考え
・必要なことだけを必要なときに言う
・余計な言葉は発しない

そういう自分になりたい。

多分ですけど、喋りすぎてしまう自分の根底には「わかって欲しい」という強い想いがあると思うんですよね。自分の思考や意図を今すぐに正しくわかって欲しい。だから、すぐ言葉が出るし、言葉の意味に揺らぎが生じないように話が長くなる。これをどうにかしたい。
真面目な話、一日一回はそういう自分を演じようと意識するぐらいに切実な望みです。一回も演じられたことがないんですけどね。




なりたい自分2 「用意周到な人」


私は準備ができません。これはもう本当に全くできません。技術的に苦手だという意味でもそうだし、精神的にという意味でもです。

例えば旅行の予定があったとき。旅行当日になるまで一切準備ができません。精神的にどうしても準備という行為を選択できないんです。理由は不明。永遠の謎。心の中では「準備なんて要らんやろ」と思っている可能性すらあり。ですから、出発ギリギリになってやっと準備をしだします。でも、ギリギリなわけですから当然間に合わない。同時にどこかで「まぁいいか」という観念があるから、準備に対する執着が弱い。結果、忘れ物をしなかったことがありません。

だから、完璧に準備ができる人が羨ましい。(うちの妻はそれができる人で、大変助かっている)

あらゆることで準備ができないので、それで困ることがたくさんあります。もっとも、行き当たりばったりで現場に対応する人生を過ごしてきたことで、対応力や瞬発力が鍛えられたという傾向はありますが。




なりたい人3 「未来志向を持っている人」


前項に少し関連するのですが、私には未来志向がほとんどありません。将来のことを考えられないんです。本当に。
さすがに家族ができてからは最低限の想定はするようになりましたが、それでもまだ一般レベルの足元にも及んでいないでしょう。

なんだろう。未来のことを想像しようとすると頭に靄がかかった感じになると言いますか。とにかく頭が情報を処理してくれないんです。準備が出来ないのもここに起因しているような気がします。
若いときからずっとそうだったので、いつしか「じゃあもう先のことを考えるのはやーめよ!」となり、今を生きるスタイルでこれまでやってきました。

とはいえ、刹那的に今を消費していたら、そのうち立ち行かなくなってしまいます。ですので「これぐらい今頑張っていれば多分未来はなんとかなるでしょ」という暫定の努力目標を作り、それが正しいか分からないまま日々その目標をクリアするような生き方をしています。

願わくば、先のことを見通し逆算して戦略を構築する軍事タイプの人間になりたい。




なりたい自分4 「安定した精神構造を持つ人」


昔から。もう物心ついたときから、私はムラのある人間でした。
個人的には躁鬱と言って良いような気がしていますが、診断したわけではありません。昨日あんなに元気だったのに、なぜ今日はここまで体が動かないんだ!みたいなことが多々あります。弊害も多い。今ではさすがに少し改善傾向がありますが、昔はそのムラが他者にも向けられていたんですね。

高校の頃、自転車で学校に通っていたんですけど、学校の駐輪場で「友達ではないけど知らない人でもない人」とかに会うじゃないですか。調子の良い日はわりと元気に挨拶するんですね。向こうもそれを見て「この人は自分に対して敵意がない。それどころか好意がある」ぐらいに感じる。でも翌日同じように会ったときには、一転ほとんど無視みたいな態度を取られると。そういうことを25歳ぐらいまで平気でやってました。これはいけないですね。
仕事などに関してもそうです。調子の良い日は「自分は天才では?」と思うぐらいクオリティが高いものを作れるのに、調子が悪いともうなんにも作れません。しかも困ったことに年の半分ぐらいは調子が悪い(笑)

昔は「自分は能力の高い人間だから、多分その反動でこういう性質が付与されてるんだろう」などと、適当な理由をつけて納得していましたが、本心ではどうにかしたいと思っています。ムラなんてなくなって欲しい。
(ちなみに、唯一今でも、妻にだけは調子が悪いときの対応を押し付けてしまいます。喋りかけられても「あー、今無理」という感じで無視したり。妻は妻で「あ、あのモード発動中か」と放置してくれるので、本当に助かってます。妻イズ神)




なりたい自分5 「表現力に富んだ人」


哲学チャンネルの活動は、ある種の表現活動であります。というか、表現の力をもっと鍛錬したいからこのような活動に取り組んでいるところがあります。でも、まだまだ全然だめ。話にならない。どうしようもなく下手。こればっかりは本当にそう。

なんでもっと良い表現ができないのか。なんであの人みたいなテキストを書けないのか。なんで語彙が少ないのか。なんで文章が分かりづいのか。なんで。なんで。なんで!!!

常にそんなことを考えています。

さらに言えば、私は本を読むのが生きがいみたいな人間ですから、表現の天才たちと出会うタイミングが多すぎるんですよ。本当にね。なんであんな文章を書ける人がうじゃうじゃいるんですかね。正直困ってます。毎日凄い人の凄さに圧倒されながら、自分の内部にあるスカスカの表現力を見つめているのです。この作業はしんどいぞー…




ということで、思いつくままに「なりたい自分」について書いてみました。
書けば書くほど自分の欠点が浮き彫りになり、本当に自分は未熟な人間だなって認識させられます。端的にダメ人間です。とても愛おしいダメ人間ですけどね。


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