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懐かしさと親しみと歯がゆさと〜未知の国・キルギスで感じた不思議なシンパシー<前篇>

 11月14日、日本代表はキルギスの首都・ビシュケクにて、年内最後のワールドカップ・アジア2次予選を戦い、2−0で勝利した。この試合をTV観戦していた皆さんは、キルギスのイメージについて「スタジアムが旧態依然としている」とか「ピッチコンディションが悪い」といったイメージが定着しているのではないか。確かにいずれも事実ではあるが、それだけでキルギスという国を判断してしまうのは、いささか残念な話である。

 一方で現地組の皆さんは、もっと違った印象をキルギスという国に抱いたはずだ。言うまでもなく、モニターを通して見た世界と、実際に肉眼で見て肌で触れる世界とは、まるで違う。かくいう私自身、初めて訪れたキルギスの印象を言い表すならば「懐かしくて、親しみが持てて、どこか歯がゆさが感じられる国」ということになるだろうか。最後の「歯がゆさ」というのは、もしかしたらこの国の本質的な要素なのかもしれない。

 実は今回のキルギス行きについては、実は少しばかり逡巡していた面があった。2次予選における日本代表のニュースバリューが低く、はっきり言って仕事になりそうになかったからだ。とはいえ今回の機会を逃したら、かの国を訪れる機会は二度とないだろう。取材のタイミングは、まさに一期一会。私が下した決断は「日本代表を追いかける」というよりも、むしろ「キルギスという国を知る」ことに力点を置く、というものであった。

 4日間の取材を終えて思うのは「決断は間違っていなかった」というものである。収支で言えば赤になるのは必至だが、現地では思いのほか充実した取材をすることができ、今後の仕事にもフィードバックできそうだ。そのアテンドを快く引き受けてくれた、ビシュケク在住の二瓶直樹さんには、この場を借りて御礼を申し上げたい。今回は2回に分けて、ビシュケクでの旅の模様を写真と共に振り返っていく。

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 日本からキルギスへの直行便はない。多くの同業者は「成田→ソウル→アルマトイ→ビシュケク」というコースだったが、私が選んだのは乗り換えが少ない「成田→モスクワ→ビシュケク」。このコースだと到着が午前4時50分となる。迎えに来てくれた二瓶さんと合流し、外に出ると空港周辺は深い霧に包まれていた。

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 空港から50分かけて、ビシュケクの中心街へ。二瓶さんのご自宅で少し休ませてもらい、とりあえず朝食を摂るべく外へ。老朽化を隠すため、巨大な壁紙シートが貼られた建物が目に入る。二瓶さんによれば、ロシアのプーチン大統領が来訪した際、パレードのコースにこの地域が含まれていたため、慌ててこのような措置が採られたのだそうだ。

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 カフェでの朝食を終えると「宇都宮さんが好きそうな場所にご案内しますよ」と二瓶さん。古めかしい建物の中に入ると、そこは旧ソ連時代の骨董品を扱う店だった。レーニンやスターリンの肖像画をはじめ、食器やキャラクターグッズや雑誌やレコードまである。鉄のカーテンの向こう側は、それなりに楽しく彩りに満ちたデザインにあふれていたようだ。

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 1980年のモスクワ五輪の大会マスコット、こぐまのミーシャを発見! 五輪に大会マスコットが採用されたのは、72年のミュンヘンからであったが、ミーシャは今見てもまったく古さを感じさせない完成度を誇る。日本を含む西側諸国のボイコットが相次いだためか、閉会式のスクリーンに映し出されたミーシャはぽろりと涙を流していた。

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 そして一番の発見は、これ! レーニンの幼年時代の肖像画である。ロシアをはじめ、旧ソ連諸国では今でも時々目にするレーニン像。実は以前、彼の母校であるカザン大学の前で、髪の毛ふさふさのレーニン像を見たことがある。それよりもさらに時代を遡る革命家の若き日の姿に、レーニン像おたくの私は密かな感動に打ち震えていた。

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 さっそく、この日最初の取材を開始。キルギス・プレミアリーグのオフィスを訪ねて、チェアマンのヌルベック・アタハノフさんにお話を伺う。当地のプレミアリーグの現状についてはこちらに書いたとおり。ヌルベックさんは、モスクワの経済アカデミーで修士と博士号を取得し、キルギスで最も有名な飲料メーカー『ショロ』のゼネラルダイレクターを経て、4年前から現職。この国のサッカーは、こうした優秀なビジネスマンによって支えられている。

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 地元スポーツメディアのダイレクターで、リーグ運営にも関わっているアナ・オスナルエヴァさん。彼女は5年前にJリーグの交換セミナーに招かれて来日し、そこで「コミュニケーションツールとしてのマスコットの有効性」というレクチャーに感銘を覚えたという。キルギス代表のマスコット「ベリ・ヤストレブ(白い鷹)」は、彼女の発案で生まれた。

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 昼食は現地の日本食レストランへ。この『ふるさと』はキルギスで唯一、日本人が経営している店で、中央アジア全体でも3つくらいしかないそうだ。オーダーをとりにきた若者に、てっきり日本人だと思って話しかけると、実はキルギス人だったことが判明して少し慌てる。それくらい、現地の人の相貌は日本人によく似ている。

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