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伊藤左千夫 野菊の墓

「野菊の墓」は、私がもっとも好きな小説の一つです。
この年になって始めてこの小説に出遭い、長い間自分が求めていたものを見付けた思いになりました。ほとんどの恋物語や愛物語が精神的にも物質的にも色々なしがらみの中で進行されます。過去や現在が交わりそれを愛心、恋心で二人が乗り越えて行く要するに複雑な関係を二人の強い恋愛で、ですがそうではなくて単純明解で純粋な恋物語を見たい気持が私にありました。それに応えてくれたのがこの「野菊の墓」です。


この物語が悲劇である事を途中で「これが生涯の別れになろうとは」と知らされます。普段はこの様な告知は最後にして欲しいものですがこの小説では、とても適切であると思いました。単純な恋物語なので普通は、小説の最終に結果の焦点を合わせる事になりますがこの「野菊の墓」は、恋物語の結果ではなくてそれを囲む周りの環境にライトを当てる事により、より大きな効果を出す事に成功しているからです。夏目漱石がこの小説を絶賛したと言われる事も大いに解ります。
私はこの告知でこれから物語が悲しくなる事が念頭に這入った為に、目頭が熱くなり小説の終わりには涙が溢れて止める事が出来ませんでした。

物語が余りにも純粋でなおかつ大きな悲劇である為にこの小説は「著者自身の若き日の思い出を小説にしたものでしょうか?」と言う質問が読者に必ず出てきます。逆に考えるとそれ程感動する物語ですが、通説には、伊藤左千夫自身の経験からと言われています。例えば「大部分が私小説である」(宇野浩二)、「左千夫の小説は結局自叙伝小説と見なしてよい」(土屋文明)です。
経験がどこまで入っているかで意見が異なりますが母親の部分は実際が相当入っていると思います。この小説の発表が伊藤左千夫の母親が亡くなってから行われたからも体験談が入っていて左千夫の母親に対する配慮があったと思われるからです。
確かに小説であり造り物ですが、実際にこれに似た経験があるならばこの小説「野菊の墓」の最後にある通り「僕は結婚を余儀なくして長らえている」とならざるを得ないと思います。私にはそれが人生の足枷になるのか人生の見上げる明星になるのか全く分かりません。


これの映画化は、松田聖子がデビューで民子を演じそれ以前には山口百恵が演じるなど何回かの映像化をされ、またドラマ化等されていますが矢張り伊藤左千夫の「野菊の墓」の小説をそのまま読む事が一番だと思います。私がこの年までこの物語を全く知らなく本を読んだ事が始めてだったのは、大変に幸運だったと思います。

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