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動乱の詩

玄宗、粛宗、代宗の三代を過ごした杜甫は、さまに唐の時代が平和から動乱に移っていった頃でした。
安禄山の乱もありましたし、都は陥落してしまいました。

小さな反乱も頻発したため、社会全体が騒乱や飢えで苦しみました。
杜甫の詩というのは、そんな歴史を反映したものなのでしょう。

1500以上の詩を残していますが、政治の興亡や社会の動乱という社会的視野に立った詩を芸術の観点で写実したと言えるでしょう。

杜甫の一族は、元々は長安の南に住んでいた名門でした。そこから湖北に移り、曽祖父の代から河南に移り住んでいます。
父親は役人をしていましたが、すでに家の没落は進んでいました。

杜甫が生まれた頃には貧しい環境であり、杜甫自身も病弱でした。
しかし、勉強好きだったこともあり、14歳くらいから、評判が立ち、20歳頃には学問の基礎を固めていたといいます。
身体は弱かったのですが、このまま家に閉じこもったままなら、頭角を現わすことができないと思い立ち、行動を起こすことにしたのです。

詩を一つとってもそこには大きな背景があります。
中国の思想というものは背景に自然哲学があり、それは様々な思想の根本的な部分です。
それを学ぶことで見えない世界へのアプローチも可能になりますから、興味のある人はぜひ一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。