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2020年、人工物の総量が地球の生物の総量を上回る(後編:感想・見解)

前回投稿した、人類の作り出す物の量と地球上の生物の総量を比較したNatureの論文に対する感想及び見解です。この論文に関する記事も多く存在してきていますが、ここでは少し深掘りして、僕たちが何を考える必要があるのかについて記載します。人類が地球環境に与える影響については、すでに多くの方がこれまでに色々と議論してきております。なので、みんなが分かっていることも多くあると思いますが、自分の中でのまとめとして書いておきます。

1900年以降、一人当たりが利用する人工物量が大幅に増加している

まず、人工物が増加していることについて一つ疑問だったのは、人口の増加に比例する人工物量の増加なのか、そうではなく、一人当たりに対しての人工物量も増加しているのかということでした。例えば、一人当たりが利用する人工物の量が変わらなかったとすると、人口の増加とともに人工物の量も比例して増加するはずです。そこで人口について調べてみると、1900年ごろは16億人だった世界人口が2019年には77億人にまで増加しています。この期間で人口は5倍ほど増えています。一方で、論文中のデータを参照すると、利用されている人工物の量は30倍以上増加しています。つまり、この120年の間に一人当たりが利用する人工物の量も大幅に増加しています。

人工物の量だけではその善悪について議論ができない

先入観から、この論文が示している人工物が増加していることを悪と捉えがちです(おそらく僕達がこの問題において善悪を考える対象は、地球の生態系環境に対する影響だと思います)。しかし、人工物が全て悪いわけではなく、人工的なものが地球資源や生態系に良い影響を与えることもあり得ます。人工物の善悪を議論するためには、その物質量だけではなく人工物の質や廃棄までのサイクルにも注意を向けなくてはいけないのではないかと思います。つまり、どのような物なのか、どのように使われるのか、そしてどのように循環していくのかというシステム全体における人工物の価値を評価する必要があります。人類が存在する限りここで定義づけられている人工物が0になる事はありません。人工物の質や廃棄サイクルを考慮することで、自然環境などの生態系に大きく負荷をかけている人工物の量の多さが問題になってきます。論文中では、人工物の量の多さを地球上の生物の量と比較して、人間の活動の規模の大きさを定量化しています。一方で、論文中でその人工物の質の議論はほとんどされていないのです(これは論文作成において論点が複数に渡るのを避けた結果だと思います)。
例えば、質量はとても小さいが、生態系に大きな影響を与えてしまうものの存在を考えてみます。肥料や農薬などのようなものもその例です。それぞれ植物の栄養分となり生育を促すものや、除草したり除虫するものだったりします。例えば、植物の成長を促すために肥料として使われるリン化合物が水中に大量に流れてしまうことで、水中の生態系を大きく変えてしまうことがあります。このような低分子化合物はコンクリートほど大きな質量にはならないと思いますが、明らかに生態系に大きな影響を与えます。ちなみに、低分子化合物には有機物や無機物の両方が存在します。この論文中の定義では無機物の固形物質の中に埋め込まれた物質の量を人工物量としているので、人が作り出している低分子化合物などが人工物として換算されているのかどうかわかりませんでした。

人工物生産と利用、廃棄のシステム全体において、人工物が生態系に与える価値を評価する必要がある

人工物の質の良し悪しについては定義をする必要がありますが、ここでは地球の生態系に与える影響の良し悪しという大まかな定義にしてみようと思います。つまり、生態系へ負荷をかけない人工物が質の良いものです。この自然界で循環している物質の一部を、人間が社会活動を行うための供給源である自然資本として利用しています。この地球上の自然資本に限りがある事は事実であり、それが維持できる限界量を超えないように質の悪い人工物から質の良い人工物へと転換していかなくてはなりません。そのためにも、人工物生産と利用、廃棄のシステム全体において、人工物が生態系に与える価値を評価する必要があります。このような議論は昔からなされており、すでに環境エネルギー利用や、生分解性の素材の開発、リサイクルのシステムなど改善点も多くみられるようになっています。
一方で、目先の効率を追求した物質生産は、過剰で軽率な消費に影響を与えます。その結果、物質生産の増加に伴って廃棄物が増えるサイクルが加速します。そのような廃棄物は、生態系資源や周辺環境に還元することができない質の悪いものが多いです。このように質の悪いものが早期に廃棄されるのは良くありません。逆に、生態系への影響が少なかったり、良い方向に働くようなものであれば廃棄サイクルが早くても大きな問題ではないかもしれません。現在、僕たちの身の回りには、その長期的な利用や生態系への影響を考えていないものがたくさんあります。それらを利用したり、廃棄したりすると、生態系との良い関係を築くことができません。
生態系への悪影響を減らすためには、僕たちと製品との関係性をもっと深く考える必要があると思います。つまり、物を作るときには、どのような人工物を作るのか、その人工物をどのように使うのか(消費するのか)、そしてその人工物が生態系にどのように影響を与えるのかを考える必要があるということです。また、僕たち消費者が本当に価値のあるものを選ぶことで、人工物を作る現在のシステムをよりよく改善できると思います。

生態系の豊かさは減少傾向にある

人類の影響によって、生物量がかなり減少しているようなイメージがありましたが、どうやら論文内の分析ではここ100年くらいは生物の総量がそれほど変化していないようです。というのも、人類や家畜、植林、CO2の濃度上昇による植物の成長促進、家畜化された農作物の増加などによって、自然生物の減少分が打ち消されているようなのです。つまり、人為的な影響による生物量の増加があるということです。植林や家畜、家畜化された農作物などについては、モノカルチャーであることが主要なので、自然界の生物多様性が失われていく状態が続いていることは変わらずに、生態系の豊かさはやはり減少傾向にあることになります。このように生物の多様性が失われていくと、大きな撹乱が生じた際に生態系の状態が劇的に変化してしまうことがあります。逆に、生物多様性が豊かな生態系においては、大きな撹乱が生じた際にも生態系の劇的な変化が起きないような力がある程度働きます。このまま生物の多様性が失われていくと、自然から得られる資源も減少していきます。

自然資本が一方的に社会資本に使われてしまい、物質循環が滞っている

物質というものを地球における物質循環の視点で見ると、我々生き物は物質を取り入れて自分たちのシステムが動くように変換して排泄していきます。この流れの中で変換後の物質がまた生き物や地球環境のシステム内で異なる物質または元の物質に変換されます。このように地球上の環境、生態系のなかで物質変換のサイクルが回っています。もし変換した物質がそれ以上他の物質に変換できないような状態になってしまったら、物質変換のサイクルは止まってしまいます。また、変換した物質が新たに生き物に取り込まれるのが長期にわたったりすると、それが物質変換のボトルネックになってきてしまいます。つまり、この自然資本が人間の活動のための社会資本に一方的に使われて、自然資本にもう一度戻せないようなシステム状態は自然資本の循環にとって大きな問題です。そして、この自然資本が再生循環するためには生物多様性状態が豊かな場が必要です。しかし、この生物多様性状態の場もどんどんと減少していることが、更に輪をかけて問題となります。

自然資本の再生循環の場を人の介入により増やすような社会実装をデザインする

生態系という場は、僕たちが社会生活を送る上で必要な自然資本が再生循環する場です。ここを僕たちの社会生活における足元の土台と考えることもできます。しかし、これまで自然資本はタダだと思われ、その再生循環も自然に任せっきりで消費活動を繰り返してきました。今の状態はその足元の土台がどんどん小さくなっている状況です。このように人類が地球規模でその地質や生態系に大きな影響を与えるようになったこの地質時代は人新世と呼ばれています。このままでは人新世という地質時代は人類によるネガティブな影響しか地球環境に与えないということになります。人類がポジティブに地球環境に寄与する新しい意味での人新世時代にするためには、自然資本を物質供給源として認識しているだけではいけません。自然資本の再生循環の場となる生態系の機能を僕たちのインフラとして認識し、僕たち自身の生活もその循環システムの中に入り込むように取り組む必要があります。そして、すでに人類の活動が自然資本の再生循環速度を上回ってしまっていることから、僕たちは現在の生態系を守るだけでなく、それを超えて増やすことを考えなくてはいけません。それは、自然資本の再生循環を自然に任せるこれまでのやり方ではなく、自然生態系を理解してその機能を活かしながら、自然資本の再生循環の場を人の介入により増やす行為です。人類も自然生態系の一部と認識し、このような社会実装をデザインすることで、生態系との良い関係性を持続させるようなシステムを作ることができると思います。

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