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祈りを強める方法

「いま、ここにある」という境地に至ることが
「マインドフルネス」です。


祈りの効力は、
自分の内側が整っているほどに強くなります。


あなたは、自分の内側をまっすぐに見つめているでしょうか。


自分の奥底にある本当の気持ちから
逃げたり
誤魔化したり
見えないようにふたをしたりせず、
ただ淡々と、平安な気持ちで自分自身と向き合うことができるでしょうか。


自分がいま、ここにあり
恐れることなく外に向かって心を開く
応答的*に対話をし
自分を軸に世界と向き合う

このような状態になると、
強い祈りができるようになります。
この感覚は瞑想で掴むことができます。


*応答的とは、相手からの働きかけに対して、その想いを受け止めた返事(応答)をする接し方のことです。
これは相手の思い通りにするということではなく、違うことを提案することを含めて、返事をし、相手のしていることを認め、したい気持ちを受け入れます。その上で、発展を促したり、方向を修正したりします。
相手には自分自身のことも含みます。



今日は、すこし手を止めて
自分の内側と向き合ってみましょう。



楽な姿勢で座り、背筋を伸ばしましょう。

目は少し開いても閉じてもかまいません。

静かに呼吸をしながら
自分のからだのすみずみまで意識を伸ばしてください。

固くなっていたり
とどこおっている箇所があったら
そこにあたたかい光を送ってみましょう。



感謝の気持ちを作る必要はありません。
わざと作られたような、余計な感情は不要です。

ただまっすぐに、おだやかに、自分のからだを見つめましょう。




次に、自分のこころに意識を向けましょう。

呼吸は続けてください。

固くなっていたり
とどこおっている箇所があったら
そこにあたたかい光を送ってみましょう。


悲しくなったら、悲しさを見つめてください。

怒りが湧いたら、怒りを見つめてください。

喜びが生まれたら、喜びを見つめてください。

苦しくなったら、苦しさを見つめてください。


ただまっすぐに、おだやかに、自分のこころを見つめましょう。




日本の有名な神話に「天岩戸開き」があります。

天照大御神は、自分が大切に想っていた人から大切な場所を壊され、穢され、貶められて、あまりの怒りに天岩戸に隠れてしまいました。
世界は闇につつまれました。

神々はなんとか天照大御神に出てきてもらおうとあれこれ考え、朝を知らせる鳥を鳴かせたり、祈ったりしました。

それぞれ自分の得意な分野で、悩みながらも創意工夫し、みんなで協力して岩戸に呼びかけ続けました。


そしてついに、天岩戸の前で宴会を開いて、鏡を天岩戸の前に置き、天岩戸をこじ開けることで天照大御神をひっぱり出そうという計画を立てます。




しばらくすると、外から八百万の神々の楽しそうな声が聞こえてきました。


天照はこれを聞いて思います。
「自分が隠れているから、いま世界は真っ暗なはず。それなのに、みんなはなぜ楽しそうなんだろう。」


岩戸からチラリと顔を覗かせた天照に、
天宇受賣命(アメノウズメ)は言いました。
「あなたより尊い神が現れたので、よろこんでいるのです。」


見るとたしかに光り輝く誰かの顔が見えます。
天照は、その顔をよくよく見ようと、岩戸をさらにあけました。




そこにあったのは、鏡に映った天照大御神自身の顔でした。

すかさず隠れていた天手力男神がその手を取って岩戸の外へ引きずり出しました。

布刀玉命が注連縄(しめなわ)を岩戸の入り口に張り、「もうこれより岩戸の中に入らないでください」といいました。


世界に光が戻りました。

あなたの魂は
このときの天照大御神と一緒かもしれません。


誰かから大切な場所や信念を壊され、穢され、貶められ、怒り、悲しみ、……そして本来あったはずの気持ちや魂の輝きが、頑丈な岩戸に閉じこもってしまった。蓋をしてしまった。そんな経験があるあなたです。

あなたの世界は、きっと闇につつまれたでしょう。

闇というのは恐ろしいものです。
本来見えるはずのものが見えないからです。
色もなにもわからず、何がどこから出てくるかわからない

そのうち、どうしていいかわからなくなり、
誰の言葉も信用できず、傷ついた心は痛み、やさしさを求め……。



瞑想をするということは、傷ついた自分自身をまっすぐに見つめ、自分を受け入れ、整えることです。


八百万の神々は、暗闇の中でも思慮を巡らせて、天照を岩戸から出すためにさまざまなアイデアを出しましたね。
その八百万の神々も、まさしくあなた自身なのです。



瞑想をすると、悲しみや怒り、傷以外のものも見えてきます。


からだとこころはすみずみまで見ましょう。
自分の汚いところも、情けないところも、恥ずかしいところも、隠したいところも、許せないところも、大好きなところも、すべておだやかに見つめて向き合いましょう。


ゆっくりで大丈夫です。
何日も、何ヶ月も、何年もかけていいです。
一人では限界な部分は、誰かの力をかりることも大歓迎です。


そして、汚い、情けない、恥ずかしい、隠したい、許せない、大好きな自分を、まずはそのまま受け入れてください。その感情が存在することを、まっすぐに認めましょう。

自分を見つめているとき、なんらかの感情を作る必要はありません。
わざと作られたような余計な感情は不要です。


その一方で、見つけたくない感情を見つけると、そんな穢らわしい感情を持っている自分が穢らわしい。認めたくない。非難したくなる。罪悪感に潰されそうになる。そんな気分になるかもしれません。

その不愉快な気分も「事実としてある」のですから、「ある」ということをしっかり見つめましょう。無理やり受け入れなくてもいいです。まずは感情の存在を認識するのです。


あるいは、誰かを罵倒したくなるかもしれません。

その感情があることも事実なので認めましょう。


まっすぐに、おだやかに、自分自身に向き合ってください。
そこで生まれた感情の存在を認めましょう。

自分のこころの中では、たくさんの感情が幾重にも層になっていることを、自分自身で自覚しましょう。

クローズアップしたり、引いて見たり、さまざまな角度から見ましょう。

絡まった糸をゆっくりほどきましょう。







瞑想をするなかで、このようにあらゆるアイデアを出して、試行錯誤してみましょう。ときには失敗することもありますが、それもまた良しです。

諦めずに自分自身と向き合い続けてください。

そうすれば、天照大御神=本来のあなたを岩戸から出すための方法がきっと見つかりますよ。


こうして一つひとつの自分に向き合うと、次第に自分の内側が整います。
自分の内側が整うにつれて、

自分がいま、ここにあり
恐れることなく外に向かって心を開く
応答的に対話をし
自分を軸に世界と向き合う

という状態になり、
強い祈りができるようになります。




このような瞑想をすると、祈りが強まるだけではなく、嬉しい副次効果があります。



それは、



自分が本当にやりたいこと、
天命がわかるようになります。


なにしろ、生まれたままの輝く自分と出会うのですからね。



冒頭で、瞑想は座って背筋を伸ばすと書きましたが、慣れればどのような状態でもできるようになります。瞑想は、お風呂でリラックスしているときでも、布団に入っているときでも、いつでも行って大丈夫です。
自分のからだとこころを、ありのままに見つめてみましょう。
さらに見えない世界を学びたい方は、サークルもおすすめです。


これからも良い記事を書いていきます。