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懐かしさと親しみと歯がゆさと〜未知の国・キルギスで感じた不思議なシンパシー<後篇>

 キルギス取材から戻って1週間が経過した。「え、まだ1週間?」というのが率直な感慨。それでいて、ビシュケクでの日々が隨分と遠いことのようにも思える。実は帰国してすぐに尋常でない歯痛に苦しみ、歯医者で応急処置をしてから福島での地域CL取材に没頭していた。そうこうするうちに、ふとOWL MAGAZINEの締め切りに気づいて、慌てて執筆した次第。というわけで先週に続いて、ビシュケクでの旅の模様を写真と共に振り返っていこう。

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 キルギス対日本の前日会見を取材後、タクシーが捕まらないのでしばらく歩いていると、巨大な銅像が設置された公園に迷い込む。これは社会主義時代のものではなく、祖先の歴史を称えるために作られたものであろう。人々の顔立ちや服装は極めてアジア的、それも明らかに遊牧民のそれである。

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 キルギスに到着した初日は、サッカー関係者へのインタビュー取材が詰まっていたが、この日は監督会見を除いてひたすら執筆。「海外取材」というと、今でも派手なイメージを持たれる方が多いようだが、実際は地味な作業時間のほうが多い。気晴らしになるのは、食事の時くらいである。

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 基本的にランチはひとり。ファストフードで済ませるのはもったいないので、できるだけ現地の料理が味わえる店に入るようにしている。ただし国によっては、ひとりだと量が多すぎることも。この日はスープと麺類を頼んだのだが、あまりのボリュームにギブアップ。申し訳ないことをしてしまった。

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 ビシュケクでのホテルは、中心街から少し離れた場所にある。周囲は少し閑散としているが、新しいマンションが雨後の竹の子のように建設されている。もっとも現地在住の二瓶さんいわく「ほとんどが投機向けでしょうね。現地の貧しい人には必要のないものですから」。何とも複雑な気分になる。

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 試合前日の夜は、日本サポーターの皆さんと食事。ちょんまげ隊長のツンさんとも、久しぶりにお会いすることができた。今年の秋は全国各地で台風被害が出る中、ツンさんはあちこちに支援物資を運び続けて、それでいて日本代表の応援もサボらない。この人のパワーと情熱には、いつもながらに頭が下がる。

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 そして11月14日の試合当日。タクシーで大統領官邸まで向かい、そこから歩いてスタジアムに向かう。キルギスをはじめとする中央アジアでは、代表ユニフォームを着るという習慣はない。ほとんどのファンは黒っぽい私服を着て、赤い国旗を振り回している。道々には、怪しげな国旗売りで溢れていた。

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 試合会場のドレン・オムルザコフ・スタジアム。「ドレン・オムルザコフ」がどういう人物だったのかは不明。当地では「スパルタク・スタジアム」の名称のほうが通りは良い。警備のための軍人が多いのは、旧ソ連諸国ではお約束。ロシアやウクライナと比べると、そんなに怖くはない。

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 日本サッカー界が世界に誇るのは、何と言ってもスタジアムグルメとマスコット。キルギスのスタグルについては、ホットドッグの屋台を見つけたが、あとはスナックとジュースくらいしか売っていない。タバコの銘柄が揃っているのは、いかにも旧ソ連の国らしい。

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 そしてマスコット発見! キルギスの象徴である白鷹をモティーフにした、その名も「ベリ・ヤストレブ(白い鷹)」である。鳥類なのに手があるのはご愛嬌。頭部の作り込みは意外としっかりしていて、何やらベガッ太さんを想起させる。Jリーグのマスコットの影響が、中央アジアで見られるのは実に興味深い。

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