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何か書かなきゃ!ま、クルマの話以外何も無いんですけど。

さて、ネタが無いまま筆を走らせてみようかと。(筆、とは。)
自己紹介書いただけでスキやらフォローやら、あれよあれよと頂き、終いにゃヨメ様経由で投げ銭まで頂いてしまったからには、何かしらコンテンツをひけらかさないと、とかプレッシャーに思う今日この頃。皆様、三日坊主代表tetsuでございます。(ひでぇ出だし)

コンテンツだのネタだの言うとりますが、先ずそもそもがワタクシ、車の運転技術以外になぁぁぁ…んも知識や経験、引き出しを持っておらず更には文才も無いので自ずと書く話は読み辛いクルマの話になるのですが。まぁお付き合い頂けたら、と。

さて、自己紹介にも書いた通り、ワタクシ、路線バスの運転士を生業としておりまして。
そもそも、何故にバス運転士になったのかをなるべく簡潔にお話してみようかと。(ヨメ様に良く「貴方の話は無駄に長い!」と叱られるのでw)

ハッキリ言います。正直、バスやトラック等、大型車輌の運転には

まっっったく興味有りませんでした。

寧ろ

大っキライでした。

関係各者様、すみません(汗)
なのに何故バスドラ?て話ですよね。
今となっては恥ずかしながらワタクシ、幼少の頃からの夢がプロレーシングドライバーになる事、それも

F1で世界一になりたい!

とか思っていたのです。
もう、厨ニ病も真っ青な、清々しい程の勘違いboyだった訳です。
そして、そのまま成長してしまいとうとう二十歳の頃、専門学校を卒業して就職する際レース活動を出来る環境があるとある運送会社に就職し、勘違い少年tetsuは単身、地元から上京し誰の記憶にも残らない程マイナーなカートでのレース活動を始めた訳です。
専門学生時代、ガソリンスタンドでのバイトで必死コイて買ったAE92レビンGT-Zを当時、峠で乗り回し「そんじょそこらのヤツにゃあ負けん!」と謎の自負心のみで挑んだ人生初のレース活動。

初っ端の練習走行会からポッキリ、根元から折られました。

そらまぁそうだわな、井の中の蛙も良いところだったのでw
それでも、レーシングドライバーになる事以外考えて生きて来なかった為に、貧乏生活しながら必死に走ってました。
で、やはりと言うか、芽は出ませんでしたw
と言うか、芽吹く前に事件があり、レースの世界から足を洗う事態に。
仕事中の事故で左目に大怪我を負いまして。
今では完治したのですが、左目が外転麻痺(左に回らなくなる事)する事になってしまって。
医者からも治るかどうかは判らない、と匙を投げられ、夢を諦め退職し、帰郷する事に。
時は流れ、奇跡的に怪我が回復し、さて、車の運転以外なぁぁぁ…にも知らないワタクシがどうやって生きて行こう?となりまして。
ここで親父が宣うた訳です。

「オイtetsuよ、オマエ、そんなに車の運転好きなんやったらバス運転士になったらどうや?ワシの剣道仲間に某路線バス運転士おるけどええらしいど?荷物は勝手に乗って来て、勝手に金払うて降りて行きおる。しかも会社には風呂、仮眠室、終いにゃカラオケ施設もあって使い放題!しかも年収ごっついええど!こんなボロい商売あらへんやろ?やってみよう思うなら大型二種取得費用出したるから、オマエ、バス乗れや」と。

これが

間違いの始まりでしたwww

まぁ、そんなに甘い世界では無かった、って話なんですけどねw
どんな世界かは、また別でお話しようかとは思いますが。

勘違いから覚めて厳しい世の中と対峙する事になった青年tetsuは、車の運転を武器に世の中を渡る事を再び決心、スネ齧りで取得した大型二種免許を携えて某路線バス会社に入社したのが今を遡る事、約20年程前の話。
そこから紆余曲折、そのバス会社を3年半程で辞め、職を転々とし11年前に今の路線バス会社に入社、現在に至るのです。

うん、書いてて着地点が見当たらないw
オチは無いですよ?
まぁ、こんな人生を歩いて来ました。
こんなワタクシですが、何かまたネタを思い付いたら臆面も無くタラタラと書いてみますので、どうぞお付き合い宜しくお願いします。

あと、こんなワタクシですのでもし、運転技術について知りたい事、教えて欲しい事ございましたらお声を掛けて頂けたらと。
文面で説明するのは難しいかも知れませんが、何やかんや今迄曲がりなりにも培って来たノウハウをお送りしようかと思っておりますので、良しなに。

では、また。(自分でこの文読み直してみてもひでぇなこりゃ…)

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