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最先端の未来文明は豊かな生態系と共に

未来の文明世界を、豊かな生態系と人間社会とがより良い関係性を築ける世界にしたいという話。

生態系が面白い

僕の家は神奈川県の鎌倉市にあります。家のすぐ裏は木々や草花が生い茂る緑豊かな山があり、海にもすぐ行けます。そんな自然が多い場所がすぐ近くにあると、「生き物たちを取り巻く生態系って面白くて好きだなぁ」と改めて感じる事が増えてきました。ゆっくりと周りの自然環境を眺めながら、ミクロからマクロまでの視点でその世界にトリップします。そーやって、その場の生態系について思いを巡らせます。すると、「世界はこんなにも複雑な関係性の上に成り立っていて、その現象は面白く、そして美しくもあるな」と感じるんです。

季節の変わりと共に、地元や三浦半島で採れる農作物の変化を感じる事もできます。しかも美味しい。その時期の天候によって採れる農作物の量や木々、草花の状態が変化するので、大気の環境を意識することも多くなりました。以前住んでいた都心の環境と比べると、ここでは生き物との関係性が強く意識できます。忙しい日常から少し自分の視点を変えると、目の前の世界は色んな生き物で溢れていて、生き物同士の関わり合い、それを作り上げる大気や土壌・海洋環境がとっても大切で、それがないと自分も生きていけないんだなと実感します。

さて、そんな僕が今興味を持っている生態系とは何か?それは、生き物たちとその周囲の環境全体で構築される関係性やその仕組み、空間のまとまりの事です。生き物って周囲の環境に影響を受けて、自身の状態を変化させます。そしてその生き物はまた周囲の環境に影響を与える。その結果として、生態系全体としてのバランスが上手く取れたりします。生き物を知るほど、このような生き物のシステムや力がすごく面白く感じます。

人間社会と生態系とのより良い関係を深めるためには?

僕はそんな生き物たちの持つ力をバランス良く引き出して、より良い関係性が構築された世界で生きていきたいなと思うのです。そして、生態系全体を通して生き物の力をもっと人間との間や、人間社会との間にも適応できるなら素晴らしいなと思っています。そのためには、人間が関わる生態系や文明社会をより複雑なものと認識し、総合的に考えながら行動する必要があります。

しかし、今の人間の活動は、個別に分解された単一的な価値基準によって判断される事が多く、その結果、生態系に対して大きな負荷をかけていています。生態系の力を消費するだけになっているんです。じゃー、生態系の力を消費しないためにはどーしたら良いんだろう?どうやって力を回復したらいいんだろう??大きく負荷をかけている人間はなるべく手出しせずに、手付かずの原生自然を保護していくという考えもあるよなぁ。なんてことが頭に浮かぶこともあります。

でも、人間も人間社会も生態系の一部です。生態系における関係性の中の一要素なのです。個別の価値基準によって短期的で近視眼的な効率性や利便性を追求し続けるだけでなく、より長期的、総合的な視点で生態系という全体のバランスを知り、活動をすれば、生態系をよくすることもできるんじゃないかな?人間が存在しつつ、人間が生態系にアプローチすることで、生態系だけでなく人間社会にとっても利益になるようなことってないのかな??こんな考えがモヤモヤした状態で僕の頭の中でずっと行ったり来たりしていました。

拡張生態系という概念

そんな中で、5年ほど前にソニーCSLで研究をされている舩橋さんの研究概念を知りました。それが「拡張生態系」です。人間が介在することで、手付かずの自然という状態を超えた生態系が目的に応じた全体の最適状態として形成ができるという考えです。このような生態系への人間の介在の仕方は、生態系における新しい形の庭師とでもいうような感じで僕は思ってます。この考えを知れば知るほど、頭の中にあったモヤモヤが完全に吹き飛ばされ、腹落ちするという感覚に陥りました。

部分だけでは生き物や生態系の全体像を理解できない

生態系のような周囲の環境と生物の関わりは、実験室の中で生き物の環境を制御した状態で行う科学的手法では中々理解ができません。というのも、実験室での科学は、生き物を機械のように見立てて、ある枠組みで環境を固定し、知りたい現象や状態にのみ着目する機械論的な理解の仕方をします。

一方で、自然環境は常に変化しており、生き物の状態も常にその周りの環境との関係性によって変化し続けているのです。常に一定で同じ状態でいるように見えて、実は常に揺れ動いている。揺れ動きながらそれなりに良い状態に変化しているんです。ここが機械とは違うところです。このように周りの環境によって、状態は変動するので、現在の状態は、現在の環境と過去の状態の履歴の結果として出来上がります。だから、自然環境内では、生き物の仕組みの一部分だけを切り取って部分だけを理解しても、全体を理解することができなくなってしまいます。これが生き物が作り出す全体像を理解する上でややこしいところでもあり、面白いところでもあります。

(余談ですが、非専門家の一般市民の方々がこのような自然環境状態における生き物の情報を蓄積していくのが、これからの生命科学における市民科学貢献の一つの良い形になると僕は思っています。)

生態系の人間社会への実装

そんな総合的な視点で行われているのが舩橋さんの研究であり、生態系をより良く構築する多様な生き物の能力を利用した「協生農法」として農業への実装での成果も出ている素晴らしい取り組みです。生態系の社会実装ということを考えると、色々な部分で適応できるなとワクワクします。食糧生産としての農業はもちろん、例えば酪農や都市・街づくり、環境、健康など多様な分野を包括する事ができます。そして、政府、自治体、民間企業や地域の一般人とのコミュニティーと様々な規模での協力によって促進ができます。このように研究として探求するだけでなく、様々な分野や組織とのコネクトを促進しながら社会実装・サービスの展開をコーディネートする立場としても動けると面白そうです。

未来を妄想する

このような活動の先にどんな未来があり得るのかと妄想が膨らみます。僕が理想とする未来の一つは、今よりももっと生き物で溢れ、関われる社会です。SF映画が小さい頃から好きで、来るかも知れない未来を想像してワクワクしていました。でも、今思うとSFの「未来的」な世界には、なぜか生き物との関わりが少ない気がします。ロボットやセンサー、ディスプレイ 、情報伝達技術などワクワクする技術は非常に発展している一方で、高層ビルや機械などの無機質な物で世界が埋め尽くされ、例えばトトロの森のような生態系溢れる世界観の中にこの最先端の未来は存在できないように思わされます。

なんでもっと生き物のいる生態系環境で溢れかえっていないんだろう?人間が向かう最先端な世界は生態系豊かな環境の中に内包することはできないのだろうか??最先端と思われる人間の社会生活に生態系との関わりをより良く築けるほどの能力は人間にはないのだろうか??そうではなく、みんながワクワクするような様々なテクノロジーの存在が、より生き物が溢れる生態系の環境と人間が密接に繋がった状態の中に溶け込んでいる世界を「未来的」にできないだろうか?こういう既存の未来・文明像に対しての疑問を持って、新しい未来・文明像をどんどん提唱していきながら活動をしていきたいと思います。

最後に

この新型コロナウイルス感染拡大状況下での自粛生活では、生き物が多くいる自然環境というのが心身に良い影響を与えていました。そんな自粛生活で体験する事や実感する事、色々と考えることも多かったです。その過程では、自分がここ数年でモヤモヤと思ってきた沢山のことを振り返ることもできました。そこで、頭を巡っていた色々な考えや思いを少し整理して言語化してみたのがこの文章です。頭の中をアウトプットすることで、実践を行うための下地を作れたらと思います。

今の僕がこのような考えや思いになったのは、これまで出会って、関わってきた人たちの影響を大きく受けてきた結果です。僕はいつも何かモヤモヤと悩んでいます。特にこの10年ほどは大きく揺れ動いていました。モヤモヤをなんとか取り除こうと、自分とは違う領域の人や新しい人と出会い、話をして、刺激を受けてきました。この出会いによって、自分の考えが揺れ動きながらもどんどん広く深く変化し、それが面白くて楽しいです。だから、これからもそんな刺激的な人たちと出会い、一緒に活動していきたいと思います。

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